すずねにとっては結衣香も尊敬する先輩のひとりであるし、出ている作品は欠かさずチェックしているが、推しとは違う。
当たり前のことだが、自分にとっては必要不可欠でも、他の人にとってはそうではない。解釈違いは、下手をすれば戦争だ。
その点では、結衣香とは安心して話すことができる。
しみじみしていると、そういえば、と彼女がグラスを置いてテーブルに肘を突いた。
「聞いた? うちに新しい子が入るみたいよ?」
瞳がとろんとしてる。
「え? この時期にですか?」
二人の所属している声優事務所『イアーポ』は、年に一度、オーディションを行っている。
主に専門学校を卒業した新人が対象で、合格すれば準所属となって二年の間に成果が出せれば正所属となる。
すでに活躍している声優が他事務所から移籍してくる場合もあるが、その場合でもフリー期間を挟んで、時期は同じになることが多い。
それを待たずに所属させるということは、他事務所には取られたくないくらいの人材ということになる。
イアーポは声優以外のマネジメントはしていないから、移籍なら噂くらいは耳に入ってきそうだが、どこの現場でも聞いたことはなかった。
「すずは、何か知ってる?」
すずねは首を振った。
「そっか。どんな子だろうね」
「ベテランの先輩かもしれませんよお?」
「はは、それは怖いな」
目を細めて、結衣香は笑った。
声優は競争社会だ。事務所に回ってくる仕事には限りがあり、売れている順にチャンスが来る。結局は自分次第とはいえ、優先順位が下がるのは怖い。
それでも結衣香が笑えるのは、それだけの実力があるからだ。
すずねも、結衣香ほどではないが、売れている自負はある。
毎シーズン、メインでのレギュラーが数本はあり、ゲームの収録は引きも切らない。声優雑誌で連載も持っている。
現状、たとえ自分よりも上にひとり入ったとしても、それほど影響はないだろう。
カクテルを嘗め、この話題はお終いにした。
「そうだ、結衣香さん。彼女さんと、この間、温泉に行ったんですよね? どうでした? ねえ、どうでした?」
テーブルの上に腕を組んで乗せて、身を乗り出す。
「ええ? すずも好きだよねえ……」
呆れたように眉が上がったが、決して嫌がってはいない。
結衣香と彼女の恋人の話を聞くのが、すずねは好きだった。のろけている結衣香はかわいかったし、何より愛が感じられてほのぼのとする。
「しかたないなあ」
と言いながら、上がった眉がでれっと下がる。その顔を見ていると、すずねは自分もいっしょに恋をしているような気持ちになるのだった。