1st chapter 轢き逃げ人馬(ケンタウロス) ⑧

 道路にせいだいにはみ出した居酒屋では衛生観念のかけらもない金ダライになみなみと注がれた安酒を、サラリーマンとおぼしき乱れたスーツ姿のじゆうじんたちが飲みあさっている。


 身体的とくちようえ、あらゆる公的なついせきしやだんし、記号的な『動物』に変身する。

 副作用なし、感なし、インスタントでカジュアルな《変身》。

 まったくちがう自分になれる《ざい》──怪物モンスターサプリ、合法特区。

 人類史のゲームチェンジャーとされる、21世紀初頭のパンデミックと社会の混乱は、人々に強い危機感をつのらせ、ばつぽん的な解決がさけばれた。ウィルスの不安なき世界、せいじような世界を!

 ヒステリックなさけびにされるように完成したちよう管理社会だが、主導した政府、財界の暴走をきゆうだんする声は大きく、人々はよくあつの中でわずかな自由を求め続けた。

 その解答こそ、パンデミックよくせいに大きくこうけんしたきよだいぎよう──

Beastビースト Techテツク》がその功績と強権をもつて成立させた、特区法案。

 ざいをキメた人間は、ヒトならざる生理と代謝をかくとくする。

 すなわいつぱん的なウィルス、さいきん性の病気にかんせんするリスクは極小、理論上ほぼゼロ。

 さらに、サプリ効果中の人体は異様なまでにさいぼうぶんれつ・自然そくしんされ、ささいな外傷なら数分。骨折などの重傷も、適切な処理を行えば数時間もあれば完治する。


 文字通り、夢の薬。

 かんせんしよう対策、戦時体制を名目にあらゆる制限をとつ。SNS義務化と公的個人にんしようどくせん。言論規制、集会、えんかい、性ふうぞくなどが規制、信用スコアの減点対象となり──

 事実上禁止されたちよう管理社会における例外。あらゆる自由が約束された街。


 人獣ニンジユウ 特区──仮面舞踏街マスカレードナツバラ


   *


 ナツバラ駅を少し外れたはんがいの裏路地に、二人の少年が立っている。

 は落ち、空に月。スモッグにかすむそれを、ライサンゲツられたように見上げていた。

 かたわらに立つのはこくびやくの少年、カスレイ。この人獣ニンジユウ 特区においておかしなことに、ふたりともけものにならずヒトのかたちを保っており、退たいくつそうにガラケーをいじっていた。


「……まだか?」

「もうちょい。もうちょいだ。きた、きた、きた……きたぁ……おおおおっ……!!」


 ぞわわ、とゲツかみが逆立ってゆく。

 きばび、げがびてほおつながり、分厚い毛皮が制服を内側からふくらませる。

 厚く丸々とふくれた筋肉と骨。するどに灰色の毛皮、頭部にはかつてのヒトのこんせきを残すかのように、黄色く染められたかみがメッシュのように残っていた。


「アォォオオオオオオ………────ンッ!」


 人狼ワーウルフ

 じんろう

 そのように呼ばれるいにしえかい、とうにすたれたフィクションの産物じみた存在が、ハフッ……とリアルなおおかみのごとく息をつき、ふたまわりほども大きくなったきよを丸めた。


「わりぃ。待たせちまったな、もういいぜ?」

「それはいいんだが」


 ──シュウウウゥゥゥ……と、スプレーをいたような音がする。

 人狼ワーウルフと化した少年のとなりカスレイそば。マスクにおおわれた口元からだ。

 顔半分をおおう黒のマスク。そのすきから白いきりき、もわりとへびのようにうずを巻く。

 冬場に置かれる湿しつに似た、しかし生き物じみた挙動。マスクのすきかられたはくは、彼の口元からしたあご、首にかけてマフラーのように包み、かくしている。


「毎度毎度、うるさい。えるな」


 レイがイラッとしたようなおもちでにらむと、ゲツは毛皮をきながらぼやくように答えた。


「悪い悪い。ムズムズすんだよなあ、シューセーってやつ?」

えのしつけもできてない飼い主と思われたらずかしい。まんしろ」

「ナチュラルにペットあつかいすんな!? むしろお前だろ、んだOLに飼われてそうなの!」

「他のヤツにも言われたがお前ら俺を何だと思ってるんだ!?」


 ぎぎぎ、としばし人狼ワーウルフきりの少年は、暗い裏路地でにらい。


「……モメるだけだ。骨ガムやるから次はえろ」

「あいよ、それで手打ちにすっべ。……うまっ」


 包装をいてわたされたペット用の骨ガムをぱくりとくわえ、ゲツを先頭に歩き出す。


「うまいのか、それ」

「ヒトのときだと物足りねえけどな。この形になると舌もそっちに寄るんよ」

「そうなのか」

「そうなのよ。人間の食い物もうまいけどな、味がよくわかるようになる? 気がする」

あいまいだな……。お前、好物は何だった?」

「鳥ささみとブロッコリー! でたやつな」

「……やっぱ犬だろ、それ」

「あんだとぅ!?」


 そんな、くだらないやりとりをわしながら裏路地を歩く。

 無法の街に赤々とともるコンビニの光。だが窓は強化ガラス、ゴツいかべ一面のてつごうかがやきに吸い寄せられるかのごとく、毛並みの悪いじゆうじんたちが折り重なるようにころんでいる。

 とんのかわりは新聞紙と段ボール。くさった弁当とおうぶつとアルコールのにおいをただよわせながら、うっそりとているかたまりまないようにけて進むと、ゲツはうんざりとボヤいた。


「帰らないヤツ、増えてんなあ」

「たまに来るだけじゃきたらず、路上に住み着いたやつらか」


 仮面舞踏街マスカレードで居住許可が下りるのはごく一部だ。

 それ以外は無法地帯のはいきよに住み着くか、あるいは路上をどことするしかない──

 そうしたスクワツターは、仮面舞踏街マスカレードのどこにでも、いくらでもいる。


「何がいいのかね? 外の方がキレーだし、メシもうまいし、くさくねえし、静かじゃん」

「そう聞くとたいていは『自由がない』と答えるな」

「ま、いくらでもあるわな、ここなら。ただし……」

「自分の身を自分で守れるヤツに限られるが、な」


 コンビニの門前。

 落ちていたホットスナックのかけら、くしに残ったちっぽけな肉をめぐって。


「俺んだ!! 放せ、このろう!」

「見つけたのは俺だろ! げっ、ごは……!? ちくしょう、死ね!!」


 ホームレスらしきせたいぬ男がふたりもつれあい、みつき、なぐり合っている。

 たむろするホームレスたちは止めるでもなく、つまらなそうにながめながら──

 ……ゴキッ!

 いいこぶしあごにヒットし、ふらふらといぬ男がひとり、ゴミにもれるようにたおれ。

 すかさず周囲のスクワツターがわらわらと群がり、そのポケットに手をっ込んだ。


「ちっ、しけてんな。ぜにも持ってねえ」

「……ざいが切れる前に次を買わねぇと。おら、金、金だよ、金!」

「げっ! がっ! や、やめ……やめろ、てめえら!」

「しょうがねえ。このボロでかんべんしてやるか。げや」

「ひぃぃぃぃ!」


 たおれたいぬ男からぜにはおろか、着ていた服まで引っ張り、ごうとするさまを。