第一章 いきなりお家デート ①

「昨夜のおとなりさんは、ほんとうにてんじよう先生だったのか?」


 翌朝。登校した俺は、自分の席で昨夜の出来事について改めて考える。

 ひとり暮らしをしている男が無意識にかかえるさびしさが見せたげんえいではなかろうか。

 まさか自分の担任教師がおとなりに住んでいるなんて。

 俺ことにしきゆうなぎは都内にある進学校、私立よう高等学校に通う。

 二年C組、出席番号は23番。帰宅部。生活費を出してくれている実の父親との約束で学業は真面目にやっているので成績は悪くない。休み時間に話すくらいの知り合いはいるが、親友と呼べるほど仲のいい相手もない。こいびとナシ。

 そんな俺のクラスの担任こそがてんじようレイユその人だ。


「いや、でも手もれたし」


 重なり合った手のかんしよくや体温は本物だった。

 俺の部屋の冷蔵庫の中にも彼女の持ってきたおすそわけのイチゴが冷やしてある。

 朝食に食べてみれば彼女の言葉通り、甘くてジューシーでしい。

 げんかんには去り際に落としていった女性物のサンダルを念のため回収しておいた。

 ものを忘れていくなんて、まるでシンデレラのおとぎばなしみたいだ。

 実際におひめさまと言われても俺はなおなつとくしてしまう。

 てんじようレイユはそれくらいまぶしいほどの美人なのだ。

 とはいえ、俺が名乗るなりおとなりのお姉さんは一目散にした。


「交流のないとなりに住んでいる男が自分の名前を知っていたら、そりゃ先生じゃなくても女の人ならこわくなってすよな……」


 一晩って冷静におのれの行いをかえり、思わず苦笑い。

 部屋や郵便受けには部屋の番号だけ。俺も先生も名前のわかる表札を出していない。

 若い女性の反応としてはごく自然なものだ。

 むしろ生徒と教師がぐうぜんにもおとなりさん同士になる確率の方がはるかに現実味はうすい。


「先生がおとなりさんだなんて、そんなことあるか」


 おどろきながらも俺は少しだけかれてしまっていた。

 同じ屋根の下、かべ一枚向こうに美人が住んでいるだけでドキドキしてしまう。


「みんな、おはよう! 今朝は晴れて気持ちいいね!」


 朝のホームルームの時間になり、てんじようレイユが元気よく教室に現れた。

 彼女はいつも通り明るいがおかべながらきようだんに立つ。

 俺が座っているのは教室の中央列の最前席で、ちょうどきようたくの真正面。

 つまり、俺は先生の目の前に座っている。

 いつしゆん、俺と目が合うもてんじよう先生はさわやかながおくずすことはない。

 昨晩プライベートではちわせした生徒が目の前に座っているのは、かなりのプレッシャーを感じているはずなのに大したものだ。

 クラス委員の号令後、テキパキと出席をとっていく。

 てんじよう先生は俺が入学した昨年、同じく新卒としてよう高校にやってきた。

 とんでもなく美人の新任教師が入ってきたとして当時から学校中の注目を集める。

 はじめて彼女を見た時、アレがうわさの天条先生だと一目で理解した。

 ちがいなく、今までの人生で出会った女性の中で一番にれいな人だ。

 顔やスタイル、あふれるゆうや知性などすべてが超一級品。

 あまりにもごくじような女性は、まともに生きていても一生えんのないタイプ。

 目の覚めるような美人という表現が真実なのを俺はてんじようレイユによって教えられた。

 ただ、俺が彼女を気になるようになったのは外見のせいだけではない。

 最初にりようされたしゆんかんのことは、今でも覚えている。

 入学して間もないある日、たまたま日直だった俺は数学の先生から宿題のプリントを集めて職員室に運ぶ役目を任された。

 職員室へ持っていくと、その数学の先生が見当たらない。

 代わりにひとり、しんけんな表情で机に向かっている先生に目をうばわれた。

 それがてんじようレイユだった。

 職員室の中にもかかわらず、その人の横顔にれて動けなくなる。

 自分と大してねんれいの変わらない女性がしんけんに働く姿がカッコよく見えた。

 かつに声をかけるのも躊躇ためらわれるくらいぼつとうできることがうらやましい。

 その本気さが尊かった。

 俺自身、どちらかと言えばいつしようけんめいになるのが苦手なタイプだからあこがれてしまう。

 そしてあれほどのぼうの持ち主でありながら、教職にいたことが不思議だった。

 たくさんのおもいが次々にいて、興味が尽きない。

 要するに、俺はてんじようレイユのがんばっている姿がいとおしいと感じていた。


『あれ、なにか用事?』


 そんな俺の視線に気づいた彼女が顔を上げた。

 声をかけられて、俺はどんな風に話したかがあいまいだ。

 多分しどろもどろになりながら、なんとか用件を説明していた気がする。

 てんじよう先生は笑いながら『先生の席はそっちよ』と教えてもらった。

 大して中身のない事務的な会話。

 それでも俺にとっては初めてのふたりで話したしゆんかんだった。

 以来、俺はあこがれのアイドルのようにてんじようレイユという先生が気になるようになる。

 そんな若くてうるわしい彼女が今年、二年C組の担任になると知った時はクラス全体がかんうずに包まれた。もちろん俺もその中のひとりだ。

 だまっていればちようぜつ美人、口を開けば気のいいお姉さん。

 どうせ一年間受け持ってもらうならこわい先生よりてんじよう先生がいい。

 そして一学期最初のせきえにより、俺はこうして先生の正面に座ることになった。


にしきくん」


 俺はできるだけ自然に「はい」と答える。

 てんじよう先生はどうようを見せず、そのまま次の生徒の名前を呼んだ。

 いつも通り。特に異変は感じられない。気負っていたのは俺だけなのだろうか?

 現時点ではわからない。

 だから昨夜の一件が俺のかんちがいかをハッキリさせるために、いくつか作戦を考えてきた。

 作戦その1、てんじよう先生をよく観察してみる。

 色素のうすい長いかみは窓からしこむ陽の光にけてかがやいて見える。内側から光るような色白のはだみずみずしい。大きな宝石のようにきらめく目とつややかな小さなくちびる、鼻筋の通った高いりようは小さな顔の中に、美のがみによって最良のバランスで配置されていた。

 服装は白いブラウスにあわい水色のカーディガンを羽織り、タイトなロングスカートという組み合わせ。シンプルなアイテムで合わせたビジネスカジュアルなよそおいながら、知的な色気とさわやかな印象をあたえる。

 水泳部のもんをしており、背筋がしっかりびた立ち姿も絵になった。

 てんじようレイユは教師なのにあまりにもはながありすぎる。


「じゃあ、今日も一日がんばろう!」


 最後にれんらくこうを伝えて、てんじよう先生は何事もなかったように教室を去った。

 はっ、れているうちに朝のホームルームが終わっていた。


「うーん。昨夜は俺のちがいだったのか?」


 もしやおとなりさんは先生ではなく、整った顔立ちをした別人なのかもしれない。

 ほんの短い時間のやりとりだったから、ハッキリとてんじようレイユその人だという確信がなんだからぎそうになる。

 だが、俺の心は別人説を否定していた。

 俺がうなっていると、こくしてきた女子生徒・ほういんあきらが机の前を通ろうとする。