プロローグ 魔法ははるか彼方にある ②

 シンデレラやアリストテレスなんて名前がこっちの世界で出てくるのは

 その答えもここにある。すでにこの世の誰にも魔法は使えず、それでも魔法の味を忘れられない人々は無理矢理にでも帳尻を合わせた。つまりから禁断の知識を引きずり出して強引に魔法を発動させる技術を新たに完成させたのだ。

 それが最新鋭の魔女のホウキ、フォーミュラブルーム。

 使う者の意志と目的に応じてふるき神秘を自由自在に展開する、おぞましきえいの泉。


(……電車とかバスとかって感じなんじゃね?)


 ふと、なつかしい単語をその少年は思い出した。風化するほど時がった訳でもないのに。

 ヴィオシアのフォーミュラブルームは入念にワックスをかけてファンや報道陣の前に出てくるレーシングカーみたいにピカピカだ。


(つまり、どれだけ利用法が分かっても自力で運転できねえ。『使う側』程度なら全然構わねえが、『創る側』に回ってよりい暮らしを提供するならダメ。便利で使いやすい、で何が起きてんのか説明できなきゃ道を外れて全く新しいスタントやアクロバットはできねえし)


 魔法の中身を知らずにつえやホウキを振る事しかできない魔女を呼ぶ言葉として、s(Witch)スウイツチという蔑称がささやかれるのもこのファンタジーな世界では珍しくない。

 ……スイッチ。英語やラテン語が入ってきているのも異世界の地球から知識を引きずり出しているせいかもしれない。そして家庭教師としては分厚い辞書や長い定規があってもロケットは作れません、では困る。それでは楽な方に逃げたつもりで知識にさくしゆされるだけの奴隷だ。

 とはいえ、今こんな話をしても頭のキャパがいっぱいになって軽めに煙まで出ている少女に通じないか。バスとか電車とか未知なる言葉を出してもこっちの人間は首を傾げるだろうし。

 なのでセーラー服の少年は端的に話題を切り替えた。


「遠くを見ろ、ヴィオシア。見るんだ」


 それはサインだ。すでに魔法の枯れた世界において、それでも異世界の地球の知識を引きずり出してでも本物の魔女を志す者達にとっては希望を込めて。そこまで死力を尽くして挑んでも狭き門をくぐれなかった者にとっては苦痛を込めて。

 だけどまだ、この子は呪いを込めて荷物をまとめる側ではないはずだ。


「───。」


 圧倒されていた。

 あるいは険しい山の頂上で一面に広がる景色をたりにしたように。

 美しいものと直面した憧れのまなしで、少女は『それ』を見ていた。


(……ならギリギリで大丈夫じゃね? そういう風に映ってんなら)


 はるか遠くには白と黒があった。大理石と黒曜石で形作られた折り目正しい街の中央は、どこからでも見える。だけど万人が当たり前に眺めているはずの中心点、そこに居座る巨大な湖の『奥』だけは、誰も目にする事はかなわない。冬でもないのに水面に浮かぶ白いダイヤモンドダストに揺らぐ影はかろうじて多くのせんとうを持つ王の城のように映るだけだ。ただしそれすらも確証はない。見る人によって違う形を取っても確認できないのだし。

 究極的に言えば、今、少年が見ているものとヴィオシアが見ているものは全く違う形を取っているのかもしれない。だけど確かに『それ』はそこにある。険しい試練を越えて湖の奥にまで着陸できた魔女だけが正しい景色を知る栄誉を得られるはずだ。

 召喚禁域魔法学校マレフィキウム。

 誰もが知り、誰もが目指し、誰もが夢に描き、しかし大陸中にいる少女達の実に九九・九九九九%以上が屈辱と挫折を味わう『借り物の力を振るう魔女達』の超難関校。


「アンタには、あそこに行きてえ理由がある。そうなんじゃね?」

「……うん」


 つまりそういう事だった。

 ここは話題の召喚禁域魔法学校マレフィキウム、

 今は四月後半。実に人口の五割以上が浪人生、受験に落ちる少女達とそれでもしがみつく少女達によって巨大な経済が回る、仕組みのイカれた大都市。その小さな公園にある屋根付きのあずまだった。予備校の自習室に空きがない時は大体こういう所で勉強を見る事になる。


「その気持ちが折れてなけりゃあ、オレはいくらでも力を貸すし」


 改めて、目を見てセーラー服の少年───みようそうごろ───は言った。

 一七歳の家庭教師は、はっきりと。


「来年三月にアンタを必ず合格させる。こいつはそういう『』だぜ」