エピソード1 ホウキと魔女の残念な子に魔王 ①


 夏は暑くて冬は寒い石造りのアパート、その窓の向こうからだった。

 早朝、ようやく新聞を配り終えた時間帯。いきなり大きな声で自分の名を呼ぶ者がいた。


「……ごろ、さあーん。みようそうごろさあーんっっっ!!!!!!」

「ご近所迷惑じゃね!?」


 窓辺に向かって叫んだら桟の所を歩いていた二足歩行の黒猫使フアミリアーが落ちそうになった。ひとまず窓を開け、防水の布のバッグを背負った運送業の(妙に人間臭い挙動の)猫ちゃんを救出。でもって二階の窓の下では小麦色の肌の年上おっとりお姉さんがにこにこしていた。

 グリモワールなどを扱う、近所の古本屋の店主さんだ。


「あらあら、まあまあ。この時間に返事がねえようなら過労かめいそうでしくじって部屋の中で死んでるかもしれねえから気をつけろー、っておねだりしてきたのはごろさんでしょう」

「……、」


 またクイズ感覚で小テストの問題作成していて夢中になりすぎた。わずかな仮眠でこの騒ぎ。サイドテーブルではが今の時刻を表示している。アラーム設定すれば良かったか。

 このままだと何度でも銀髪褐色店主さんが呼びかけてきそうな香りがするので、のんびり朝食も作れない。常温でも保存できる硬いパンだけつかんでかじりつつ、手にしたスマホと別の取説を水のない水槽に放り投げて『分解』。紙の取説に従ってに色と形と機能を整えてもらうと、顔を洗って歯を磨く。電源なしでも使えるのはこちらの世界では助かる。

 HEAハウス。密閉された水槽の中にたくさんいるのは木製のアリだ。で作った分厚い取説を投げ込むと彼らが住み家であるカラフルな土を組み替えて削り出し、あらゆる家電を作ってくれる。ただまあ、あまり自堕落にしていると部屋中異物扱いの家電だらけになってしまうので、食べさせる取説は基本的に一個、外出時は元の土に崩してもらう事にしているが。


まきで火をけてご飯作る生活と比べたらとにかく便利だからこの発明品をご近所にもお裾分けしたいけど、文明レベルを乱すなってやかましい連中も多いしなあ。美化委員ベナンダンテイとか……)


 紙を束ねたよろいを上半身につけ、上から男物セーラーに着替えて防具も装着、『武器』を腰に差す。腰に革のコルセットを巻くのは強く締めないと紙のよろいの分おなかが出てしまうからだ。

 そして窓の外からまたきた。


ごろさあん!!」

「はいはい分かった分かったうるせえしっ!!」


 鍵をつかむと慌てて部屋を出る。廊下を走って建物の外に飛び出すと古本屋の店主さんがにこにこしていた。本来なら敬語を使うべき恩人だが、そうすると怒るのだ。しかもかわゆく。


「うふふ、今起きたにしては随分と早いご到着で。どうやって時短をしているのかな?」


 Home Electrical Appliances。つまりを使っているとはこの人にも言えないが。

 相手は年齢不詳のおっとりお姉さんだ。ふわふわした長い銀髪に健康的な小麦色の肌が特徴で、手にはつるりと輝く白い柄に黄金のブドウのつるがからみついたホウキがある事からも分かる通り、おそらくは。伝統的な黒いワンピースの上からウサギのしゆうが入ったエプロンを着けているため何ともアンバランスだ。あとこの人が身に着けると胸元の動物は大抵全部不細工になる。理由はおっとりお姉さんは体の一部がとってもたゆんで豊かだからだ。

 朝から人の血圧を上げてくれる褐色お姉さんは柔らかく笑って挨拶してきた。


「おはようございます、ごろさん」

「グッドモーニングでございます」

「あらあら、ひょっとして徹夜明けで眠たいのかしら?」


 頰に片手を当ててにこやかにほほむ店主さんはこれくらいでは動じない。

 というか慌てふためいたところを見た事がない。


「ほらほらごろさん、膝のプロテクターがずれていますよ。これだと防御効果がありません。はい、私が直してあげる。ほらできたっ」


 おっと失礼、と言う暇もない。そして足元にかがんだ褐色美人を見下ろすと胸のたゆん感がすごい。具体的にはお姉さんのおなかが見えなくなるレベルで。口に出すのは恩知らず過ぎるが。


「ふふっ、それから相変わらず手品師のつえを持ち歩いているんですね、振ると伸びるの。大通りで皆さんを喜ばせるとか? ごろさんったら見た目によらずわいらしい所があるんだから」


 腰の横にある棒切れをちょんちょんと指先でつついてくる店主さん。

 それは伸縮式の警棒ですとは言えなかった。剣と魔法のキラキラ時空は草原や洞窟だけでなく街の中にも盗賊が結構いるらしいのだが、刃物を使って追っ払うのはおっかない。そして図面さえ用意すれば、近所の鍛冶屋さんは案外い仕事をしてくれるものだ。武器の登録と管理もせずにその辺で店売りしているファンタジー社会とか冷静に考えると超おっかないけど。


(……これができて『銃』が作れねえのは逆に不思議なんだけど、まあ、こっちの世界じゃあんなの発明されねえ方が幸せなのかな?)


 みようそうごろとしては、ある程度長さと重さがあって、なおかつ何でも良かったのだが。

 お姉さんはゆっくりと両膝を伸ばして立ち上がり、


「それはそうと大丈夫? 今からお出かけにしては、何だか荷物が少ないようですけど」

「?」

「うふふ、今日はゴミ出しの日ですよ。古紙の日は月に二回しかないから、今日を逃すと結構まっちゃうかも? 羊皮紙って束ねると重たいから嫌になっちゃいますもん。防腐はしていても、変に栄養があるので床にそのまま長く置くとカビが生えたり虫が湧いたりするし……」


 忘れていた。

 ゴミの日の話ではなく、紙の量についてだ。


(全世界的に内緒で使っている)HEAハウスに与える取説は全部羊皮紙にガチョウやツバメなどの羽根ペンでびっしり手書きしないといけないのだが、知らない人には不自然に映るか。


「ま、チラシの裏はあればあるだけ困らねえし」

「あら。ごろさんったら、お絵描きでもするのかしら」


 大変豊かなおっとり魔女さんの足元では、めえめえという鳴き声があった。

 スケッチゴート。こちらの世界で品種改良された、羊皮紙社会を支えるだ。


(……もこもこの羊と一緒で、人と共生して定期的に刈り取りしてもらわねえと生きていけなくなった動物か。そういう意味じゃ、確かに『にえ』なのかもしれねえんじゃね?)

「皮剝いでんのに気持ち良さそうなんだよな、この。日焼け痕をぺりぺりめくるっつか」

「うふふ、ごろさんはあしのナイフで剝がすのおっかなびっくりでしたね。普段は自分で調達しないで、お店で買って確保する派なの?」


 よいしょ、と店主さんはひもで縛った紙束を足元から片手で持ち上げる。羊皮紙だと植物の紙より一枚一枚が分厚い印象だ。つまり重たそう。


「店主さんは使フアミリアーとか創らねえの? 魔法の手伝いの。創らなくても中古なら安いのに」

家内の使い魔ドメステイツクフアミリアーですか? あれ、仮の筋や脂を呪文で取り出してから、骨格代わりの立体ジグソーパズルに沿って細部を作らせるのよね。本当の動物ならわいいからいですけど」


 めえめえ鳴いて甘えてくるスケッチゴートをあやしながらも店主さんはやや困り顔だった。

 異世界の地球の文献では初めてのサバトで魔女が悪魔から使フアミリアーを与えられて使役するとかそれを他の魔女に売ったり譲ったりもできるとか書かれているが、こちらの世界だと一人の魔女がパズルで組んだ使フアミリアーを人口密集地に出しても大丈夫か分厚いマニュアル片手に複数人で公正かつ客観的に調べる、つまり安全確認のチェックをする集会が近い。調達する技術だけなら受験と戦う半人前にもあるのだが、こうした儀式を経て初めて外で使えるようになる訳だ。

 みようそうごろはさっき窓辺で助けた運送業の黒猫を思い出しながら、


「そんなに不気味がるもんなの? 架空の生き物を創れるほど便利なものじゃねえって話だけど。骨格や関節まで意識したパズルだから、外から見ても見分けとかつかねえし」

「見分けがつかないから怖い、とも言えるんですよねえー」


 ばさりという羽ばたく音と共に、頭上の青空を巨大なドラゴンが横切っていく。ただあっちは作り物の使フアミリアーではなく、召喚禁域魔法学校マレフィキウムで試験管から生み出した巨大生物という話だ。古い地層からキマイラやクラーケンの化石は見つかっているものの、今日び天然のクリーチャーなんていないらしい。遠い森の奥でエルフの目撃談などもあるけど、基本的には公的な確認の取れていないニホンオオカミみたいな扱いだ。


「それからごろさん、髪のチェックは? どれどれ」