エピソード1 ホウキと魔女の残念な子に魔王 ③

「魔女の受験はやる気と集中力! 調合や合成も含めて立派な競争社会だよ。手作りやくキットがあれば『勉強やテストに恋する』だって作れるんだ、勝つならこちら!!」

「……今だけ今だけ、マレフィキウムの過去問集はいらないかい? これがあれば必勝だ、出題の傾向が分かれば今年の山をかけるのも難しくないよ。きひひ……」


 なんか物理的に指までくわえて物欲しそうなポンコツがいるので念のためくぎを刺しておく。


「ヴィオシア」

「あう? でもだって先生、過去問集なんてほんとにあったら絶対役立つお宝なの」

「……召喚禁域魔法学校の出題傾向なんて街中に星の数ほどある予備校がしのぎを削る重要事項じゃね? どこか一校が成し遂げたらその瞬間に一都市の経済が丸ごと偏るくらいにな。少なくとも、そこらの露店でポンポン出せる代物じゃねえ」


 というか、そもそもマレフィキウムの過去問は誰も覚えていられない。合格者のエリート達はそろって沈黙しているし、不合格の皆様は頭の中から『まるで寝起きからどんどん夢を忘れていくように』消失してしまう徹底ぶりというのだから恐れ入る。

 露店の呼び込みには、魔女以外の男性や浪人する事を諦めた女性なども少なくない。でも、できない側だからこそどういううたもんかもよく知っている訳だ。

 なので誇大広告の看板をでっかく掲げている露店があるとしたら、つまりこうだ。


「世の中には完璧なダイエット本なんて存在しねえ。一冊完成したら次はもう出なくなるし。受験の『必勝』本も同じじゃね? 簡単な道なんかねえ、甘い言葉に振り回されんな」

「う」


 ヴィオシア、ともう一回呼びつけてしまった。なんか話の途中でいきなり少女の気まずそうなうめごえが聞こえたのは、まさかダイエット本の方でもやらかしているのだろうか?


(……そりゃまあ、ホウキに乗って大空を飛ぶ魔女の世界は騎士や格闘家とはルールが正反対だし。体作りって言ったらきやしやで軽い方が有利ではあるんだけど)


 これでも顔と顔を合わせる露店はまだマシな方で、道端で雑に配るチラシだと毎週お店に並ぶテキストや受験のお悩みを共有する文通集団コミユニテイ、果てはカンニングのチームをマッチングしませんか? なんてものまで混じってる。受験の街もだまだまされ様々な顔があるようだ。


「あっ、ドロテアちゃあーん」


 ぴょこぴょこその場で跳ねてでっかいてんびんみたいな棒とバケツを肩でかつぐ氷売りの男から迷惑そうな目を向けられつつ、全く気にしない少女は笑顔で柔らかい声を上げていた。

 こちらに気づいて合流してきたのは、ウェーブ状の薄い金髪をけんこうこつの辺りまでふんわり広げた色白でメガネの女の子だった。魔女のホウキの持ち方は人それぞれらしく、ドロテアは片手で柄の真ん中辺りをつかんでその腕を下げていた。異世界の地球で、サラリーマンが畳んだ傘をさやに収めた刀みたいにして持ち歩くアレだ(実は後ろを歩く人が微妙に危ない)。

 格好はまばゆい素肌の上に直接包帯をぐるぐる巻いたゾンビ少女仕様。ただメガネをかけた本人がわいらしいので白いレアチーズケーキみたいになっている女の子だ。

 もちろんこちらの世界でゾンビパウダーやブードゥーの秘儀は自然発生しないだろうが。

 ドロテア・ロックプール。

 確か同じ予備校にいる内気な文学少女だ。ヴィオシアと同じ一浪で一五歳。ホウキを手にした二人が並ぶとヴィオシアより頭一個は大きく、みようそうごろと同じくらいあるかもしれない。併せて(?)胸部もなかなか豊かだった。

 内気だけど仮装が当然の世界なので、本人は女友達へ気弱そうな笑みを浮かべるだけだが。


「ふふっ。お、おはよう、ヴィオシアちゃん」

「むはーっ」


 握手だけでは足りないようで、ヴィオシアは正面から抱き着いて胸元で深呼吸とかしてる。地味なのに豊かな女の子は裸に包帯巻いただけだから、うっかりで外れそうでおっかない。


「ドロテアちゃんも一緒に食べようなの、バナナカップケーキ!」

「えっ、ええ? 『合成インスタント』のご飯はダメだよヴィオシアちゃん、栄養が偏るよう」


 ともあれ、家庭教師としてはここだけ指摘しておかなくてはならないだろう。


「ヴィオシア、スカート、スカート。抱き着くのはいけどドロテアのホウキが引っかかって全部めくれてるし。ついにドジを極めやがったのか」

「えっ、ひ、ひゃああーっ!?」


 真っ赤な顔してババッと慌てて隠すヴィオシア。

 毛皮ビキニのじんろうしようじよとか裸マントの吸血鬼少女とかその辺をうろついている割に、(変に魔女系でこだわっているのか、お尻なんかファンシーなカボチャ柄の)ぱんつを見られるのは恥ずかしい文化らしい。……なら何でわざわざ穿いているんだろう? みようそうごろは根本的な定義の問題にぶつかっていた。いや違う、景色に圧倒されるな。おかしいのは裸マントの方だ。

 あるいはハダカ+1くらいなら普通な世界なのだろうか、とみようそうごろは首をかしげる。

 と、胸の大きな包帯メガネ少女がこちらに気づいて、


「え、あう。か、かか、家庭教師の先生さんもおはよう。きゃあ」

(小さい。声がメチャクチャ小せえ!! なに、何で涙目になって顔を真っ赤にするし。肌出しOKって世界のルールはどこ行った、オレの目だけは気になんのか!?)


 急に縮まった浪人友達を見て何かを感じ取ったのかもしれない。

 ヴィオシアがみようそうごろとドロテアの顔を交互に見て、


「むー。先生は私の先生なの、『指導契約』を結んだ専属の家庭教師! ドロテアちゃんもおっぱい大きいからって横から取っちゃダメなのっ」

「爽やかな朝の往来っていうのを考えろバカ」


 赤点魔女はほっぺたを膨らませると、両手を後ろに回し、みようそうごろの方に体当たりしてきた。主に貧しい胸をぶつけてくる格好で。


「なに? 色々平らだから微妙に痛てえしっ」

「精一杯の乙女の勇気に対してその言い方はいくらなんでもあんまりだと思うわ!!」


 がこがこという太い音がそんなみようそうごろ達を後ろから追い抜いていった。紅茶のカップみたいにお上品な馬車だが、階段の街だと馬の脚はともかく車輪の方は相性最悪だ。とにかく振動が大変そうだった。カーテンで遮った客車の中は知らないが、年配の御者とか普通に腰が痛そうにしているし。ほとんど金持ちお嬢様のの世界だと思う。

 やはりこの街で一番憧れる乗り物と言えばこっちだろう。


「「わあっ」」


 ヴィオシアとドロテアが早朝の青空を見上げ、仲良く声を上げていた。

 頭上を飛び越す格好でホウキに乗る魔女達が横切っていく。一人ではない。数人から一〇人以上の塊が編隊を組み、塊が集まって大きな流れを作り、ひしがたの街の外周から巨大な湖の一点を目指す。移動の面倒な階段の街を悠々と飛んでダイヤモンドダストで覆われた奥までちゆうちよなく向かうのは、召喚禁域魔法学校マレフィキウムの合格者だけに与えられた特権だ。

 ほとんど伝説化している彼らにだって生活サイクルや登校時間があるため、マレフィキウムの魔女達が一斉に飛び立つ朝のタイミングは半ばこの街の風物詩となっていた。これにタイミングを合わせた観光・見学ツアーもあるくらいだ。毎日見ているはずの道行くハロウィン仮装浪人生達も思わず立ち止まって頭上に目をやっていた。もちろん半分以上はえに似た嫉妬ややきもちだろうが、それでも隠しきれない憧れの光が瞳に混じっている。

 誰もが天空を舞いたいのだ。

 そして、だから今は地をう覚悟を決めている。年、という決して短くない時間を。


「すごいなのっ、魔女さん達にサインとかもらいたいわー」

「うん。お、同じ街で暮らしているのに。きゃあ。全然オーラが違う」


 高揚するドロテアは曇ったメガネを包帯で拭いていた。

 ちなみにマレフィキウムの生徒達も同じ街で寝泊まりしている。そして現役合格の魔女なんて現実的じゃない、が受験における暗黙の了解である。つまり逆に言えば憧れの対象である空飛ぶ魔女達もまた、かつては同じ浪人生だったはずなのだ。

 何しろ合格率や合格者名簿などは予備校最強の宣伝材料。

 お菓子の合成インスタントレシピの見本にも銀塩写真やリトグラフくらい使われている。ただ、たとえ顔写真を持って街中を捜してもマレフィキウム関係者は見つけられない。自身の偽装か、周囲の認識をゆがめるか。何にせよ魔法的な迷彩を使う隠者は俗世の騒ぎに巻き込まれる事を嫌う。

 決して手の届かない意地悪問題みたいな話じゃない。

 地続きの先に伝説がある。

 少女達が静かに興奮していくのも、まあ、無理もない話かもしれない。


「ね、ねえヴィオシアちゃん。きゃあ。私達も来年はあんな魔女になれるかしら」

「大丈夫に決まってるわドロテアちゃん。へっへー☆ 受験頑張って一緒に合格なの!」