エピソード1 ホウキと魔女の残念な子に魔王 ④

 はあ、と気づかれないようにみようそうごろはため息をついた。

 これはちょっと、



 緑区のR丁目。

 多くの魔女達が勉強するキャラウェイ・Cs予備校はとにかく『実習』が多い。

 一〇階建てくらいの四角いビル。周りのアパートメントとそう変わらない無個性な建物だが、何かとド派手な神殿学都での『普通』なので注意が必要だ。つまりアメリカ辺りの行政施設や裁判所のように、正面出入口には装飾用の柱が何本も並べられていた。もちろんこっちの世界の人達はアメリカの裁判所風なんて言われてもサッパリだろうが。


「それにしても不思議なの。予備校のアルファベットって時々変わるみたいだけど」

「……ま、温暖化の影響で異世界の地球のハーブの育成地や気候分類は変わったりするし」


 ? と首をかしげるヴィオシア。

 ヴィオシアやドロテアといった女の子達が吸い込まれたのは、やたらと広いガレージみたいな空間だ。ウィッチズポット実習室。みようそうごろにはなつかしい構造を連想させる。等間隔で大きな工作台が並べられ、班ごとに行動する広い空間は工作室や調理実習室に近い。魔女は作る術者、使う術者、話す術者だ。ウィッチズポットは三相の一角を占める重要な大鍋である。

 魔女達の予備校なので女の子ばっかりだ、なので何だか空気が甘ったるい。いやこれは、


「(おいこらヴィオシア、アンタそれ受講中にこっそりお菓子食べてんじゃね!?)」

「(こっ、これも受験勉強だわ。合成の実験っ、新しいレシピの試し撃ちなの)」


 ちなみにみようそうごろは予備校の受講生ではない。

 依頼人であるヴィオシアの勉強を支えるため、勝手に忍び込んでいるに過ぎない。みようそうごろは一七歳なので予備校内へ潜ってもさほど目立たないし。


「(というか、これは毎度毎度思っているけど、バレたら先生怒られるなの)」

「(別にオレ一人だけじゃねえし。教育係とか占い師とかその辺にちらほら部外者が紛れてるぜ? 義務教育と違ってクラスの連中が一年間固定って訳じゃねえんだ、予備校は。むしろ同じ部屋に誰がいるか把握してるヤツの方が少ねえよ)」


 とはいえ、それだけではないだろうが。

 そもそも予備校が普通の学校と決定的に違う点は別にある。


「それじゃあ実習前にみんなのフォーミュラブルームをガチで『開けて』もらうけどお。これだけはゼンゼン覚えておいてくださいね。かつては自分の力だけで魔法を使う男性は魔術師、大自然や他者から力を借りて魔法を使う女性は魔女と呼ばれていましたあ。魔女の力はスゴく強大だけど暴走するとマジ大変だったんでえ、失敗の側面ばっかりゼンゼン大きく取り上げられて魔女は災いを呼ぶーなんてパネェコト言われてた時代もありましてえ」


 シャンツェ・ドゥエリング。

 教壇に立って内部基礎整備を仕切る講師は二〇代の女性だった。


「ところがこの世界で魔法の知識がいったん絶滅した事でゼンゼン転機が訪れます。何しろ新しい魔法は異世界の地球からヤバい叡智を引っ張り出す……つまり他者の力を借りないと使えません。つまり女性側の魔女にしかガチの魔法は使えなくなっちゃったってワケ。でもでも失敗すれば暴走するってリスクはゼンゼンそのままだから気をつけてねえ? フォーミュラブルームは当たり前にあるけれど、決してチョー便利なだけの魔女術呪器じゃないんですからあ」


 おそらく地肌とは違うのだろう、しの力を閉じ込めた護符・ようこうばくふだ辺りで全身くまなく焼きまくった小麦色の肌。長い金の髪は頭の上で何重にも巻いて盛り盛りになっている。大きな胸を包むのは黒いベスト、ひようがらの見せブラと手首のシュシュ、腰回りを包んでいるのは超ミニのタイトスカート。後は首回りのネクタイとガーターベルト付きの網タイツと真っ赤なピンヒール辺りか。ちなみに説明がれているのではない、ブラウスがなかった。なので滑らかな肩も縦長のおへそも丸出しで、基本は女教師みたいなスーツなのにカジノのディーラーみたいになっている。とにかくモンブランっぽい色彩感覚のギャル系講師だ。


「(……うあー、ギャラさえくれればゼンゼンどんな仕事でもやるけどさあ。別にマレフィキウムを卒業した訳でもない独学なる魔女が何でチョー受験対策とかやってんのかしらねえ)」

「こぼれてる本音がすごーくあふかえってる」


 みようそうごろは思わず小声でささやいてしまった。

 そう。マレフィキウムになんか合格しなくたって、独学なる魔女でも魔法を使える。

 店舗で買うなり遺産として譲り受けるなりして、フォーミュラブルームさえ手に入れれば。そして一度自分のものにできれば、ある程度は分解して『整備』や『調整』もできる。

 だけどマレフィキウムの魔女は、フォーミュラブルームの『』に手が届く。

 安全確認の『整備』や、あくまでも最適化によって元々持っているスペックをギリギリまで引き出す『調整』を超えた禁忌。一線のさらに向こう側、不用意に開けてしまえば魔女のホウキの力を全て失う接触禁止の『コア』に手を加える事で、設計スペック以上の力を大きく伸ばしたり、そもそも魔女のホウキが持つ属性や性質そのものを変更したりもできる訳だ。

 つまり、『ある程度』を超えていけるのは合格者のみ。

 借り物の力に留まるか、自分の手で魔法の世界を進化させるか。

 召喚禁域魔法学校マレフィキウムに合格できるかいなかで、自由の幅は大きく変わる。


「先生はお金さえもらえればマジ何でも構いませーん。お給料アザース。それじゃあ魔女とホウキの関係について基本的なおさらいから。今でこそフォーミュラブルームとしてゼンゼン魔女の相棒としての地位を確立しているホウキですが、かつては木の柵、デカい臼、豚さんなんかにチョーまたがって大空を飛んだパネェ魔女達の話もありましてえ……」


 そしてこれが義務教育と予備校の明確な相違点。予備校とはお金を払って受験対策を行う専門の施設だ。教え子達の健全な精神を育むとか、詰め込み教育よりも大切なコミュニケーション能力を養うとか、

 つまり自分の報酬の獲得を邪魔しない限り、ここの講師陣は自分のような部外者を見かけたとしても特に注意したり摘まみ出したりもしない。かなしいかな、キャラウェイ・Cs予備校の先生達には身をていして生徒達をトラブルから守る気概なんてないのだ。

 古い本やこつとうひんも扱うためかげつこうばくふだの優しい光を使っているウィッチズポット実習室では、ひそひそひそ、という声があった。しれっと混じっている男の方を遠巻きに見て。


「(……『ナビゲートエグザム』)」

「(あの船乗りと『指導契約』できた受講生は必ずマレフィキウムに合格するらしいですが)」


 だからやめてほしい。白系セーラーは裸マントの吸血鬼や包帯ゾンビ少女が当たり前に街を歩くこちらの世界に合わせただけで、その変な異名も自分でつけたものではないし。


「(あれが受験に勝たせてくれる白馬の王子様……)」

(待って、王子!? 確かに白っぽい服は着てるけど王家と馬なんてどこから出てきたし!?)


 戦々恐々としているみようそうごろだったが、


「(……でも実際どうなのかしら。予備校系の合格者名簿に顔も名前もないのだから、少なくとも独学系の人間なんだろうけど)」

「(それ以前にオトコじゃない。魔女になれないなら卒業生な訳ないわ、ブラフよブラフ)」


 ようやく、みようそうごろは小さく笑った。

 完全な透明人間になってヴィオシアをサポートするのは至難。なのでこの流れで順当、周囲から低く見られるのはい事だ。受験はスポーツ大会と違って匿名性の高い競争なのだ。推薦や一芸入試でもない限り、基本的に関係者の名が売れても弊害の方が大きくなるだけだし。

 何にも気づいてねえ女の子は早くも作業台に突っ伏して唇をとがらせていた。


「ちえー。欲しいのはこういうややこしい理屈の話じゃないわ。魔女ならもっとこうカンスト魔力を覚醒させて、ばびゅーっと夜空を飛べたらいのになの」

「ヴィオシア」


 こいつは本当に浪人生か? 魔女の受験を一回経験した人間なのだろうか。

 ごっこ遊びに夢中な五歳児並みの間違いは早めに正しておこう。


便。あるのは意志だけで、力は適切なえいでもって大きな世界から引きずり出して取り扱うんだ。よくある間違いだから注意しろ」

「ふえっ?」

「特に、魔女は力を借りる存在だぜ。使役したり支配したりとは微妙に性質が違う。どれだけ強大な結果を出そうが、ここを忘れると増長の遠因になっちまうんじゃね? 夜空から墜落してくたばる魔女になりたくなけりゃ胸に刻んどけ」


 い機会だ。家庭教師の金髪少年は、別の作業台にいるゾンビ少女のドロテアと仲良く小さな紙切れを折った手紙のやり取りをしている(こらっ!)ヴィオシアにそっと声をかけた。