エピソード1 ホウキと魔女の残念な子に魔王 ⑥

 広いウィッチズポット実習室をゆっくりと歩いて回るギャル系講師シャンツェの話し方は滑らかだけど、それだけだ。レコード盤みたいによどみのない声は、(興味を持った教え子をつつくくらいはあっても)むしろ逆に受講生一人一人のケアなんてしない。予備校は義務教育ではないのだ。脱落者は当人が集中していないだけ、とみなされるのが受験の世界だ。

 みようそうごろは家庭教師である。彼が勝手に予備校に潜り込んでいるのは、あくまでもヴィオシアの勉強を見るためだけでしかない。

 ただし。

 ただし。

 ただし、だ。


(ううー。ったく仕方ねえ……)

「リュケイオン、城壁で囲まれたギリシャの庭園。なら浮かび上がるガイド役はアリストテレスじゃね?」

「きゃあっ! えっえっ?」

「だけど重要なのはそこ『だけ』じゃねえ。道具は道具だぜ、名前やブランドに惑わされるな。ただでさえホウキを使った精神集中には錯乱のリスクもあるんだから。魔女のしようは三つの相を重視し、時間や距離を無視して地形を飛び越えるって言ってるし。他の二つの相はどうなってんだ? つまり読み物の憧憬とゆがめられた力を逆手に取る邪悪だ」

「あの、そのう。し、シンデレラと不作の呪い、だけど」

「つまりアリストテレスの四大元素も込みで中心方程式は『変化』か、そして三つの相をつなぐ軸になる動物はネズミ。記述を自分で追ってみろ、整備すべき場所が分かるはずじゃね?」

「わあっ」


 プレゼントの箱を開くような声があった。

 地図の上に適切な記号を書き込んで関連づけ、どうやら問題が解決したらしい。


「あっ、ありがとう。きゃあ、家庭教師の先生さんっ!」


 無邪気に頭を下げられて、しかし、内心ではみようそうごろは微妙だった。

 というか両手で頭を抱えたい。

 ……だから他の受講生の面倒を見てどうするのだ。ライバルの点数が上がるという事は、相対的にヴィオシアの合格する確率が下がるという話に直結するだけなのに!?


3


「チョー注目っっっ!!!!!!」


 等間隔で照明の護符・ようこうばくふだがぶら下がった木目の美しい体育館が爆発した。

 くわん、と受講生の少女達の頭が一斉に揺れる。

 すぐにギャル系講師のシャンツェも気づいたようで、片手で作ったメガホンにげんな目を向け、それから自分の魔法を細かく調整して、


「あれ、マジ声量デカ過ぎた? あっ、あー。ゼンゼンこんな感じでしょうかあ?」


 ……現役の魔女をガイドに雇った神殿学都の集団見学ツアーや召喚禁域魔法学校の受験会場で人員整理にも使われるため、これが『人が直接振るう魔法』初体験という少女達も珍しくない。世知辛い受験あるあるであった。


「じゃあ改めてえっ、みんなチョー注目! 特に予備校に入ってからホウキをマジ整備してばっかりだった一浪の皆さんはこの校内ではゼンゼン初めての実習になりますよお!!」


 こんっ! とギャル系講師シャンツェ・ドゥエリングが逆さにした魔女のホウキ、フォーミュラブルームの先端で足元の床をたたく。見た目だけは木目まで美しい良く磨かれた体育館だ。

 が、彼女の後ろで床に縦と横に光のラインが走ったと思ったら、ぱたたたたたたた!! と一辺二メートルほどの正方形のパネルが一斉にめくれていく。光の粒子を散らしてパネルが消え去ると、そこは水深五メートル以上の大きな屋内プールへと景色を変えていた。

 ここは魔女達が空飛ぶ訓練を積む屋内練習場ウィッチズチムニー。

 ウィッチズポット実習室のある『構造棟』とは建物自体が違う。その隣にある『実践館』と呼ばれる建物だった。外から見ると似たような石造りのビルディングが並んでいるだけだが、実はこっそり中でつながっているのだ。建築基準法のない世界はこういう所がアバウトだった。ここだけでかなり広くて高い空間だが、実際には上にも下にも同サイズのフロアがある。


(いつ見ても……)


 スマホもエアコンもない世界なんて不便だなとは思うけど、でも、異世界の地球ではできない事を彼女達は当たり前に実行してしまう。

 前後に一つずつ、天井辺りから何か降りてきた。可動式のバスケットゴールっぽい動きだが、高さ一〇メートルはある飛び込み台だ。もっとも美しく落下するための設備ではないが。

 直線だけで作られる空間。結界と言えば床に描いた円を想像する人も多いかもしれないが、自然から人工的に風景の一角を切り取って隔離する意味では直線も好まれるモチーフだ。

 ギャル系講師のシャンツェは受講生達の注目を集めつつ、


「それじゃあ事前準備と内部構造のお勉強がゼンゼン終わったからあ、いよいよ念願のっ、待望のっ、ガチ実習にチョー移りますよお? まずは先生のお手本から」


 高さはざっと一〇メートル、飛び込み台から飛び込み台までの距離は五〇メートル程度か。

 水深は五メートル。ホウキの操作を誤ってぐ落ちても死なない安全設計らしい。


「プールの水は清潔だけど、ドクターフィッシュ系の使フアミリアーさんが汚れを食べるらしいなの。徹夜続きで落ちるとたくさんついばまれてお肌のケアを怠ってるのもバレちゃうかもだわ」

「それ以前に失敗前提で考えるなヴィオシア、ここはホウキで飛ぶ訓練する場所じゃね?」


 ……あとこちらの世界の受験生は落ちるとか滑るとか、言葉の縛りは気にしない系なのだろうか? 一度は知識の継承が絶滅したとはいえ、を振るう魔女達の受験なのに。


「フォーミュラブルームは基本的に前へチョー進みます。ゼンゼンその場で停止とか垂直に上げ下げとかはマジムリめ。魔女のホウキが一ヶ所にガチ留まらないのは、『夜空を壊しながらガチ前に出て、痕跡をチョー速やかに修復しながら飛ぶ』乗り物とされてるからでえ……」


 一〇メートルとなると三階分くらいある。なので飛び込み台のてっぺんまで向かうにも、階段を何度か踊り場で折り返さないといけない。

 その間、お手本役のシャンツェ・ドゥエリングはバトンみたいにくるくると魔女のホウキを回していた。彼女のフォーミュラブルームは良く磨かれた重役さんの机に似た意外とシックな色彩で、オトナな木目を強調したもの。柄には太い革のベルトが取りつけてあった。馬を操る時に使う手綱だ。あと通常モデルと違い、ホウキの先に刃物に似た小さな翼が二つある。


。なのか?)

「フォーミュラブルーム=レイクパダーン。ガイドを表出、応えてえーマーリン」


 返事がなかった。

 なんか気まずい空気が流れるが、本人的にはいつもの事なのだろう。ギャル系講師のシャンツェはあまり気にした風でもなく演技的に唇をとがらせると、


「ああそう。きちんと正しく呼んできちんと区別しないとチョー答えてくれない系ねえ?」


 レーシングカーみたいにピッカピカ、太いホウキの先に軽く口をつけて、そっとささやく。

 声を増幅させる魔法を使っているので下まで丸聞こえなのだが。


「お・ね・が・い、Myrddinミルデインさあん☆」


 ブゥン!! とホウキの各部にぬめったオレンジの光が走る。浮かぶのは魔法陣やシジル、各種呪文など。おかげでもっとレーシングカーっぽくなった。

 フォーミュラブルームが『起動』したのだ。

 飛び込み台の縁に危なげなく立って、ギャル系講師は下方プールサイドへこう言った。


「魔女は空を飛ぶ時にチョー『こうやく』の補助を借りられます☆」


 説明しつつ、シャンツェはキャップを外した小瓶から白い塗り薬を指ですくった。てのひら全体でそれをホウキの柄に塗っていく。フォーミュラブルーム=レイクパダーンはくすぐったそうに左右に細かく震えていた。


「寒さからチョー身を守るためにカラダに塗ってもいしい、あるいは追加燃料としてホウキにすり込んでマジ超加速させるのもゼンゼンあり。ただしい、絵具えのぐや調味料と一緒であれもこれもとチョー全部載せすると台無しになるから、自分の長所はどこで短所は何か、伸ばすのか埋めるのかも含めてゼンゼン自分に合った選択をしてくださいねえ?」


 よっと、という掛け声があった。

 足を大きく開いてホウキにまたがったシャンツェ・ドゥエリングは、高さ一〇メートルはある飛び込み台の縁をちゆうちよなく自分の足で蹴る。

 魔女のしよう

 とはいえ、爆発的なせんこうが吹き荒れたり音速超えの衝撃波がさくれつしたり、といったド派手な超常現象は起こらない。全体的に言えば静かなものだった。

 ふわり、というのが正しい。

 ぶっちゃけ走って体育館を横断した方が早いくらいだろう。

 ただし、だ。


「魔女のホウキは基本的にマジ黙っていてもチョー前へ進む」


 危なげなく飛び込み台の縁と同じ高さをゆっくり進みながら、シャンツェはそう続けた。飛びながらついでに話をするだけの余裕があった。


「つまり低速で安定させる方がガチ大変なんです。この屋内練習場ウィッチズチムニーはさほど広くないですし、こう、こうして、チョー高度なバランス感覚を肌で覚えてくださいねえ。マジ低速で安定さえできれば高速で飛ぶのはゼンゼン難しくありませんから。よいしょ」


 見た目は適当だが、宙を舞う金髪褐色のシャンツェが手綱を強く引いた途端だった。