エピソード1 ホウキと魔女の残念な子に魔王 ⑦

 ぐんっ!! と。

 フォーミュラブルームの先がほとんど真上を向き、さらに減速する。

 歩く、よりも遅い。その場に留まるホバリングや垂直離着陸は絶対できないとは言わないまでも、やはり一般的ではないのは事実だ。

 ベースはエイランタイにビャクダン。つまり『低速飛行時の安定性増加』というこうやくを追加で併用しているとはいえ、あそこまでやっても失速して落ちない魔女にはどれだけの知識や技術、そして意志が詰まっている事だろう。

 その特殊な挙動を見上げて、ついみようそうごろなつかしい単語を頭に浮かべてしまう。


(……?)


 五〇メートルの長さをたっぷり一分以上滞空して、そしてシャンツェは向かい側にあったもう一つの飛び込み台の縁へ足を乗せる。独学だろうが何だろうが彼女の実力はやはり本物だ。予備校の講師として、教える側に回るだけの事はある。

 ぱちりと片目をつぶって投げキッス、大きく足を開いてホウキから降りたシャンツェは魔法で増幅した声を使ってこう合図を出す。


「注目アザース。それじゃあ皆さん、いよいよチョーお楽しみの実習スタートですよお☆」


 わっ!! と。

 ハロウィン仮装みたいな魔女の受講生達が一つしかない階段へ殺到していく。あっという間にバーゲンセール直前に似た行列ができてしまう。やはり一番威勢がいのはキャラウェイ・Cs予備校の実習施設に初めて触れる、一浪連中や他の予備校から移ってきた子達か。

 時間の使い方は自由だ。究極的に言えば講師であるシャンツェの言葉を聞く必要すらない。

 予備校が普通の学校と違うのは全員がテキストをすでに最後まで読み、そして受験で最低一回は失敗している点だ。それぞれつまずく場所は違っており、他の部分の説明は重要度が下がる。

 ただし勝手な取捨選択によって勉強についていけなくなっても自分の責任、成績が下がったところで予備校側は月謝を返したりはしないが。

 長い長い階段だ。みようそうごろの隣ではヴィオシアもまた待ち時間を使って、唇をとがらせながら手元の小さな単語帳をめくっていた。暗記科目というとやっぱり憧憬辺りか。


「ATU0500は超自然の援助者の名前、ATU1000は怒らない事を競うなの……」

「キリのい数字だけ覚えようとすんなヴィオシア。いくら何でも大雑把過ぎるし」

「ややこしいなの、だって覚える総数が四ケタ単位とかやりすぎなの!」

「オイ、暗記モノっつっても『使う知識』じゃね? ◎プラス一点。どうせ一つでも多く覚えんなら見出しが作品のタイトルそのものになってる番号の方がイメージと結びつけやすい。例えばATU0328aはジャックと豆の木、ATU0510aはシンデレラだ。文章が独立してるヤツでも歴史の勉強と一緒で、人物の顔や性格まで浮かぶようになりゃ絶対忘れねえ。ATU0124は家を吹き飛ばす、より三匹の子豚をイメージした方が覚えやすいし」

「えーっ? でも先生これ間違いもあるなの、だってあちこち番号ダブってるわ」

「そこはややこしいトコだな、後ろのアルファベットや*も古い編纂の名残だし。まあ記録の仕方によって話の流れが変わる事もあるって覚えとけ、ATU0315の不実な妹とATU0315aの人食い妹って感じで」

「ややこしくて怖いわっ!!」


 頭を抱え、行列の動きに合わせ階段を一段上がり、そして急にヴィオシアがこっちに叫んだ。


「じゃじゃんなの! 先生ATU0310は!?」

「塔の中の娘、ラプンツェルって名前を出した方が分かりやすいんじゃね?」

「くそー、覚えている人は秒ですらすら言えるなの……」

「できない人を捜して安心するクセは直せよヴィオシア、それは受験の世界じゃ通じねえ」


 農家が畑にいている種の名前も知りませんじゃ話にならないのと同じく、魔女の世界ではATU番号なんて基礎の土台だ。暗記で何とかなる上に数字の並びにはある程度の規則性もある。すらすら言えたところで胸を張るような話ですらない。


「ぐぬー。憧憬の頂点ってファンシーな読み物ばっかりでなんか子供っぽいなの、私はもっと夜とか闇とかが似合うオトナな魔女になりたいわ!」

「げに愚か者めが……」

「古風に罵倒されたなの!?」


 なんか飛び上がるほど驚いているヴィオシアだが、それどころではない。

 そもそも勉強に近道やショートカットはない。数学の問題が面倒だからと言って、いきなり教科書を五〇ページも飛ばすアホがいてたまるか。


「三つの頂点に優劣はねえよ、三相を全部覚えなくちゃ魔女は大空を飛べねえし」


 つまり一から教えるしかなかった。何度でも。

 分からない人には分かる所まで戻る、だ。


「具体的には太古の頂点が力の発生だぜ、ただしホウキを使った極度の精神集中は錯乱のリスクもあるし。それを読み物のモチーフで抑える憧憬の頂点がコントロールやブレーキだ。じゃあヴィオシア、周囲の偏見や悪意をわざと取り入れた黒ミサ、邪悪の頂点の役割はどれだ?

 1・オモリをつけて安定させる。

 2・意図した力の暴走による爆発的増幅。

 3・特殊なフィルターを通して放出する力の浄化」

「? ???」

「正解は2だ」


 か三択問題に当てずっぽうで挑む事をちゆうちよする少女へみようそうごろは指を二本立てて、


「こういう感じで、邪悪の頂点は根も葉もねえ差別やねつぞうから本当に黒ミサの効力を信じて悪魔を拝む人間が出てきちまうくらいややこしいけど、憧憬の頂点は最も構造が簡略化されてて把握が楽ちん、だからいざって時のブレーキに重宝する。読み物を暗記するだけで習得できるから応用や複雑な計算もいらねえ。はっきり言って覚えねえのはバカのする事じゃね?」


 少しずつでも列が前に進むと、階段を上る訳だから高さも上がる。

 全部で一〇メートル、ざっと三階分。人によっては足がすくむ高さかもしれないが、


「ひゃー、上がってきた上がってきたなの! 私のテンションも上がってきたわー!!」

「ヴィオシア。分かったからホウキをブンブン振り回すんじゃねえよ、危ねえ」


 笑顔が輝いちゃってる女の子をそっと注意する。

 高い所を怖がらない。むしろテンションが上がる。

 馬鹿馬鹿しいが、あるいはこれも魔女に求められる素質の一つかもしれない。

 一番てっぺんまで上る。いよいよヴィオシアやドロテアが初めて予備校の実習設備を使う番がやってきた。

 ぇぅぅ、という小さな声があった。

 ゾンビ少女のドロテアが飛び込み台を見て小さくなっている。高い所が怖いというより、大勢に注目されるから自分の番になってほしくない、と涙目のメガネ顔に書いてあるようだった。少しでも練習したい予備校生達は私もボクもと殺到するため非常にレアなケースだ。


「ドロテアちゃんっ、じゃーんけーんなの!!」

「きゃあ!? えっ、えぅ!?」

「うわグーで負けたわ。じゃあドロテアちゃんからお先にどうぞなの」

「ええっ? きゃあ。あっ、あああ後でいよう」


 勝ったのにメガネがずり落ちるくらいキョーシュクしてる少女が順番を譲ってしまった。ごとだが、これで受験に勝てるんだろうか?

 一方のヴィオシアも、どちらも譲り合っているのでは先に進まないと感じたのだろう。自分の方が前に出る。


「それじゃ私から行っくなのー。メフィストフェレスも準備してなの! お薬ぬりぬり」

「おいヴィオシア、アンタそれ何のこうやくを使ってんだ?」

「何ってえー先生、カリロクとショウガで追加燃料系なの」

(あれ……? それってつまりアフターバーナー的な超加速じゃね!?)

「ほら低速では安定しない場合、いっそ速度を出してしまった方が安心して飛べるわ。ヴィオシア・モデストラッキー、そんな訳でぶっ飛ぶわ!」

「ちょお待っ、


 ドゴンッッッ!!!!!! と。


 砲弾みたいなさくれつおんがあった。

 ぶっ飛んで天井に突き刺さったのだ。

 冗談抜きに、五〇メートル以上ある屋内プール全体が縦に小さく震動してしまった。

 ……そりゃそうだ。最初から空間が壁や天井で全部覆われている屋内練習場ウィッチズチムニーで超加速なんてしたらどうなるか想像できなかったのかポンコツは?

 ギャル系講師もゴール側の飛び込み台から天井を見上げて、逆に感心した声を出していた。


「……うわー。下に落ちる事故は想定して深いプールまでチョー用意していたけど、ガチ上にぶつかる展開はゼンゼン予想外ですねえ」

「えうー、なの」


 へろへろとヴィオシアは魔女のホウキをつかんだままはるか下のプールへと落ちていく。残念ながらしてやれる事はない。というか本気で頑丈さだけが取り柄の女の子であった。

 そしてあんなあそこまで見事な大失敗を見せつけられたら、ますます内気な包帯ゾンビ少女が萎縮してしまいそうなものだ。


「きゃあ」

(まあこうなるし)


 現実にドロテアは両手でフォーミュラブルームを握ったまま、小さくなって石化していた。