第一章 ネズミ肉串と小籠包 ②

 面倒を見ている子供の数は五、六人だったと記憶しているが、食べ盛りの子供を抱えている明香音と美都璃のホーム『イーストウォーター』ではエンゲル係数が乱れがちだ。

 明香音も美都璃もイーストウォーターで姉妹同然に育った身であり、自分自身よりも弟妹達を優先してしまう。

 結果、食料が不足すると美都璃が最初に飢え始めることとなるのである。

 明香音との付き合いの長さは、そのまま美都璃との付き合いの長さでもある。

 美都璃のことを持ちだされると、ニッシンも否とは言えない。


「それなりの量運ぶことになるな。ヒュムテックがいる。いつ出るんだ」


 その瞬間、明香音の表情がパッと明るくなった。


「ありがと! ニッシンならそう言ってくれると思ってた! 今日の夜の六時にいそのマリーナで待ち合わせだから、四時半くらいに横須賀を出れば十分間に合うよ!」


 横須賀のアディクターで運び屋をやるなら、どんなオンボロでもこのヒュムテックを持っていなければ話にならない。

 かつての鉄道路線は全て戦火で消失しているが、三浦半島の北半分を占める丘陵地帯、三浦丘陵を貫く鉄道跡や国道の痕跡は今も重要な交通インフラとして機能している。

 だがそういった太い道には食料国防隊が網を張っている可能性が高く、そこをにすり抜けるかもアディクターの腕が問われる部分だ。

 山がちな地形の三浦半島では、食料国防隊を迎撃したり、追跡を振り切ったりするのに多脚歩行が可能なヒュムテックの運用が欠かせない。


「もちろんフロントマンは私がやるよ。ニッシンはバック。万一接敵した場合は分散行動で、ランデブーポイントはA5~E3を進撃ポイント順に……」


 明香音はアディクターの間では聞き慣れた符丁で計画を進めていく。

 地獄の金沢ラインとやらの情勢は気になるが、ニッシンが聞いても無理の少ない現実的な輸送計画だと判断できた。


「いやー助かったよ本当。イレギュラーな輸送を引き受けてくれるシンジケートメンバーなんてニッシンくらいしかいないから、引き受けてくれなかったら美都璃も私も干上がるとこだったよ。ここは私が奢るから、ニッシンももっと食べて! もーニッシン大好き!」


 不安が吹き飛んだ明るい笑顔で調子のいことを言う明香音に、ニッシンも苦笑するしかない。


「美都璃の名前出されたらそう言うしかないだろ」

「えー!? 何それー! 私のためじゃなくて、美都璃のために働くってわけー?」


 だがすぐにむくれた顔になった明香音は、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたのに、わざわざニッシンの側に座り直してニッシンの腕を取る。


「前から思ってたんだけどさ、ニッシンは私と美都璃とどっちと一緒になるつもりなの?」

「俺の人生設計その二択しか許されないのか」

「やっぱ美都璃も選択肢に入ってるんだね。ニッシンが美都璃を見る目、なんかいやらしいもんね。前から思ってたけど」


 何故か睨まれあらぬ疑いをかけられる。


「確かに美都璃はわいいよ。可愛いだけじゃなくて頭いいしおっぱい大きいしさ」

「大事なことだな」

「ちょっと?」


 圧が一段重くなる。


「……その二択以外を選んだら死刑になるってんなら、明香音の方が気が楽かな」

「えっ」


 だが重くなった圧は一瞬で霧消した。


「仕事で人となりも理解しているし、何より強いからな。過剰に気を遣わなくていい相手ってのは一緒に過ごす上で大事な要素じゃないか?」

「えぇ~もうニッシンってば、そんなことで誤魔化されたりなんかしないんだからぁ」


 そのまま浮き上がりかねない明香音の現金さに若干呆れ気味なニッシンは肉串をもう一本手に取ろうとして、


「……」


 抱き寄せられた腕に、震えが伝わってきたのに気が付いた。


「大丈夫だ。今度も帰れる。俺がサポートにつくんだ。美都璃やガキどもを悲しませるようなことにはならない」


 五年。

 ニッシンが知る限りの、明香音がアディクターとして活動していた期間だ。

 アディクターとしてはベテランだ。大抵が一年目で死ぬか逮捕され、二度と横須賀には戻ってこない。

 明香音は自分の力で家族を養い、シンジケートにも実力を認められている。

 それでも出撃前は、こうして一人で恐怖に震えているのだ。

 軽口はその裏返しでしかない。


「……じゃーこの仕事終わったら結婚しよ」

「死亡フラグ立てに行くなバカ」


 このやりとりも、いつものことだ。


「ちぇー、テンション下がった。やっぱここ、ニッシンの奢りね」

「分かったよ。元々遅刻したのは俺だ」


 十本あった串のうち二人で二本ずつ食べ、六本と残飯チャーハンには手をつけない。


「待ち合わせは旧横須賀駅でいいな」

「うん。ありがと」


 残したものはそのままパッキングして、美都璃と子供達への土産にするのだ。

 ニッシンは席を立つと、ちゆうぼうからこちらの様子をうかがいながら口を挟んでこない端木にしわくちゃの一万円札を放り出すと、そのまま店を出た。


「地獄の金沢ライン、か」


 悪い情報はある意味で話半分。ある意味で過剰に意識しなければならない。

 警戒はどんなにしすぎてもしすぎることはないが、過剰に恐れていても仕事にならない。

 ニッシンはグレーチングストリートの片隅にある延命地蔵尊に立ち寄り、さいせん箱にコインを放り入れ、軽く手を合わせる。


「ま、神様仏様に祈ってどうにかなるもんなら、こんなに腹減る世の中にはなってねぇだろうけどな」


 ニッシンは小さくぼやくと、磯子行きの準備をしにバイクを走らせた。



 旧横須賀駅前。かつてはバスロータリーだった場所で待機していたニッシンの前に、明香音の四脚歩行型ヒュムテックが姿を現した。


『松─ハ型』というかつての型番から『松葉ガニ』や『ズワイガニ』と呼ばれ、平地の最高巡航速度は時速百キロにも及ぶ多脚戦車だ。

 三浦半島でのアディクター活動にいては、六十度の坂も登ることができる優れた脚力も見過ごせない。

 逃走速度と登攀のための軽量化を優先しているため装甲はもろいが、警察も食料国防隊も軍用の対戦車砲は装備していないので、明香音はこれまでその速度で数多の敵を翻弄してきた。


「ニッシン、お待たせ」

「遅い。そっちが指定した待ち合わせ時間だ。五分すぎてるぞ」

「ごめんって。子供達がなかなか離してくれなくてさ。美都璃がニッシンによろしくって」


 明香音は仕事に出るとき、いつも子供達との別れを強く惜しんでいる。

 それを知っているだけに、あまり強いことを言えない。


「行きはどうすんだ。旧16号をそのまま上がってくのか」

「うん。田浦を抜けたらたかとりやまの方に回って、旧高速道路沿いに山を抜けよう。その後は臨機応変に」

「了解。それじゃ行くか」


 ニッシンは立ち上がると、自分も背後に駐機してあったヒュムテックに搭乗した。


『カンナC型』。通称ヤドカリと呼ばれる輸送特化のヒュムテックで、武装は申し訳程度にしかないが、小さな体で出来るだけ大容量、できるだけ高速度を目標に設計されていた。

 速度も登攀能力も明香音の松葉ガニには及ばないが、コンテナの積載量なら単座式ヒュムテックとしては最上位レベルだ。

 昨年冬の三浦半島浄化作戦ではコンテナの収容量と頑丈さ、ニッシンの操縦技術を買われ、物資の輸送や負傷したアディクターの撤退戦支援など後方支援活動に従事した。

 負傷者を救助する、というミッションのせいでミッションの道中に食料国防隊員を助けるという余計な面倒を背負い込むことにもなったが、とにかくヤドカリは仕事に欠かすことのできないニッシンの愛機である。

 ずうたいの割には静かな駆動音を響かせ、二機のヒュムテックがでこぼこの道をまるで舗装されている道のように疾走する。

 既に暗くなり始めている時間帯だが、街灯などという設備は横須賀には存在しない。

 ニッシンはコックピットの中で、明香音の松葉ガニのナビゲーションシステムとリンクしているマップデータを何となく見ながら、山の影で薄暗くなった旧16号をひた走った。

 かつて三浦半島は、そこに住んでいない者にとって『海の土地』だった。

 都心にほど近い高級保養地・別荘地として名高い逗子に葉山。

 米軍基地と海上自衛隊が東京湾に睨みを利かせる横須賀。

 二百六十年の徳川の支配を終わらせるきっかけとなった黒船来航の地、浦賀とはま

 そして遠洋漁業の基地であり日本有数のマグロの水揚げを誇った港町である三崎。

 三浦半島を象徴する都市はみな、海のイメージと強く結びついていた。

 だが二〇七五年、そのイメージを持つ日本人は決して多くない。

 三十年前に起こった第三次世界大戦の太平洋戦線に於いて首都東京の防塁としての役目を果たした三浦半島は、地形地質学的には三浦丘陵が構造の主体となっている『山の土地』だ。

 平地に乏しく起伏の多い地形であり、その構造が南の海から迫る侵略者の陸上進行をはばむのに最適であったため、戦中は海軍戦力と同規模の陸上戦力が相模さがみわんから三浦半島一帯に集結した。

 そして五年に渡る侵略戦争の防波堤となった三浦半島は、戦後の経済復興に於いて取り残された広大な廃墟となった。

 横須賀に限らず、第三次大戦で戦場となった多くの都市は、復興もままならぬまま取り残されていた。