俺が江奈ちゃんと出会ったのは、中学三年の秋だった。
とは言っても、彼女のことはこの学校の中等部に入学してすぐの頃から知っていた。なにしろ江奈ちゃんは、俺たちの学年の間ではちょっとした有名人だったからだ。
まず、頭が良い。江奈ちゃんは学年で成績上位四十人しか入れない特別進学クラス、通称「特進クラス」に所属する優等生だ。定期テストの成績順でも常に学年五位以内には入っている。
次に、家柄が良い。なんでも彼女は、俺たちの暮らすこの港町で代々貿易商を営んでいる旧家の生まれなんだとか。さすがに漫画とかに出てくるような「ご令嬢」というほどではないにしろ、いわゆる「良いとこのお嬢さん」ってやつだろう。
そして何より、見目が良い。濡れ羽色の長い黒髪に、対になるような雪の如く白い肌。長いまつ毛の下からのぞく薄紫色の瞳が、清純で落ち着いた雰囲気の彼女によく似合っている。まさに「清楚可憐」、「大和撫子」といった四字熟語の代表例みたいな美少女だ。
それにも拘わらず、その家柄や美貌をひけらかすようなことはけしてなく、むしろ誰に対しても敬語で接するような品行方正な人となりときた。
いきおい、彼女とお近づきになりたい男子なんて同学年の中だけでもごまんといただろう。
(俺みたいな日陰者なんて、卒業するまでにまともに話す機会すらないんだろうな)
しかし、俺のそんな予想とは裏腹に、その機会は突然やってきた。
それは中学三年の十一月、うちの学校で毎秋に開催される文化祭での出来事だ。
当時、俺のクラスは出し物として十五分くらいの自主制作映画を作ることに決定。クラスで唯一の映画研究部部員だった俺は、半ば強制的に脚本その他諸々を押し付けられたのだ。
しかも、内容は「青春恋愛もの」。はっきり言って俺には無縁もいいところなテーマだ。
それでも陰キャなりに必死こいて青春恋愛映画を勉強し、苦労して脚本を書き上げた結果。
俺たちの映画は学年で一位、中等部全体で見ても上位に入るほどの集客率を記録した。
とはいえ、好評の理由のほとんどは、ヒロインを演じた女子が男子人気の高いチア部の子だったから、というものだった。上映後のアンケートでも「ヒロインの女の子が可愛かった」だのといった感想ばかりで、俺は正直うんざりしてしまっていた。
だけど。
「この映画の脚本を書いたのって、あなたですか?」
そんな中で一人だけ、そう言ってわざわざ俺を訪ねてきた女の子がいた。
それが江奈ちゃんだった。
聞けば、江奈ちゃんは俺と同じく映画鑑賞が趣味で、休日に一人で映画館に足を運ぶこともよくあるという。
だからこそ、というべきか。江奈ちゃんは他の客とは違い、俺が苦労して考えた物語の構成やストーリーにも注目してくれて、その上で「面白かった」と言ってくれたのだ。
それまで全く接点はなかったけど、同じ映画好き同士ということで俺たちはすっかり意気投合。文化祭をきっかけに、それ以来よく二人で話すようになったのだ。
「そういえば、今週の土曜日ですよね? あの新作アニメ映画の公開日」
「ああ、あれか。面白そうだけど、あの監督の作品ってなんというか、『青春ド真ん中!』とか『エモさ爆発!』みたいな感じでしょ? お客さんもリア充カップルばっかりだろうし、ちょっと陰キャが一人で観に行くのはハードル高いっていうか、ね。ハハハ……」
「じゃ、じゃあ、あの……二人でなら、どうですか?」
「え?」
「ち、ちなみに、なのですがっ。今週の土曜日は、私、何も予定がなくて、ですね……」
「……ええっ、と。なら、その……一緒に、観に行く? 土曜日」
「っ! はい、ぜひ!」
やがて学校が冬休みに突入する頃には、連れ立って映画を観に行くほどの仲になっていて。
このころには多分、さすがに俺たちもお互い気付いていた、と思う。
同じ映画好き同士で、好きな作品について存分に語り合える仲間。
だけどもう、きっとそれだけでは足りなくて。
この関係が壊れるかもしれないと分かっていても、あと一歩を踏み出したくて。
もう二人の内のどちらが先にその一歩を踏み出してもおかしくなくて。
だから、俺と江奈ちゃんの関係が「気の合う友人」から「恋人」に変わるまでに、そう長い時間はかからなかった。
──それが、わずか数か月で終焉を迎えることになる儚い恋になるなんて、もちろんこの時の俺は知る由もなかったのだが。
※
私立帆港学園は、市内でも結構な進学校として名高い中高一貫校だ。
「自由な校風」と「世界に羽ばたく人材育成」をモットーにしているとかで、カリキュラムや学校行事なんかも、生徒の自主性を尊重したり国際色豊かだったりするものが多い。
そんな意識高い系の学校なだけあって、生徒は男子も女子もレベルの高いやつが多い。どいつもこいつも育ちの良さが外見にも表れているのか、美男美女率が高いのだ。
しかし、当然だが一部には例外も存在する。そんなキラキラ男女たちがキラッキラなスクールライフを送っている陰で、モノクロの青春を送っている奴だっている。
例えばそう、いまこの一年四組の教室の隅っこで、死んだ魚みたいな目をしながらゾンビみたいな呻き声をあげている男子。こいつなんかが良い例だろう。
……まぁ、俺のことなんですけどね。
「ありゃまぁ。それはなんというか、ご愁傷様だったね~」
ひとつ前の席に座る級友、樋口が、机に突っ伏す俺に向かって手を合わせる。
俺が江奈ちゃんにフラれてしまったことを聞いての第一声である。
「でも、僕が見てるぶんには特に険悪そうじゃなかったけどなぁ。なんでフラれちゃったのさ? もしかして……無理やりエッチなことでもして嫌われちゃったとか?」
「は、はぁっ!?」
思わず素っ頓狂な声をあげて立ち上がってしまう。教室で談笑していたクラスメイトたちの視線が、一斉に俺に集まった。
「あ、あっはは……すみません、はい……」
引きつった愛想笑いで頭を下げつつ、俺は声を潜めて樋口に言い返す。
「するわけないだろ、そんなこと!」
むしろ逆だ。中三の冬休み明けに付き合い始めてからのこの四か月、俺は江奈ちゃんとはとても清いお付き合いをしていた。
もちろん、俺も年頃の男子高校生だし、そういうことに興味が無いわけじゃない。
だけど、なにしろ相手は旧家のお嬢さんだぞ? 俺みたいなド庶民の小僧が迂闊にも手を出したりした日には、どんな制裁が待っていることか。男子人気の高さに反してこれまで江奈ちゃんに浮いた噂が無かったのも、きっとそういった理由からに違いない。
それでなくとも清楚で優等生な彼女のことだ。付き合ったばかりなのにそんな風にベタベタされるのは嫌がるだろうと思って、手を握ったことだってほとんどない。
彼女が嫌がりそうなことは、極力しないようにしてきたつもりだ。
「じゃあ、なんでフラれたわけ?」
「それは……言いたくない」
知らぬ間に彼女が浮気をしていて、しかもその相手が女子でした……なんて、そんな情けないこと言えるわけがない。
いやまぁ、最近じゃ同性同士の恋愛も珍しくないって聞くし、ましてや相手があのイケメン美少女の水嶋とくれば尚更だろう。だけど、それにしたって男としてほとほと情けない。
ああほんと、初めて彼女ができたって、浮かれていた俺がバカみたいだ。
「きっとこのまま二度と彼女もできずに、ひとり寂しく死んでいくんだ、俺は……」