ちょうど朝のHRが始まるチャイムが鳴り響き、あの場は結局そこで解散となった。
去り際に「話の続きはまた後で」なんて言っていたが……正直、あいつが何を考えているのか俺にはさっぱりわからなかった。
本当の狙いは江奈ちゃんじゃなくて、俺だった?
俺から江奈ちゃんを奪っておきながら、今度はその俺に「付き合って」だと?
「だめだ、頭がこんがらがってきた……あっ」
眉間にシワを寄せたまま購買へとたどり着いた俺は、順番待ちをする生徒たちの列の中に、見知った女の子の姿を見つけた。
「江奈ちゃん……」
俺の視線の先で、江奈ちゃんは友達らしい女子二人と列に並びながら談笑していた。
口に手を当てて微笑んだり、友達の冗談に困り顔を浮かべたり、なんだか楽しそうだ。
ああ、やっぱり可愛いよなぁ、江奈ちゃん。
なぁおい、信じられるか? つい一昨日まで、あの子俺の彼女だったんだぜ?
「……あ」
ついじっと見つめてしまっていると、不意に江奈ちゃんと目が合った。
一瞬驚いたように目を見開いた彼女は、それでもすぐに俺から視線を逸らしてしまう。
どうやら、もう俺とは顔も合わせてはくれないようだ。
「はぁ……女の子って、怖いなぁ」
軽く泣きそうになりながら、俺も江奈ちゃんたちがいるのとは違う列にとぼとぼと並んだ。
悲しいかな、どんなに気分が落ち込んでいてもお構いなしに腹は減るのが、育ちざかりの男子高校生というものである。
「はい、次の人!」
やがて俺の順番がやってきて、購買のおばちゃんが注文を促してくる。
「えっと、特製コロッケパンとチョココロネを一個ずつください」
「あ~、ごめんね! どっちもちょうど売り切れちゃったよ!」
「え、あ、そう……すか」
「パンはコッペパンなら残ってるんだけどもね! どうする?」
おばちゃんは早く俺の注文を片付けて次にいきたいらしい。
急かすような言葉に流されて、俺は咄嗟に「あ、じゃ、コッペパンで」と答えてしまった。
「今日に限って売り切れなんて……厄日だな」
つくづくメンタルが削られる一日だ。俺は食べたくもないコッペパン片手に購買を後にする。
そうして、どこか静かな場所で昼休みをやり過ごそうと校舎内をうろついていると。
「えい」
「あでっ」
不意に背中に何かが当たり、俺は反射的に振り返った。
こ、この聞き覚えのあるハスキーボイスは……。
「や、颯太。さっきぶり」
果たして、振り返った先にいたのは水嶋だった。
その手には小さなビニール袋。さっきはこれを俺の背中にぶつけてくれやがったらしい。
「……なんだよ。まだ俺になんか用があるのか?」
「そりゃあるよ。さっきの話の続き、しようと思って」
そう言って、水嶋は手に持ったビニール袋を掲げ上げた。
中には購買で買ったらしいパンやらパック飲料なんかが入っている。
「お昼、一緒に食べない?」
「はぁ? なんで俺がお前なんかと」
「え~、いいじゃん。すごくレアだよ? 私から誰かをお昼に誘うなんてさ」
たしかに、あの人気モデルでカリスマJKな水嶋静乃サマからのお誘いだ。
普通の男子なら、いや女子でも、喜んで付いていくところだろう。むしろ、自分たちの方から「ご一緒させてください」と頼む奴がほとんどに違いない。
だがしかし、いまやこの女は俺の彼女を奪った宿敵以外の何でもない。
一緒に仲良くランチタイムなんて、そんなのまっぴらごめんだぜ。
「嫌だ。というか、江奈ちゃん……里森さんはどうしたんだよ。俺なんかより『恋人』と一緒に過ごす方がいいんじゃありませんかね?」
吐き捨てるような俺のセリフに、水嶋が苦笑する。
「まぁまぁ、そう言わずに。一緒にお昼ご飯たべようよ。いいでしょ、颯太?」
「やかましい。さっきから颯太、颯太と馴れ馴れしいぞお前。嫌だって言ってるだろ」
「そう言われてもほら、もうキミの分の特製コロッケパンとチョココロネも買っちゃったからさ。たしか颯太のお気に入りなんだよね、これ?」
「む……」
水嶋がビニール袋の中身を見せてくる。中にはたしかに二人分のパンが入っていた。
「……なんでお前が俺のお気に入りを知ってるんだよ」
「前に江奈ちゃんから聞いたんだよ」
江奈ちゃん、水嶋にそんなことを話してたのか。
食べ物の好みが子供っぽい、とか、そんな愚痴でも言っていたのかな……。
「だから、ね? 一緒にランチしようよ。それにそんなコッペパン一つじゃ、颯太だってお腹いっぱいにならないでしょ?」
そう言って水嶋が特製コロッケパンを俺の鼻先に押し付けてくるもんだから、不覚にも「ぐぎゅるる」と腹の虫が鳴ってしまった。
ちくしょう、こんな時くらい空気を読んで大人しくしてろよ、俺の食欲!
「ふふふ。口では嫌がっていても、体は正直だね、颯太?」
「変な言い方すんな!」
俺は押し付けられたコロッケパンを無造作に受け取った。
「…………食ったらすぐ帰るからな」
「決まりだね。やった」
俺が渋々ながらも相席を承諾すると、水嶋は心底嬉しそうに小さくガッツポーズしてみせた。
それからくるりと回れ右して「じゃあ行こうか」と促してくる。
仕方なく後をついていってみれば、やがて辿り着いたのは本校舎の屋上だった。
「う~ん、風が気持ちいいね」
外縁を高いフェンスで囲まれた広い屋上には、ちょっとした庭園やベンチなんかもある。
天気も良いし、おまけに今は俺たち以外に誰もいないらしい。たしかに、ゆっくりランチタイムを過ごすには絶好の場所だろう。
まぁ、俺はべつに長居をするつもりはないのだが。
「で、話の続きってのはなんなんだ?」
さっさと用件を済ませて帰りたかったので、俺は単刀直入に切り出した。
せっかちだなぁ、と肩を竦めて、水嶋はそよ風になびく自分の髪をおもむろにかき上げる。
本人は意識していないみたいだが、いよいよファッション誌の表紙みたいな絵面になっていた。マジで外見だけはめちゃくちゃ良いよな、こいつ。
「答え、聞かせてよ」
「『答え』って……今朝のあれのか?」
「うん。そう」
「アホらしい。誰があんなウソを真に受けるんだっての」
俺が鼻で笑い飛ばしてやると、水嶋はきょとんとした顔で首を傾げた。
「ウソ?」
「ああそうだよ」
薄々感じてはいたことだった。
実は江奈ちゃんじゃなくて俺狙いだったとか、俺と付き合いたいだとか。
そんなのはどうせ全部、俺をからかって面白がるための噓に決まってる。
水嶋ほどのハイレベル女子が俺みたいな冴えないモブ男子に近づいてくる理由なんて、それくらいしか思いつかなかった。
「お前が俺の彼女を奪ったことは、この際もういい……いやよくないけど。でも、江奈ちゃんが俺に愛想を尽かしたっていうなら、きっとそれは俺が不甲斐なかったせいだ。俺が……江奈ちゃんと釣り合うほどの男じゃなかった、ってだけの話だ」
さっきの江奈ちゃんの態度からも、既に彼女の心に俺の居場所がないことは十分わかった。
江奈ちゃんが誰と付き合おうと、それに今さら元カレがしゃしゃり出てとやかく言うのは、もはや筋違いってもんだろう。
「だから、俺はもうお前に『江奈ちゃんを返せ』なんて言うつもりはない。その代わり、お前ももう俺の事はほっといてくれ。こんな負け犬イジメたって、大して楽しくないだろ?」