そもそも、仮に一か月間「お試し」とやらで付き合ったとしても、それで俺がこいつの告白を受け入れるなんてことはありえない。
だって、好きじゃないんだもの。初めから勝負は見えているじゃないか。
大した利があるわけでもなし、やるだけ時間の無駄ってもんだ。
「どう? 勝負してみない?」
「断る。俺には何のメリットもない勝負だ」
「なら、追加報酬。そっちが勝ったら──私がなんでも一つ言う事を聞いてあげる」
水嶋が不意に俺の耳元に唇を近づけて、囁くようにそう言った。
至近距離から聞こえてくるハスキーボイスに、サラサラな髪から漂う金木犀の香り。
突如として耳と鼻を同時に刺激され、俺は「へぅおん!?」と自分でも笑っちまうくらいに変な声を上げてしまった。
「お、お前っ、その急に近づいてくるのやめろって!」
「ごめん、ごめん。で、どう? 私になんでも命令できる権利。十分メリットだと思うけど」
「なんでも、って……」
「ん、なんでも。えっちなことでも良いよ? 私、颯太になら何されたっていいし」
水嶋がやたらと煽情的な目で俺を見上げ、さらに半歩ほど近づいてくる。
「す、するわけないだろ! そんな命令!」
彼女のブラウスの隙間から見えてしまった深い谷間から慌てて目を逸らし、俺はすぐさま水嶋から距離を取った。
「あはは、赤くなってる。可愛いなぁ、颯太は」
「やかましい! とにかく、俺は別にお前に命令したいこともないし、そんな勝負を受ける義理はないからな!」
今度こそおさらばしようと、俺は肩を怒らせながら屋上の扉に手を掛ける。
そのまま押し開けて校舎に入ろうとして。
「ふ~ん……自信ないんだ?」
「……あんだって?」
挑発するような水嶋のセリフに、思わずピタリと足を止めて振り返った。
「『面倒』とか『メリットが無い』とか色々言い訳してるけど。本当はたった一か月で私に攻略されちゃうかも、って不安なんじゃないの?」
「はぁ? そんなわけ……」
「そういえば、江奈ちゃんも言ってたっけなぁ。『私、颯太くんの意気地ナシなところが嫌だった』って。あはは、たしかにこれは、とんだ意気地ナシかもね」
カッチーン。
俺の中で、何かのスイッチが入る音がした。
おいおいおい、随分と好き勝手言ってくれやがりますな、このカリスマJKサマは。
怒るのを通り越して、なんだか笑えてきてしまいましたよ?
「は、はは、はははは……そこまで言われちゃ、さすがに黙ってられるかってんだ」
たしかに、彼女を奪われるだけならまだしも、売られた喧嘩からもおめおめ逃げるなんてのは情けなさすぎるよな。
ここで退いたら、それこそ俺は本物のチキン野郎に成り下がっちまうだろう。
雀の涙ほどちっぽけなもんだが、こんな陰キャ男にだってプライドってもんがあるんだ!
「いいぜ。お前のその安い挑発に乗ってやろうじゃんか」
俺の答えに、水嶋がニヤリと口端を上げる。
「そうこなくっちゃ」
「ふんっ。そうやってな、澄ました顔で笑っていられるのも今の内だぜ。たとえ一年かけたって、俺がお前の告白を受け入れるなんてことはありえない。何を企んでいるか知らないが、この一か月せいぜい無駄な努力をするんだな!」
「う~ん。セリフの『かませ犬臭』が半端ないよね」
「かまっ!? や、やかましいわい!」
畜生、どこまでも癪に障るやつだ。
出鼻をくじかれて顔をしかめる俺に、水嶋は愉快そうに笑いかけた。
「それじゃあ──これから『恋人』としてよろしくね、颯太?」
こうして、俺と水嶋の「勝負」の一か月は幕を開けた。
しかし、この時の俺はまだ想像だにしていなかったのだ。
俺たちのこの「勝負」が、まさかあんな結末を迎えることになるなんて。