『全身性免疫蒼化症』
その初めて耳にする病名を聞いたのは、入院四日目のことだった。
学校の健康診断の結果で要検査と通知がきたときも、特に深刻には捉えていなかった。
再検査があるから、学校を半日休めて嬉しいな。そんな気軽さで訪れた病院では、なぜか入院の手続きが進められ、事態をまるでわかっていなかったが。
入院初日からの検査につぐ検査で、ありふれた病気じゃないのかも、と察し始めた頃だった。
医療ドラマの頼もしい医師役を演じる若手俳優みたいな担当医が力強い声で、一緒に頑張ろうねと、言っていて。
ああ特に頑張らなくても治る病気じゃないんだ、と思った。
俺の隣では、先日美魔女コンテスト北海道大会で審査員賞&観客賞の完全優勝を果たした母ちゃんの若々しい顔がハリを失っていて、
(……あ)
俺の身体は自分が思うよりヤバいのかも、と感じた。
なにせ母ちゃんの顔からハリが失われたところなんて、これまで一度しか見たことがない。その一回は、父ちゃんが交通事故で死んだときだ。
俺は医師との面談の途中で、トイレに行きたいと言った。
病棟にある手狭な一室を出た。
トイレには向かわなかった。出てきたばかりの扉に耳を寄せた。
治療法はまだ確立されていないんですが、進行を遅らせる薬物療法がありまして。
頼もしい医師役の声から力強さが消えていた。
そして、聞いた。
「三年生存率」という言葉と、軽減税率が適用された消費税より低い%を。
(眠れねえ……)
余命を感じて迎える初めての夜だった。
三年生存率のあと、男性の蒼化症患者の生存期間中央値は一年だと、立ち聞きしてしまっていた。
(……寿命を平均したら一年。つまり、余命一年ってことだよな……)
動画でも見て、寝落ちできたら良かったんだけど。
楽しげな動画を観る気にはなれなかった。悲しげな動画は探す気もなかった。
内装に誰のデザインセンスも発揮された形跡のない小綺麗な個室だった。
その窓は創成川沿いの大通公園に面していて。景色は、さっぽろテレビ塔が目と鼻の先に居座っていた。
テレビ塔のライトアップイルミネーションは誰かのデザインセンスが発揮されまくっていて。その点灯パターンにより、病室内は文化的じゃないパーティー会場の賑々しさで染められていた。
カーテンを閉めれば、済む話なのだが……。
自分の人生に、希望という光を見失った日に、暗い部屋で眠りたくはなかったのかもしれない。廊下側のスライドドアも開けっぱだった。
イルミネーションが消灯していなかったから、まだ零時前だったはずだ。
気配を感じたつもりはなかったが、寝返りを打った俺の視線の先──部屋の隅に少女が佇んでいた。
(────!?)
俺は上半身をがばりと起こし、その姿勢のまま枕元に後ずさる。
夜の帳が降りに降りた病室。
少女はそのときテレビ塔の初雪のように白いLEDライトに照らされ、登場の仕方がもう完全に幽霊だった。
ただ淡い光の中ですら、それとわかる美少女然とした容貌は幽霊度を増したが、一目でそれとわかる胸部の豊かな膨らみは、俺の独断と偏見によって幽霊度を下げていた。
吸い込まれるような綺麗な瞳の少女は無表情のまま、
「うらめしや」
舞い散る桜みたいな、儚げな声だった。
俺はどっちに転んでも由々しき事態に直面していると、瞬間的に確信した。
パターン1『幽霊が「うらめしや」と告げてきた』
身の毛のよだつ事案だ。
可及的速やかに塩を撒きたい。適切な念仏を唱えたい。
パターン2『生身の女が「うらめしや」と告げてきた』
なんなら、こっちのほうが身の毛がよだつ事案かも。
なにせ夜中に他人の病室に潜り込んで、初対面の第一声が「うらめしや」だ。エキセントリックなお嬢さんすぎる。
固唾をおかわりして見守る中。
少女は、その足でしっかり歩いて、こちらに近づいてきた。幽霊度ダウン。こりゃパターン2だな。
一応、ナースコールの位置をチラ見する。
俺では対処しきれない事態に発展したら、押させてもらおう。
そう思ってたのに。
ナースコールを押せなかった。
布団の上に投げ出していた俺の両手を、彼女に摑まれたからだ!
「…………」
「…………」
無言て。
俺から何か言うターンじゃないよね?
「……あったかいでしょ」
「え」
「わたし、まだちゃんと生きてるから」
俺の人生史を代表するほど異彩を放つ初登場をした彼女は手を離すやいなや、廊下のほうに向かっていく。その背中が、じゃあねと告げていた。
学校生活において、稀に初対面女子との会話が始まると、自分がズレた返しをやらかす前に先方から会話を切り上げてくれるのを、どこか会話開始直後から望みがちな俺なのだが。
さすがに謎すぎる!
たまらず声をかけていた。
「いろいろどういうことだ? 誰なんだ? なんで出会ってすぐ手繫いでくんだよ」
柔らかくて、気持ちいいとか思っちまったじゃないか。
こんな理解の範疇を超えている子の手でも、美少女ならときめいちゃうのか俺は! 不覚だよ! どうなってんだオスのメカニズム!
あと一歩で廊下というところで、彼女は振り返った。
「わたしは誰とも気安く触れあったりしないよ」
「じゃあ、なんで?」
零時を迎えたんだろう。この世が終わったかと思うほど、視界が一瞬でまっくらけになった。テレビ塔の消灯時間のようだ。
窓からイルミネーションの光が差し込まない、真夜中の吹き溜まりの病室で。
現実感のない影になった彼女は──
「キミがわたしと一緒に滅びてくれる人だから」
開きっぱのスライドドアの彼方に消えて行った。
※ ※
あれは、俺が見た新手の死神だったんじゃないか。
翌朝、陽光がでたらめに差し込む部屋で目覚めたときは、そんな風に思えたりもしたが。
思えば、あの子は俺とペアルックだった。
つまりこの雪幌病院の病衣を纏っていたのだ。
もしかして、また消灯後に会えたりするんだろうか。
昼下がり。ぶらついていた三階廊下。
なにげなく窓の外を見下ろした。
そこは雪幌病院の中庭ということらしいのだが。
中庭のくせに憩いの場感の乏しいというか、木々が生命力を発揮しすぎてる森林浴特化型空間だった。
俺はその中庭に初めて向かうことにした。
また会うことがあれば消灯後かと思っていたミステリアスな美少女が、見下ろした中庭の木々の隙間から見えた気がしたからだ。
『石田好位置くんとの出会いの巻(作戦編)』
ミニスケールの樹海みたいな中庭で、その小さなノートを開いた俺は、「?」マークで頭がいっぱいになった。
鮮やかな色ペンの丸っこい字で書かれた自分の名を、不思議な気持ちで眺めていた。
なんだこれは?
ほんの数分前。中庭に足を踏み入れた俺は、三階廊下から、その姿を見かけた気がする場所へとおおよその見当で、進んでいった。
柔らかい腐葉土の道から外れた木々の向こうに、あの少女の姿を見つけた。
テレビ塔のイルミネーションに照らされた姿しか見たことのない彼女だったが。
幼い印象を残しながらも、各パーツがことごとく美しく整っている顔や、メロン二玉ドロボーみたいな胸部は間違いない。あの子だろう。
(なにやってんだろ?)
大きな木の前に立った彼女は、俺の角度からは幹に手を伸ばし、腕を突っ込んでるように見えた。
ひとまず、なんて声をかけようか。