こんにちは? 昨夜はどうも?
そんな逡巡をしているうちに、こちらの存在に気づく素振りもなかった彼女は、俺とは反対側に立ち去ってしまった。
俺は、彼女がいた広葉樹の前まで移動した。
逞しい幹には、エゾリスの巣穴にでもなりそうな洞があった。
(腕を突っ込んでいたように見えたのってもしかして……?)
洞をのぞき込むと、中には枯れ葉が溜まっているようだ。
俺はおそるおそる手を突っ込んでみる。
枯れ葉とは違う質感のなにかに触れた!
端を摑み、取り出す。
それは──薄い文庫本サイズのノートだった。
表紙も裏表紙もなにも書いていない。
本当に、なにげなく開いた。
あとからの言い訳をさせてもらえるなら。人のノートを盗み見する趣味はなかった。
ただ、俺の病室に消灯後に参上した謎すぎる少女のことが気になって仕方なかったのだ。それでも、たとえばいわゆる乙女の日記の類いだとわかれば、根がエチケット尊重主義にできている俺はノートを即座に洞に戻しただろう。
ただ開いたページに、
『石田好位置くんとの出会いの巻(作戦編)』
俺の名前があったもんだから、閉じられなくなるよ。
※ ※
『わたしと同じ病気の男の子が 雪幌に入院していることがわかった今
その第一次接触はどういうコンセプトで挑むのか
その作戦の全容をここに記しちゃお』
作戦の全容?
『まず初めに決めなきゃいけないのは
彼との記念すべきファーストコンタクト わたしはどんな感じで出会えばいいんだろ
忘れられないインパクトがあるほうがいいかな(ないよりいいよね)
年頃の男の子って確か……謎多き女の子に弱いんだっけ
ってことはわたしはミステリアスガールになろう!(名案)
ミステリアスってことは やっぱ定番は幽霊っぽい感じかな
最初の言葉も大事だよね ふつうにあいさつしても面白くないし
幽霊っぽい言葉なら「うらめしや」がいいかも!!』
…………。
『ミステリアスガールはきっと口数がすくないよね
最初だから長居もしない感じで
あんまりお話ししないんだから締めの決めゼリフ肝心だよね
アデュー! アデューって何語? ←フランス語みたい!
最後にフランス語を言って、去って行く子
わっ、これ絶対ミステリアスだよ~~』
…………。
『でも別バージョン考えたいかも
たぶんわたし アデューの発音 上手にできない気するし
「キミがわたしと一緒に滅びてくれる人だから」
わー このセリフ良くない!? 頭使ったよ~
これ思いつくのに 二時間かかりました!
でもでも いいの浮かんで良かった~~』
『石田好位置くんとの出会いの巻(完了報告&反省編)
第一次接触終えました
無事 締めの決めゼリフ バッチリ言えました! エラいぞわたし!
決めゼリフいっぱい練習して良かったな~
反省点としては 彼の手を握ったあと ドキドキしてちょっと言葉が出てこなくなっちゃったことかな
でもすぐ言葉出てこなかったけど むやみに間をたっぷり取るのも たぶんミステリアスガール的には正解だよね
わたし 男の子と手を繫いだのって初めてだった 心臓の音 聞かれちゃわなかったかな
あれやばい 大胆すぎたかも
好位置くんに えっちな子だと思われたらどうしよ
年頃の男の子って確か えっちだと思った女の子と二人きりになれたら スキンシップし放題だって思いがちなんだよね ←次に会いに行くまでに覚悟しなきゃ』
……俺の中で、昨夜出会ったミステリアスな美少女の面影が、豪快に崩壊していく音が響いていた。
あの、やけに顔の整った、やけに胸の成長が著しい彼女は、あくまでミステリアスガールを演じようとした、「年頃の男の子って確か」から始まる凝り固まった考えを複数お持ちの、おそらく病室に秘密の私物を置いておく場所がないから、ノートを中庭の広葉樹の洞に隠すことを思いついて実行しちゃうような──ポンコツ娘だった。ポンコツ美少女だった!
そして、もちろん。
そんなポンコツ娘から昨夜手を繫がれたときにはドキドキし、まんまとミステリアスガールのイメージを植え付けられた俺も、まごうかたなきポンコツだった。
開いたページの一番下。丸っこい文字が、キラキラと目に飛び込んでくる。
『この生きる希望ノートの大きすぎる夢
「死ぬ前に一度でいいから恋がしたい 彼氏とキスとかしてみたい」
それが叶うかもしれない
わたしと同じ病気の彼こそ、わたしの運命の人だ』
俺はノートをそっと閉じ、洞に戻し、枯れ葉をまぶし、中庭を後にし。
悟った。
恋に恋してる女の子の、恋の対象に自分が選ばれたことを。