2 ①

 中庭からもどった夕方のことだ。

 俺は、血圧と体温を計りに来た看護師のかりさんに、いてみた。


「俺ととしが近い感じで、入院してる子っていたりしますか?」

「……いしこうとしちけぇ子?」


 初日から俺をフルネームで呼ぶこのかりさんは、清潔なナース服をキッチリと着こなし、看護師らしいたのもしきテキパキさを備えているにも関わらず、目の下のクマだったり、ダメージを受けてしまったかみしつだったり、だるげなハスキーボイスがそう思わせるのか、どこか深夜のかんらくがいさつぽろ在住の身にとってはススキノだが)の退たいはい的なふんを、院内でただよわせていた。


「そんだけじゃわかんねえな。ヒントせヒント」


 他の看護師さん達は、一回りも二回りも年下の俺に対し、しんちようというかていちように接してくれていて。それは俺が余命宣告を受けている中学生だからだろう。

 もちろんかりさんも俺の病気はわかってるはずだが、そのコミュニケーションに過度なしんちようさやていねいさを感じさせない。だから初日から異様に話しやすかった。


かみれいな女の子で、えっと」

「おいいしこうよ。若い女のかみは、だいたいれいなんだよ。んなのとくちようになんねえ。キューティクルがほとんど死んでるかみの女ならとくちようになるけどな」

かみだけじゃなく、顔もれいなんで……」

「世に言う美少女ってやつか?」

「世に言う美少女ってやつです」


 かりさんの顔はいつのまにかニヤニヤしたものに変わっていた。


「当院きっての美少女といえば、そりゃ、ほのかだろうね」

「ほのか」

いしこうとも同い年のはずだ。なんだ、ほのかと話したのか?」

「いやあ」


 ミステリアスガールにふんしちゃった彼女と、消灯後の病室でわけのわからない出会いを果たしてしまっただけで、まともな会話はしていなかったに等しい。

 じようわん式血圧計を俺のうでにセットし始めていたかりさんが、かしこまった顔でこちらを見ていた。なんだろう。


「あのさ、他でもないいしこうたのみがあるんだけど」

「他でもない俺にですか」


 じようわん式血圧計が俺のうでをグイグイめつける中、かりさんのまなざしはするどくて、血圧が正常値の域を出そうだった。


「ほのかと、仲良くしてあげてほしいんだ」

「……」

「あの子は幼いころから入院してて。学校にはまるで通えてなくて。だから同世代との交流もなくてさ」

「そうなんですか」


 あ、でも。


「俺みたいに入院してくる同世代もいますよね」

「まあ、いるな」

「そういう子と仲良くなったりは?」

が立ちそうだから、無理だ」

「メド?」

「ほのかは遠ざけちゃうから。退院時期のが立ちそうな子を。たとえ仲良くなっても、相手はいずれ退院して。病気と向き合い続けないで済む世界に行っちまうからさ、キツいんだよな」

「…………」

「ってなわけでさ、ひとつよろしくしてあげてくれよな。でもよ、いしこうもさ、好きになるよ。ほのかは看護師達の間で、びようとうの天使って呼ばれている子だから」

「……天使」

「ン? もう一回、血圧計り直すぞ。なんかエラー出てんし」


 中庭を後にするときにも思ったが。

 やはり、こいこいしているほのかの目を覚まさなければならない。

 俺はれんあいをしないほうがいい人間なんだ。

 特に、天使と呼ばれるような女の子とのれんあいは。


  ※ ※


 こうという名前がベストポジションとへんかんされ、略された「ベスポジ」というあだ名がばつぐんの定着率をほこった半生において。

 ベスポジの他にも、俺にしんとうしたあだ名があった。

 天使製造機だ。

 あだ名における基本スタンスである呼びやすさをいつさい無視した長尺異名(9音!)をちようだいすることと相成ったけい

 それは小学五年生にまでさかのぼる。


 あのころ

 うちのクラスには、天使がいた。

 やれだれそれは天才だとか。

 だれそれはかいぶつだとか。

 だれそれは神だとか。

 小学校という極小コミュニティーのなかでは、平均値をわずかでも上回る一素養を発揮したやつを、天才呼ばわり、かいぶつ呼ばわり、神呼ばわりしてしまいがちななかかわずの腹の中のバクテリア期にあって。

 各クラスにもれなくいるしゆうさいや運動まんや一芸持ちにあたえられた「天才」「かいぶつ」「神」といったお手軽そくせきしようごうとは格がちがう、大しようごう──それが「天使」だった。

 まず「天使」は、しようとしてのハードルが高いのだ。

 いかに小五といえど、同級生の女の子のことをかげでならいざしらず、表だって「天使」と呼ぶのは、どうしたってずかしさを覚えるもの。ずかしいことは全力しつそうかいしたいおとしごろだ。つうなら、ちょっと天使みたいな子がいてもおいそれと天使呼ばわりはしない。オフィシャルにうあだ名にはなりえない。

 だが。

 同級生を「天使」と呼ぶことへのしゆうなんてじんも感じなくさせるほど、うちのクラスの天使のそのお姿は、天使そのものといった愛らしさで。

 そして、天使と言わずにはおれないほど、異次元のやさしさを持っているとみんなが口をそろえていた。

 天使のやさしい心にまつわるエピソードなら、小五の間だけでも、かべしんぶんにできるくらいあった。

 たとえばそれは──

 社会科見学のバス移動でった女の子がいちゃったものを、自分のナップサックでキャッチしてあげたり。

 国語の時間に、切ない物語を朗読中になみだぐんでしまったり。

 ドッジボールで顔面ヒットの末、半泣きになった男の子に、痛いの痛いの飛んでけをしてあげたり。

 筆圧が弱すぎるせいで、字がうすすぎる子に、5Bの存在を教えてあげたり。

 国際ロマンスのせいで、英語の授業ができなくなった先生がもう一度ネイティブな発音で「ILOVEYOU」と言えるまでなぐさめたり。

 我がクラスが開校以来の点数のベルマークを集める原動力になったり、と。

 俺はドッジボールで顔面に向かってきたボールは、やはり反射的によけてしまうため、半泣きにもなれず。

 同じクラスにいながら俺と天使は、からむことはなかった。

 だが、俺と天使のそれは知らない間にからっていた。

 それとはなにか。

 このころ、教室で育てていたアサガオだ。

 はちとなり同士だった俺と天使のそれは成長いちじるしく、ある連休明けには、つるがUSBケーブルのワゴンセールみたいなからまり方をしていた。

 その「アサガオからまり事件」を機に初めて話すと……。

 いつしか、俺と天使は付き合うことになった。

 男子一同は、生まれてまだ十年そこそこにもかかわらず、大しつれんを経験し。給食時間の校内放送には連日、しつれんソングがリクエストされた。

 女子一同は天使のれんあいを祝福した。

 俺にじゆの言葉をてていた男子連中も、このままでは天使にきらわれるとしたからか、くちびるみしめながら表面上は祝福するようになった。

 三ヶ月、半年、一年。

 交際は順調に続いた。

 俺は天使が好きだったし、天使は俺を好いてくれていた。

 みんなの前ではイチャイチャするのはひかえていたが、俺達が知らず周囲にりまいていたその、ラブラブの空気感(自分で言うのはずかしいったらないが)は、周囲にえいきようあたえていたらしく。

 ある男子は言う。