「ベスポジみたいな普通の奴でも、天使の彼氏になれるんなら。オレだってクラスのあの子と!」
国際ロマンス詐欺の被害にあった女性教諭は言う。
「恋愛なんてもうコリゴリと思っていたけど。好きな人とILOVEYOUを言い合える人生を諦めちゃダメよね」
あの時代、あの小学校にいた人々は、恋愛にいつもより少し勇気を出せるようになった。積極的に恋と向き合った。好きな人と一緒になれれば幸せになれると信じた。
そして、問題の小学六年の秋になる。
天使が、毒舌を吐くようになっていったのだ。
今までの優しい天使だったら、教室で揉めている男子達の仲裁に入り、「事情を聞かせて。うんうん、ケンカはやめようね?」と、平和をもたらしたが。
毒舌を吐くようになった天使は、教室で揉めている男子達の仲裁に入り、「事情を聞かせて。口臭っ。口喧嘩はやめて、取っ組み合いのほうが早いんじゃない?」と言ったり。
避難訓練で教室からグラウンドに移動した際、「皆さんが静かになるまで3分かかりました」と言った男性教師に対して。
「なんの指示も出さず、ボケっと突っ立ってるだけの教師がしゃべり出すのに3分待ちぼうけました」と返したり。
天使の毒舌は、老若問わず男全般に向けられた。
当たり前のように、俺にも毒舌は発揮された。
彼氏である俺は彼女といる時間が多い。毒舌を吐かれる機会も多い。俺は聖人じゃない。毒舌を言い返すようになった。
俺との毒舌合戦が、天使の毒舌を日に日に進化させていく。それは傍で聞いていた男子達を震え上がらせ、一部のMっ気のある男子を身悶えさせた。
毒舌発症と共にわがままにもなっていった天使。堕天使と呼ばれるようになり。
ベスポジと呼ばれていた少年は、堕天使製造機の異名を頂戴する。
天使を堕天使に変えたのは、彼氏のせいだと噂されたのだ。
堕天使化の原因として、俺の浮気説が最有力視されていた。
そのガセネタは、俺が綺麗なお姉さんと親しげに街を歩いていたのを見たという目撃証言と証拠の写真が、寄せられたためだった。
写っていたのは──俺の母ちゃん(美魔女)だった。
だから彼女が、俺の浮気を疑って堕天使化したなんてありえない話だった。彼女は俺の母ちゃんと顔見知りだったから。
堕天使のまま月日は流れる。そして、彼女は二学期の終業式に。
『大事な話があります』と放課後の公園に呼び出した彼氏に一方的に別れを告げ、誰にもなにも言わず、冬休みに転校していった。
大事な話があります。
女の子がこれを言ったあとには、予期せぬことが待っている。別れが待っている。
小学生にして、恋愛の一大トラウマワードを抱えてしまった俺だった。
堕天使製造機は、天使をこの世界から一人消し去ったとして。その小学校を卒業したメンバーがほぼほぼ進学する中学校という極小コミュニティーでも、継続して「大悪人」扱いを受けることになった。
だが、俺はそのことにあまり傷つかなかった。
彼女がどうして別れたがったのか。愚かな俺はなにもわからないまま、彼女ともう会えなくなってしまったことが、ただただショックで。
他のことに傷つく場所が心に残ってなかったのだ。
ラブラブな頃の思い出も、毒舌の応酬も、全て懐かしくなっていく。
こんな悲しい別れはもう経験したくない。
経験しない方法は、一つだけ浮かんだ。
もう誰とも彼氏彼女にならないことだ。
特に天使と呼ばれるような子との恋愛なんてもっての他だ。
俺と関わったことで、天使のような子が周りから堕天使と呼ばれるところなんて、もう見たくない。
※ ※
長期にわたる入院生活のため、これまで異性との出会いがなかった少女がいる。
たとえ恋に恋してるとしても、その恋を応援してやりたい。
ただ、その恋に恋してる恋の相手にチョイスしたのが俺なら、話は別だ。
その恋から目を覚まさせなきゃいけない!
ほのかは近々、俺に会いに来てくれるのだろう。
そのとき、彼女からしっかり苦手な男だと思ってもらえるように、振る舞おう。
というわけで。
女性が苦手と感じる男とはどんなやつか?
俺は天使のような彼女をなんの自覚もなく、未だに原因もわからないまま、堕天使にしてしまった恋愛前科者である。
女心を、俺ごときがわかると思わないほうがいいだろう。
答えの出せない問題に向き合い、そろそろ夕食どき。
母ちゃんが見舞いに来てくれた。
入院していても、家族は一緒に晩ご飯を食べるもの。
そう思っている母ちゃんが、病院の夕食時間に合わせて、仕事を切り上げてくれていることには気づいていた。
献立には「すき焼き」とあったはずなのに、「牛の薄味肉を横付けした焼き豆腐」が出てくる病院食だったが。
ベッドサイドテーブルに広げられた母ちゃんのほうの食事(美魔女のディナー)は、ケールの濃緑の大きな葉が三枚とエゾ鹿肉のロースト。共にドレッシングなしだ。
俺のよりも遙かに味気なさそうなそれを美味しそうに召し上がっていた。
だから俺は母ちゃんの食事を羨むこともなく、自分の病院食をありがたく食すことができた。
ありがとね、母ちゃん。ところで、苦手な男ってどんなやつだい?
「そうねー。まだ出会ってまもないのに、『綺麗』だの『可愛い』だのすぐ言ってくる男は、微妙だね。アタシのうわべしか見てないんだなっていうか」
意外な意見だった。
美魔女の母ちゃんは、世間から「綺麗」だの「美人」だの賛辞をカツアゲするのが生きがいの人だと思っていた。
「出会ってまもないときこそ、男からは内面を褒めてほしいよね。で、永いこと一緒の時間を過ごしてもなお、いつまでも『綺麗』って言ってほしいもんよ」
サンプル数は1より2が好ましい。
夕食の食器を下げにきてくれたやさぐれ系看護師の刈谷さんにも、訊いてみた。
出会ってまもないのに、「綺麗」とか「可愛い」とか言う男はどう思いますか?
「なんかチャラいね。大概キショいわ」
よし!
苦手な男だと思ってもらえる秘策はできた。
あとは、先方との第二次接触を待つのみ。
消灯まで残り一時間。
個室の扉をノックする、小さな音が聞こえた。
病衣を纏い、死に至る病を患っているはずなのに。胸部の膨らみが立体的過ぎるためか、儚げな印象の乏しい美少女ことほのかだった。
「フフッ」
俺と目が合った彼女は微笑みかけてきた。
第一声で安易に「こんばんは」と言わないそのスタンスは、本来ならその整った容姿と相まって、ミステリアスガールの名を欲しいままにできたろうに。
幸か不幸かというか、まあ不幸だろうが、俺は中庭のノートを見てしまったせいで。
彼女の正体は、恋に恋するおっちょこちょいだと知れている。
「フフッ」
まだ笑ってらっしゃる。
おそらくこの第二次接触のオープニングを飾るその微笑みも、練習の賜なのだろう。バッチリ決まっていた。拍手をしてあげたい。
「……入っていい?」
ここでお引き取りくださいと言ったら、このミステリアスガールがどう切り返してくるのか、見たくもあったが。
「どうぞ」俺は招き入れた。せっかく用意した秘策を実行したい。
彼女は、俺のベッドサイドまできた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」