2 ③

 おっと、おそろしいな。会話の主導権をこっちに委ねてきているぞ。

 けの病室にいきなりきて、来訪の意図も告げず、だまりこくる。

 確かにミステリアスだけれども!

 ミステリアスガールってこういうことなのか。


「病院の好きなこんだてって、なんだい?」と俺。

 ただ、それはまんざらちんもくの気まずさをどうにかしたくて発したくるまぎれではなく。

 本気で気になった質問だった。

 俺はほのかに対し、「余命宣告を受けてる中学生」という共通こうから、みような連帯感が芽生えている自分に気づき始めていた。

 例えるなら、原因不明でとつぜん停止したエレベーターに乗り合わせた──助けがいつくるのかわからない、せまい空間に閉じ込められた二人みたいな。


かくげつに一回出てくるデザートのパンケーキが、わたしの大好物だよ」


 それはしばがかっていない素のほのかの声を、初めて聞いたしゆんかんだった。

 空気を多くふくんだふんわりした声が、「二ヶ月に一回」のことを「かくげつ」と言っていた。


「パンケーキか。まだ食べたことないな。楽しみにしてよう」

「今月はもう出ちゃったから。再来月だね」

「パンケーキの道は遠いな。他に好きなこんだてはある?」

「えーとね、今夜のすき焼きも好きだよ。ごそうだったね」

「え」


 あの、百グラムもなさそうなうすあじ肉がごそう

 俺の小さなまどいを置き去りにして、ほのかは食べ物の話を夢見るような顔で続ける。


「クリスマスや誕生日にはね、ショートケーキも出てくるんだよ。甘くてしいの。なんとイチゴが乗っかってるんだよ!」


 だれかのつまみ食い済みショートケーキじゃないなら、そりゃイチゴは乗ってるだろうよ。

 そんなてきを、目の前にいるけなな生き物にしたい人がいるならどうぞ。俺はパス。


「クリスマスの道もまだまだ遠いな。誕生日のほうはいつなんだ?」

「6月4日だよ」

「おっ、俺と一日ちがいだな」

「わっ、すごい!」

「ほのかが生まれた日のその前日が、俺の誕生日だ」


 思えば、これが初めて彼女に向かって「ほのか」と声にしたしゆんかんだった。

 ほのかせんぱい10%。ほのかさん20%。ほのかちゃん20%。ほのか50%。そんな成分構成で呼んだ「ほのか」だった。


「あ、ほのかって呼んでもらえた」


 彼女は「えへへ」と顔を赤らめて、はにかんだ。


「フフッ」と意味深な微笑ほほえみをかべて登場した際のミステリアスガールらしさは、いよいよ見当たらなくなっていた。


「ほのかも、ふた座なんだな」


 別に答えてほしかった質問ではない。誕生日が一日ちがいなんだ。俺としては自分の星座を、ただ口にしただけだった。

 のだが。

 ここでほのかは、自分はミステリアスガールだということを思い出しちゃったと思われる。

 大至急なぞ多き少女になるべく、


「フフッ、わたしが何座かは、秘密です」


 ぬかしおった。

 いやいや、星座を非公表にするのは結構だけど。それは、誕生日を発表したあとにしても、意味がないのよ。


 このあと、俺たちはたがいの好きなものの話をした。

 ベッドサイドの丸イスに座るほのかは、ときたま思い出したように「フフッ、秘密です」をはさんでくるのだが。

 その秘密にするしよというのが、悲しいほどポンコツで。


「病院食ってせそうだな」と俺が言ったのに対し、ほのかはポロッと自身の体重を口にするばくをしたのだが。


「わたし重いでしょ?」と、丸イスに縮こまるほのかに。

 俺は、やはり胸の分の重さが、という感想は取り除いて。


「ほのかの身長なら、それぐらい全然つうだろ。むしろ平均以下だろ」と言ったら。


「わたしの身長は秘密です」


 ぬかしおった。

 ほのかよ。人間の身長は、見ればだいたいわかるんだよ。150センチくらいだろ。

 俺はほのかが、異性へのアピールのいつかんであるところのミステリアスガールをもう演じなくてもいいようにしてあげるべきだと思った。

 つまり俺は、異性へのアピールが不必要な相手だと気付かせる。

 こいこいしている、その目を覚まさせてやるか。

 次、秘密ですとぬかしおったら、そく秘策を実行しよう。


「入院生活してるとね、平日も休日もないから。好きな曜日は、月火木金土サンデーかな」


 日曜だけ英語なのはスルーしとくとして。


「なぜ、水曜日は好きじゃないんだ?」

「…………それは秘密かな」


 秘密の言い方に今までにない、はかなひびきがあったが……。

 俺はもう秘策そく実行するマンになっていた。


「ほのかってさ、さっきからずっと思ってたんだけど。顔すごくわいいよね」


 さあ、出会ってまもないのに外見をめてくる男だ。

 大いに苦手がってくれ、キモがっておくれ。


 ベッドのかたわらの丸イスに座るほのかの大きなひとみから、ぽろっぽろっとなみだこぼれていく。


「あれ? あれ?」


 自分でもまどっているのか、ほのかはなみだの流れるほおをペタペタさわっていた。

 そんな彼女の様子に俺もまどっているうちに、消灯時間をむかえた。

 えんかくいつかつ操作してるらしい室内の照明とろうの電気が、最後のせんこう花火のように、なんのいんも残さず消えた。

 あとはいつもの光景。カーテンの開かれた大窓から、さっぽろテレビとうのイルミネーションが差し込んできて。

 無機質だったはずの病室は、夜の遊園地のかたすみみたいになった。


「いきなり変なこと言ってごめんな」


 俺から容姿をめられて、泣くほどキモかったのだろう。なんだろう、俺も泣きたい。

 ほのかはなみだを指でぬぐい、ポケットから出したティッシュでチーンとはなをかむ。

 俺に向けてくれた顔は、はにかんだがおだった。


こうくんは変なこと言ってないよ。ただ、びっくりしちゃって。うれしくてなみだ出ちゃった。えへへ」

うれしい?」

「わたしね、幼いときから。出会ったばかりの人からは特に、内面的なことをね、められがちなんだ。ほのかちゃんはまだっちゃいのに、病気とたたかっていてえらいね。病気に負けないで強いね。…………でもわたし、なにもえらくなんかないし、強くなんかないのに。こうとしか生きられないから、生きてるだけなのに」

「…………」


 こうとしか生きられないから──。

 ふんわりしたほのかの声で聞いたその言葉は、俺の心に永く残るだろうなと思えた。


こうくん!」


 ほのかは不意に、丸イスの上で居住まいを正した。

 大窓から差し込むピンク色のイルミネーションに照らされ、背筋をばした美少女が言う。「出会ったばかりのわたしのうわべをめてくれてありがとうございます!」

「…………」


 うわべをめてくれてありがとうございます。その大真面目な声に、


「ぷっ」


 俺はたまらず笑ってしまった。


「これからもわいいと思ってもらえるように、わたししようじんします。えへへ。こんなにうれしいことをサラッと言ってくれるこうくんのこと、」


 ニッコニコした顔のほのかは視線をゆかに落とすと。

 完全にひとり言のトーンの小さな声で、


「──好きになってよかったあ」

「…………」


 視界こそイルミネーションのせいで目ににぎやかだが、あくまで消灯後の病室だった。ドせいじやく。だから、もろに聞こえちゃっていた。


「ほのかよ」

「なあに」

「『こうくんのこと』のあと、今なんか言ったか?」


 ほのかはそこで「ううんううん」わいそうなほどあわてだした。


「ただのひとり言だよ。で、でもひとり言だから、な、なにも聞こえなかったよね?」

「あ、うん、はい」


 ダメだ、ほのかはひとり言のつもりで発した声は相手には届かないと思っているようだ。

 ポンコツである。

 ポンコツほのか。あっ、略したら「ぽのか」だな。

 内面をめられがちな彼女の内面の残念さに、言葉を失っていると。

 ほのかは丸イスからパッと立ち上がる。


「わたし、そろそろもどるね」

「ああ、じゃあな」

「じゃあね。あ、じゃなくて──」


 ほのかは胸のところで小さく手をると、


adieuアデユー


 すごくいい発音でそう言い残し、去って行った。

 最後にミステリアスガールっぽいめの言葉を思い出したんだろう。

 やるな、ぽのか。