おっと、恐ろしいな。会話の主導権をこっちに委ねてきているぞ。
夜更けの病室にいきなりきて、来訪の意図も告げず、黙りこくる。
確かにミステリアスだけれども!
ミステリアスガールってこういうことなのか。
「病院の好きな献立って、なんだい?」と俺。
ただ、それはまんざら沈黙の気まずさをどうにかしたくて発した苦し紛れではなく。
本気で気になった質問だった。
俺はほのかに対し、「余命宣告を受けてる中学生」という共通項から、妙な連帯感が芽生えている自分に気づき始めていた。
例えるなら、原因不明で突然停止したエレベーターに乗り合わせた──助けがいつくるのかわからない、狭い空間に閉じ込められた二人みたいな。
「隔月に一回出てくるデザートのパンケーキが、わたしの大好物だよ」
それは芝居がかっていない素のほのかの声を、初めて聞いた瞬間だった。
空気を多く含んだふんわりした声が、「二ヶ月に一回」のことを「隔月」と言っていた。
「パンケーキか。まだ食べたことないな。楽しみにしてよう」
「今月はもう出ちゃったから。再来月だね」
「パンケーキの道は遠いな。他に好きな献立はある?」
「えーとね、今夜のすき焼きも好きだよ。ご馳走だったね」
「え」
あの、百グラムもなさそうな薄味肉がご馳走。
俺の小さな戸惑いを置き去りにして、ほのかは食べ物の話を夢見るような顔で続ける。
「クリスマスや誕生日にはね、ショートケーキも出てくるんだよ。甘くて美味しいの。なんとイチゴが乗っかってるんだよ!」
誰かのつまみ食い済みショートケーキじゃないなら、そりゃイチゴは乗ってるだろうよ。
そんな指摘を、目の前にいる健気な生き物にしたい人がいるならどうぞ。俺はパス。
「クリスマスの道もまだまだ遠いな。誕生日のほうはいつなんだ?」
「6月4日だよ」
「おっ、俺と一日違いだな」
「わっ、すごい!」
「ほのかが生まれた日のその前日が、俺の誕生日だ」
思えば、これが初めて彼女に向かって「ほのか」と声にした瞬間だった。
ほのか先輩10%。ほのかさん20%。ほのかちゃん20%。ほのか50%。そんな成分構成で呼んだ「ほのか」だった。
「あ、ほのかって呼んでもらえた」
彼女は「えへへ」と顔を赤らめて、はにかんだ。
「フフッ」と意味深な微笑みを浮かべて登場した際のミステリアスガールらしさは、いよいよ見当たらなくなっていた。
「ほのかも、双子座なんだな」
別に答えてほしかった質問ではない。誕生日が一日違いなんだ。俺としては自分の星座を、ただ口にしただけだった。
のだが。
ここでほのかは、自分はミステリアスガールだということを思い出しちゃったと思われる。
大至急謎多き少女になるべく、
「フフッ、わたしが何座かは、秘密です」
ぬかしおった。
いやいや、星座を非公表にするのは結構だけど。それは、誕生日を発表したあとにしても、意味がないのよ。
このあと、俺たちは互いの好きなものの話をした。
ベッドサイドの丸イスに座るほのかは、ときたま思い出したように「フフッ、秘密です」を挟んでくるのだが。
その秘密にする箇所というのが、悲しいほどポンコツで。
「病院食って瘦せそうだな」と俺が言ったのに対し、ほのかはポロッと自身の体重を口にする自爆をしたのだが。
「わたし重いでしょ?」と、丸イスに縮こまるほのかに。
俺は、やはり胸の分の重さが、という感想は取り除いて。
「ほのかの身長なら、それぐらい全然普通だろ。むしろ平均以下だろ」と言ったら。
「わたしの身長は秘密です」
ぬかしおった。
ほのかよ。人間の身長は、見ればだいたいわかるんだよ。150センチくらいだろ。
俺はほのかが、異性へのアピールの一環であるところのミステリアスガールをもう演じなくてもいいようにしてあげるべきだと思った。
つまり俺は、異性へのアピールが不必要な相手だと気付かせる。
恋に恋している、その目を覚まさせてやるか。
次、秘密ですとぬかしおったら、即秘策を実行しよう。
「入院生活してるとね、平日も休日もないから。好きな曜日は、月火木金土サンデーかな」
日曜だけ英語なのはスルーしとくとして。
「なぜ、水曜日は好きじゃないんだ?」
「…………それは秘密かな」
秘密の言い方に今までにない、儚い響きがあったが……。
俺はもう秘策即実行するマンになっていた。
「ほのかってさ、さっきからずっと思ってたんだけど。顔すごく可愛いよね」
さあ、出会ってまもないのに外見を褒めてくる男だ。
大いに苦手がってくれ、キモがっておくれ。
ベッドの傍らの丸イスに座るほのかの大きな瞳から、ぽろっぽろっと涙が零れていく。
「あれ? あれ?」
自分でも戸惑っているのか、ほのかは涙の流れる頰をペタペタ触っていた。
そんな彼女の様子に俺も戸惑っているうちに、消灯時間を迎えた。
遠隔で一括操作してるらしい室内の照明と廊下の電気が、最後の線香花火のように、なんの余韻も残さず消えた。
あとはいつもの光景。カーテンの開かれた大窓から、さっぽろテレビ塔のイルミネーションが差し込んできて。
無機質だったはずの病室は、夜の遊園地の片隅みたいになった。
「いきなり変なこと言ってごめんな」
俺から容姿を褒められて、泣くほどキモかったのだろう。なんだろう、俺も泣きたい。
ほのかは涙を指で拭い、ポケットから出したティッシュでチーンと洟をかむ。
俺に向けてくれた顔は、はにかんだ笑顔だった。
「好位置くんは変なこと言ってないよ。ただ、びっくりしちゃって。嬉しくて涙出ちゃった。えへへ」
「嬉しい?」
「わたしね、幼いときから。出会ったばかりの人からは特に、内面的なことをね、褒められがちなんだ。ほのかちゃんはまだ小っちゃいのに、病気と闘っていて偉いね。病気に負けないで強いね。…………でもわたし、なにも偉くなんかないし、強くなんかないのに。こうとしか生きられないから、生きてるだけなのに」
「…………」
こうとしか生きられないから──。
ふんわりしたほのかの声で聞いたその言葉は、俺の心に永く残るだろうなと思えた。
「好位置くん!」
ほのかは不意に、丸イスの上で居住まいを正した。
大窓から差し込むピンク色のイルミネーションに照らされ、背筋を伸ばした美少女が言う。「出会ったばかりのわたしのうわべを褒めてくれてありがとうございます!」
「…………」
うわべを褒めてくれてありがとうございます。その大真面目な声に、
「ぷっ」
俺はたまらず笑ってしまった。
「これからも可愛いと思ってもらえるように、わたし精進します。えへへ。こんなに嬉しいことをサラッと言ってくれる好位置くんのこと、」
ニッコニコした顔のほのかは視線を床に落とすと。
完全にひとり言のトーンの小さな声で、
「──好きになってよかったあ」
「…………」
視界こそイルミネーションのせいで目に賑やかだが、あくまで消灯後の病室だった。ド静寂。だから、もろに聞こえちゃっていた。
「ほのかよ」
「なあに」
「『好位置くんのこと』のあと、今なんか言ったか?」
ほのかはそこで「ううんううん」可哀想なほど慌てだした。
「ただのひとり言だよ。で、でもひとり言だから、な、なにも聞こえなかったよね?」
「あ、うん、はい」
ダメだ、ほのかはひとり言のつもりで発した声は相手には届かないと思っているようだ。
ポンコツである。
ポンコツほのか。あっ、略したら「ぽのか」だな。
内面を褒められがちな彼女の内面の残念さに、言葉を失っていると。
ほのかは丸イスからパッと立ち上がる。
「わたし、そろそろ戻るね」
「ああ、じゃあな」
「じゃあね。あ、じゃなくて──」
ほのかは胸のところで小さく手を振ると、
「adieu」
すごくいい発音でそう言い残し、去って行った。
最後にミステリアスガールっぽい締めの言葉を思い出したんだろう。
やるな、ぽのか。