ボクは死にかけていた。強敵に敗れ去ったとかじゃない。病気にかかったわけでもない。じゃあ何が原因かというと、単純に路銀が尽きて空腹だったからだ。
「うう……ひもじい……。都会の人族は冷たいっていうけど、本当だなあ……」
人族の国で一番大きい国カーズ王国の王都。その門をくぐってしばらく行った広場の噴水で、ボクは力尽きていた。故郷を出る時に充分な路銀は持ってきたはずなんだけど、思いのほかにこの都が遠く、もう三日ほど水しか飲んでいない。
気づけば辺りはもう暗くなっている。座り込んでうつろな目をしているボクを、行き交う人が白い目で見ては遠ざかっていく。聡明な人は危険に近づかないものだっていうのは、人族の格言だっけ。こんな美少女を見捨てるなんて、人族は見る目がなさ過ぎると思うんだけど。
などという悪態もいまいち精彩を欠いている。そろそろ限界だ。夢を叶えるために故郷からはるばる旅をしてきたのに、最期はまさかの飢え死になんてカッコ悪すぎる。地獄にいるはずのママごめんなさい。ルチカは今、お側に参ります。月に見守られながら、ルチカの冒険は今ここに幕を閉じ──。
「あの……大丈夫ですか?」
「レオニーちゃん、やめなよ」
「だって、放っておけないですよ、ノール」
「その黒い髪と瞳……その子魔族だよ」
「だからこそです。勇者の娘の私が、差別なんて出来ません」
二種類の女の子の声が聞こえた。残り少ない力を振り絞って上を見上げると、そこには心配げな顔の全体的に白い女の子と、臆病そうな全体的に水色な女の子がいた。
「た……助けて……」
「怪我ですか? 病気ですか?」
レオニーと呼ばれた白い女の子の方が膝を折ってボクの身体を検分し始めた。その様子を水色の子──ノールが心配そうに見守っている。
「──た」
「え? なんですか?」
──ぐぅぅぅ。
「……お腹がすいた」
「……は?」
レオニーの表情が心配からあきれへと徐々に変わっていくのが見えた。ううぅ……カッコ悪い。でも、しょうがないじゃないか。人族だってお腹がすいたら戦争できないって言うでしょ?
「お願い……何か食べさせて……」
「……はぁ……。少し待っていてください。ノール、ちょっとここをお願いします」
「あ、レオニーちゃん……!」
レオニーはボクらを残して近くの露店に行くようだった。ようだった、というのは、もう視界がぼやけてきていて、ちゃんと見えないからだった。あ、これホントにやばいやつだ。
「ほら、これを食べてください」
戻ってきたレオニーを気配だけで感じながら、手渡されたものを摑んだ。瞬間、意識を強烈に引き戻すような暴力的な香りが鼻腔を貫いた。ボクは考えるよりも早く、それに貪りついた。直後に口の中いっぱいに広がる塩味と旨味。ボクは世の中にこんなに美味しいものがあるのかと思った。涙が出てくる。
「お、美味しい……」
「泣くほどですか!? 大げさです。ただの串焼きですよ?」
「そんなことない。凄く美味しい……」
「よっぽどお腹すいてたんだね……」
あきれと変な感心に満ちた視線を受けつつ、ボクは二本目の串焼きにかぶりついた。香ばしく焼き上げられた熱々の鶏肉は、かみしめると中からじゅわっと肉汁が溢れてくる。下味の塩もシンプルで美味しいけど、上からかけられた甘辛いタレが本当に堪らない。ボクは夢中になって食べると、五本あった串焼きはあっという間になくなった。
「……んぐ。ご馳走様。あぁ……美味しかったぁ……」
「それは良かったです」
「本当に助かったよ。ありがとう。キミは命の恩人だね」
「だから大げさです」
「いやいや、本当にボク、死んじゃうところだった……し……?」
そこでボクは初めて気がついた。このレオニーっていう子、とんでもない美少女だ。月明かりに照らし出された全体的に儚い幸薄そうな美貌は、ボクの好みにドストライク。しかも見ず知らずの行き倒れだった、ボクみたいなのに声をかけてくれるような優しい子だ。何という優良物件。
「ボクはルチカ。ねぇ、レオニーって言ったよね。キミ、番はいる?」
「は?」
「人間の場合は何て言うんだっけ……? 恋人?」
「……いませんけれど」
「そっかそっか」
行き倒れそうになったときはどうなることかと思ったけど、地はボクを見捨てなかった。こんな素敵な子と巡り会えるなんて。
「立てますか?」
「え、ああ、うん。大丈夫。よっと」
反動をつけて起き上がり、腕や足の調子を確認する。ずっとじっとしていたから少し強ばっているけど、少し動かせば大丈夫だろう。
「繰り返すけど、ホントありがとう。せっかく人族の都に来たのに、夢を叶える前に死んじゃうとこだったよ」
「というと、あなたも勇者学校の試験に?」
おや?
「ってことは、レオニーたちも?」
「ええ」
「試験に備えて、会場を下見した帰りなの。後は食事でもして帰ろうかって」
クールに頷くレオニーに対して、ノールの方はまだボクに対して怯えてる……というよりは性格なのかな。レオニーが何事も客観冷静に見極めようとするのに対して、ノールの方は内気で引っ込み思案という感じだ。
なるほど、これから食事にね。……チャーンス。
「それ、ボクも同行していいかな?」
「……いいですか、ノール?」
「レオニーちゃんがいいなら、別に……」
「ありがとう」
というわけで、同行させて貰うことになったのだが──。
──そこに油断があった。
「わっ!?」
後ろから突き飛ばされてよろめいた隙に、懐から何かを抜き取られる感覚があった。
「! ひったくりです!」
「うわ、マジかぁ……」
ちょっとお腹が満たされたとはいえ、まだまだ腹三分目くらい。本調子とはとてもいかないボクはすっかり油断していたみたいだ。路銀は尽きているから財布の中は空っぽなんだけど、財布自体がちょっと失くしたくないものだった。
「ぼやっとしているからです! 追いかけますよ! ノールは警備の者に通報を!」
「うん!」
「よーし、名誉挽回!」
ノールを置いてレオニーと並んで走り出した。夜の王都は案外人が多かった。魔力の明かりに照らし出された、まさに不夜城。ボクとレオニーは人混みを縫うように駆けていく。へぇ、ボクのスピードについてこられるなんて、レオニーってば優秀なんだ。
「カーズの王都って意外と治安悪いんだねぇ」
「この時期のスペドは、勇者試験の影響もあって人混みができやすいんです。ああいう輩も増えます」
走りながら話すけれど、レオニーは息一つ切らさない。うんうん、いいねいいね。ますますボクの好みだ。
「勇者学校ってさ、やっぱ入るの難しい?」
「勇者を育成する学校ですよ? 当たり前です。こんな時に何を──」
「実技試験もある?」
「筆記も。ですが、それが今何の関係が──」
怪訝な顔をするレオニーに、ボクはにっと笑いかけてから、
「なら、ひったくりくらい、楽勝で捕まえられないとね」
ボクは駆ける速度を一段上げた。
「なっ……!?」
「ほらほらほら! 追いついちゃうぞ!」
ボクは追いかけ方を工夫して、ひったくりを人気のない方へない方へと誘導した。程なく、裏路地へとひったくりを追い詰めることに成功する。
「て、てめぇ……!」
「はーい、すとーっぷ。ここから先は通さないよん」
追い詰められたひったくりの行く手を遮るように、ボクは両手を広げた。遅れてやって来たレオニーが少しだけ感心したような表情を浮かべている。ふふ、ちょっとはいいところ見せられたかな?
「さあさ、観念してお財布返してよ。中身は空っぽだけど、ママの形見で大事なものなんだ」
「クソが──!」