ひったくりはよく見ると女の子だったらしい。乱暴に毒づくとボクに向かって財布を投げ返してきた。ボクはそれを受け取って、大事に懐にしまった。
「どうせテメェらも勇者になりたいなんて寝言ほざいてる口だろ!」
ひったくりが喚く。その目はどこかに逃げ場がないかを探していて、キョロキョロと落ち着きがない。
「寝言……? 大真面目だけど?」
「よしなさい、ルチカ。こんなならず者に、勇者を目指す高い志は理解できないでしょう」
レオニーは辛辣だった。その言い方には、勇者学校への入学にかける特別な思いのようなものが感じられる。でも、彼女の言い草はひったくりの子を刺激したようだった。
「テメェ、レオニー=バイエズだな? 《万能》の勇者の娘か。ギアに従うだけの働き者がそんなに偉いかよ!」
「あなたは勇者というものを分かっていません。勇者とは人の過ちの克服を託された、人類の希望です」
「何が希望だ! 才能に恵まれただけの奴隷どもが!」
「ねぇ、さっきから話が見えないんだけど……?」
勇者って一番強い人のことじゃないの? ボクが首をかしげていると、
「ギアを見なさい、ルチカ!」
「へ? うわぁ!?」
ひったくりが懐からナイフを取り出し斬りかかってきた。ボクはすんでの所で避けると、慌てて距離を取った。
「あっぶないなあ……」
「ルチカ。あなた、ギアは?」
「なにそれ?」
「持っていないんですか!?」
「ないよ?」
「ギアも持たずに試験に来るなんて……え、この子に? あなたが?」
レオニーは会話の途中で突然、一人問答をし始めた。
「レオニー?」
「説明は後です。これを首につけて」
そう言うと、レオニーは歯車のような金属製の装置を手渡して来た。言われるがままに首につけると、
──装着確認。お名前を教えてください。
無機質で中性的な声が脳裏に響いた。
「る、ルチカだけど」
──よろしく、ルチカ。これよりわたくしはあなたの補助を致します。
反射的に名乗ると、声と共に視界と脳裏に像が結ばれた。
「ふむふむ、へぇー?」
どうやらこの装置はいわゆる魔道具のようだった。察するに戦闘補助のような役割をしてくれるらしい。次に起き得る脅威予測○○や、推奨行動××などという情報が脳裏に浮かぶ。次の瞬間、視界のひったくりの輪郭がぶれて、斬りかかってくる像が浮かんだ。
「来ますよ!」
「うん、見えてる。へぇ、ちょっと面白いかも」
──上段袈裟斬り。一秒後。
再び斬りかかってくるひったくりの剣閃は、ギアとやらが示したのと限りなく近かった。完全ではないけど、未来予測めいたこともやってのけるらしい。
「凄いじゃん、キミ。ところでキミのお名前は?」
──……ギアたるわたくしの名前を逆に問い返した方は、あなたが二人目です。わたくしのことはプロトタイプとお呼びください。
「長いよ。プロトって呼ぶね。よろしく。ところでその一人目は?」
──次撃、横なぎ払い。コンマ五秒後。
「わっとっと」
人間の技術って凄いなあ、と感心しながら、ボクはナイフをひらりひらりとかわした。
「なるほど、こりゃあ便利かも。でもちょっと酔っちゃいそうで、ボクは苦手かなあ?」
「このガキ、舐めやがって!」
侮られたと取ったのか、ひったくりがよりいっそう凶悪な形相でナイフを振り回してきた。元々大した手合いではなく、ギアの補助もあって、ボクは余裕でかわすことが出来た。
「そっちがその気ならボクも──って、あ。キミ、魔力も闘気もあんまりないタイプかぁ。これじゃあお腹すいちゃうなあ。どうしよっか」
「私に任せてください、ルチカ」
その声と同時、レオニーは一歩ひったくりに踏み込むと一瞬で間合いを殺し、剣閃の内側に入り込んで腕を取った。
「せい!」
「ふげぇ!?」
レオニーに投げられ地面に叩きつけられたひったくりは、見事に目を回した。気絶している間にレオニーは手際よくロープで縛り上げていく。どっから出したんだろうと思って尋ねたら、生活魔法だと説明された。
「ふぅ……」
「お疲れ、レオニー。プロトも」
「ルチカも」
──お疲れ様でした。
「いい動きだったね、レオニー」
「ありがとうございます。ちょっと場所を変えましょうか」
「この子は?」
「ノールが呼んだ警備がそのうち駆けつけて連行していくでしょう」
「そっか──あれ?」
ボクはふと気づいた。
「この校章……勇者学校のものだよね?」
「え?」
ボクはひったくりの子が持っていた歯車型の装置──ギアだっけ──をレオニーに示して見せた。表面に竜の文様が刻まれている。
「これは……勇者学校の正規品です。ということはこの娘、勇者学校の関係者……?」
「……元在学生だよ。退学になったがな」
「!?」
「あ、目が覚めたんだ?」
ひったくりの子は自分の置かれている状況は理解しているようで、逃げようとするそぶりもなかった。すっかり観念しているらしい。
「元在学生って……。なら、あなたもかつては勇者を目指していたということですか?」
「黒歴史だけどな」
そう言うと、ひったくりの子は暗い笑みを浮かべながら続けた。
「学校なんて名ばかりだぜ、あそこは。才能のあるヤツを青田買いしてギアで洗脳して、規律でぐるぐる巻きにしたあげく、○○の勇者なんつー大仰な二つ名をつけて無個性な社会の歯車として送り出す──それが勇者学校の──」
「バカなことを言わないでください!」
レオニーが大きな声でひったくりの言葉を遮った。
「勇者学校は誉れ高い勇者の後継者たちを育成する学校です。そして勇者とは、人々の模範となりよすがとなる人類の希望です」
さっきも感じたことだけど、レオニーは勇者という存在に強い思い入れがあるらしい。対するひったくりちゃんは飽くまで冷ややかだった。
「量産型の従順なお人形たちがか? ハッ、大した希望だぜ」
「教育により安定供給を実現した、社会的エリートと呼んでいただきたいですね。社会規範すら遵守できないあなたのような人には分からないのでしょうけれど」
どこまで行っても二人は平行線だ。それにしても、勇者学校って強い人を鍛え上げるところじゃないの? よく考えてみると、ボクは勇者学校が具体的にどんなところなのか、あまり分かっていないのかもしれない。ひったくりちゃんとレオニーは真逆の見方をしてるけど、そんなに評価が分かれることってあるのかなあ。
「テメェらも入りゃあ分かるぜ。あそこがそんないいもんじゃねぇってことくらい──すぐにな」
「ご忠告どうも。ですが、大きなお世話です」
その後、ひったくりちゃんはノールが連れてきた警備の人に連れて行かれた。何となく、後味が悪い。
「勇者学校、なんかえらい言われようだったね」
「あの者の言うことなんて気にする必要はありませんよ、ルチカ」
「まあ、気にしないけどね。それより、お疲れ、レオニー」
「お疲れ様です」
これが騒がしくも印象深いボクらの出会い。
この時はまだ知らなかった。レオニー=バイエズ──彼女がボクの人生を大きく変える存在になる、なんてことは。
◆◇◆◇◆
(レオニー視点)
ひったくりの捕り物騒ぎで変に注目を集めてしまったので、私はノールとルチカを連れて近くの広場にあるベンチで休憩することにしました。露店で食べ物をいくつか調達し、簡単な夕食代わりにすることにします。