人間と魔族が戦った人魔大戦以降、人間の間では贅沢を戒める風潮が強く、露店に並ぶ食べ物も肉の串焼きやふかしたジャガイモなど、質素なものが多いです。私はパンに鶏肉と刻んだ野菜を挟んだもの、ノールはふかしたジャガイモにバターを溶かしたもの、ルチカは串焼きをそれぞれ買い、合わせて果実水を三人分買い込みました。
ルチカは長旅の後なのか、かなり身なりが汚れていました。見かねた私は生活魔法を使って彼女の身を清め、衣服のほつれを直すことにします。
「《浄化》……《簡易修繕》」
「わぁ……すごいね」
ルチカは生活魔法を見慣れていなかったのか、目を白黒させて驚いていました。新鮮な反応で、私は悪い気はしません。
「そう言えば、レオニーって勇者の娘だったんだね」
改めて自己紹介したところ、ルチカがそんなことを言いました。先ほどのひったくりとの会話を聞いていたのでしょう。
「ええ、私の母は魔王を倒した《万能》の勇者、レイニ=バイエズです」
「わ、私のお母さんはその仲間で《治癒》の勇者だったの」
「ほえー」
ルチカは串焼きを頰張りつつ、目をキラキラさせています。話を振られてしまった手前正直に答えましたが、実は私は自分の出自の話が苦手です。《万能》の勇者の娘という肩書きは、私には荷が重すぎるものだからです。最初こそ憧れに満ちた視線を向けてくれる人は多いですが、私の実力を知ると皆、失望とともに私に向ける視線の色が変わります。
話題を変えるため、私はルチカに質問を投げかけました。
「魔族の娘が、どうして勇者学校に?」
「そんなに変かな? 魔族と人族は講和したんだし、そういう変わり者が一人くらいいてもよくない?」
「それにしたって珍しいと思うよ?」
「まあ、色々あってさ」
そう言って果実水に口をつけるルチカは、笑顔で追及を拒絶するようなそぶりでした。
「別に深くは聞きません。誰にだって言いにくいことの一つや二つあるでしょうし」
「ふふ、さっすがレオニー。いいお嫁さんになるね」
ルチカは時々よく分からないことを言います。私はパンを一口かじりながら、沈黙を守りました。少しパンが古いですね、これ。
「あ、これ返しておくね。キミもありがとう、プロト」
そう言って彼女は首からギアを外してこちらに差し出して来ました。
「便利だとは思うけど、ボクにはちょっと合わないから」
「でもルチカ。あなた、自分のギアを持っていないんですよね?」
「うん」
「ギアは勇者学校の受験資格だよ、ルチカちゃん」
「えええ、マジで!?」
そもそも、ギアはただの戦闘補助道具ではありません。装着者に最善の行動選択肢を提示し伸ばすべき才能を示す、大いなる導き手とも言うべき人類の英知の結晶です。一般市民には縁遠いものかもしれませんが、才ある者──特に勇者学校を志す者たちにとっては、なくてはならないものです。校則の前文にある勇者心得五大訓にもこうあります。
──五つ、汝、己よりも師よりも、ギアに従うべし。
勇者候補生にとって、学校の教師よりも優先すべきものがギアなのでした。私はそれをルチカに説明すると、彼女は渋面になりました。
「参ったなあ……。それってきっと安くないよね?」
「路銀が尽きた人にすぐ用意できるような値段ではありませんね」
「うぅ……」
私はお金には不自由しておらず、ルチカに貸したのは万一に備えて持ち歩いている小型のスペアでした。スペアはいつの間にか家にあった古いギアなので、私は新しい物をつけています。
「それ、お貸ししましょうか?」
「え、でも……」
「この通り、私はもう一つ持っているので」
私は首にはめたギアを指し示しながら続けます。
「まぁ、ルチカが勇者学校への入学を諦めるというなら止めないですが」
「借ります! 貸してください! 魔神様、お母さん、レオニー様!」
「なるほど、魔族バージョン……」
ルチカのおかしな言い回しに、ノールが律儀に突っ込みました。
「では、お貸しします」
「お借りします。あ、支払いはどうしたらいい?」
「出世払いでいいですよ」
「身体で返そうか?」
「ルチカ……。魔族の価値観がどういうものかは分かりませんが、仮にも勇者を目指そうというのなら、そういう冗談は言うものではありません」
「あははは、ごめんごめん」
私がたしなめると、ルチカは案外素直に謝罪を口にしました。素直なのだかひねくれているのだか、今ひとつ摑みかねる人です。
「それとこれを」
「あむ?」
私は革袋から銀貨を数枚取り出してルチカに渡そうとしました。串焼きにかぶりついていたルチカがきょとんとした後、それをゴクリと飲み込んでから聞いてきました。
「それは?」
「勇者試験までの生活費です。今、無一文なのでしょう?」
「それはそうなんだけど……どっちかっていうと、働けるとこ教えて欲しいな」
「働けるところ、ですか」
「うん」
安易に施しを受けようとせず、自ら稼ぎたいというルチカの姿勢は、私にも好ましいものです。私は密かに彼女の評価を一つ上げました。
「それなら、知り合いの宿屋を紹介しましょう。勇者試験のせいで猫の手も借りたいくらい忙しいようですから。食事と寝床もつくでしょうし」
「わお、最高。ぜひお願い」
私は知人の宿屋に紹介状を書き、一緒に地図もしたためてルチカに渡しました。
勇者試験についていくつかの情報を提供したあと、私とノールはルチカと別れることになりました。
「じゃあまたね、レオニー、ノール。次は試験会場で!」
「ええ」
「またね、ルチカちゃん」
広場を出ると外はすっかり暗くなっており、ルチカの姿はすぐに見えなくなりました。ルチカと話した時間は決して長いものではありませんでした。それなのに、私の目蓋にはあの変わり者の魔族の姿が、焼き付いて離れないような気がしました。
「……変わった子だったね」
「ええ。でも──」
私は先に歩き出しながら、ふと呟くように続けました。
「でも、悪い人ではなさそうです」
◆◇◆◇◆
(ルチカ視点)
レオニーたちに会ってから数日後の朝、ボクは勇者学校の入学試験会場にやってきた。試験会場は勇者学校そのものらしいけど、お目当ての場所には武骨な門がぽつんと一つしかなかった。
(おや?)
──門をくぐってください。普段は自由に行き来できませんが、今日は開いているはずですから。
怪訝に思ったけど、プロトにそう言われて門をくぐると風景が一変する。
「わ」
──ようこそ、勇者学校へ。と言っても、わたくしは関係者でもなんでもないんですけれどね。
「や、ありがとう。ちょっとワクワクしてきた」
勇者学校は四方を無機質な高い壁に囲まれていて、どうやら門以外からは行き来が出来ないみたいだった。外側からは中は見えない仕様になっているらしい。なんだか学校というより監獄みたいにも見えるなあとボクは思った。一番大きい建物は結構いい感じの古い人族文化の建造物に見えるし、何かの施設を再利用しているのかもしれないね。
周りを見渡せば、腕に覚えがありそうな若者がずらりと肩を並べて試験の開始を待っている。一癖も二癖もありそうな面構えをしていて、みんなこれから始まる試験を待ちわびているように見えた。強さを何よりも尊ぶのが基本の魔族としては、強そうな子がいっぱいいる状況はワクワクしちゃう。でも、レオニーによると最初は筆記試験からだって言うしなぁ。地頭は悪くないと自分では思うんだけど、どうにも暗記科目は苦手だ。
「ルチカ」
「あ、レオニー。ノールも。おはよ」
他の子たちに交ざって時間を待っていると、レオニーとノールたちもやってきた。