一 勇者 ①

『事後調整班より各位へ──本日午前一時過ぎ、池袋にて《勇者》出現。被害者七名、いずれも通勤客。映像記録のセキュリティチェック完了──共有を開始します』



 都内某所。実験施設や工場が立ち並ぶ工業地帯の一つに、その建物はあった。


せんめつぐん技術研究所」とだけ印字された、無機質でだだっ広い建物。内部にある一般食堂備え付けの液晶からは、感情のこもらない機械音声と映像が流れている。

 映っているのは池袋のホームだ。れきや焼け跡から煙が立ち上り、何人もの作業員が後始末をしている。


『共有を展開。詳細情報へのアクセス権申請は将官以上の者へ──』

「へえ。昨日の《勇者》戦、池袋のものだったんですね」


 その映像を見ながら、食堂の片隅で小さな食卓を囲む二人の少女達がいた。

 どちらも白衣に身を包み、食堂のメニュー表を前にしている。そのうちの一人、すいの瞳を持つ少女がだるそうに言った。


「もうカグヤ先輩、早く決めてくださいよー。昼休み終わっちゃいますよぉ?」

「待ってマリちゃん! もう少し、もう少しだから……!」


 その視線の先にいるのは、眉根を寄せてうなっている少女。

 背中まである明るいいろの髪に薄紫の瞳を持つ、品の良い少女だ。一般食堂の料理など似合わなそうな気品を持っているが、彼女の顔は真剣そのものだった。

 まるで世界の運命でも決めるような表情で。


「A定食かB定食か……Bはカロリーが高いけれどこのトンカツはがたい、しかしA定食は期間限定のパスタソースが使用されている……いやでも特別メニューのサラダ付きオムライスも魅力的だし……」

「もういいですか? 注文しちゃいますよ?」

「待ってマリちゃん!! ランチの内容は今日一日のモチベーションを左右する重大な決断なのよ。しかも一つしか選べない……軽率に決めるものじゃないわ……!」

「いや明日も明後日あさつても食べられますから。ついでに休日もずっと隊舎詰めなのでその後も食べられますし」

「悲しいことを言わないでマリちゃん!!」

「はいはいもう注文しますからね。すみませーん──」


 ああっ!? と小さく叫んで、慌ててメニュー表を凝視する少女。

 名をシノハラ・カグヤ。この建物にある「第二技術研究所」所属の中尉である。

 同伴するエザクラ・マリは同じ研究所に所属する准尉であり、カグヤの後輩だ。

 人もまばらな食堂で、二人は少し遅い昼食をっていた。一般食堂とはいえスタッフが注文を取りに来る形で、がらんとした食堂でマリがメニューを注文する声だけが響く。


「じゃあ私はこれで……先輩は?」

「………………じゃあA定食とB定食と特別メニューで」

「結局全部いくんですね……」


 あきれたように言う後輩。ふふふとカグヤは少しばかり得意げに笑う。


「迷った時はとりあえず全部選ぶって決めてるの。全部選べば後悔しないからね」

「いつもながら強欲極まりないですねー先輩は」


 ちなみにハーフサイズなどということもなく純然たる三人前だが、カグヤにとっては通常運転だった。


「まあそれは先輩の問題なんで別にいいですけど。この間言ってたダイエットとかはどうしたんですか? 半年後に十キロ瘦せるとか言ってませんでしたっけ」

「あのねマリちゃん。第二けんの研究員として言わせてもらうけど」


 カグヤはきらりと目を光らせ、ちっちっと指を振る。


「生き物である私達が必要もなく減量しようだなんてナンセンスもいいところよ。全ての動物は本来生きるために栄養摂取するもの。瘦せようとしてるのなんて人間だけなの! 私は本来の姿に戻って──」

「あぁはいはい。それ毎回聞いてるんで」


 マリは視線すらやらずに返した。


「でもそれ先輩には当てはまりませんよ? 動物は筋肉量がありますけど、先輩には筋肉ぜんっぜんないですし。運動しなきゃ増えてく一方です」

「ん? ちょっと待ってそれどういう──」


 言いかけた時、ピロン、と通知音とともに映像が切り替わった。

 食堂に存在する液晶には、せんめつぐん有する街頭監視カメラの様子が流れている。その多くは《勇者》戦の記録映像だ。

 言葉の途中だったカグヤが視線を移すと、別角度画面の映像が流れていた。

 様々なものに擬態し作動しているカメラの中には、駅の電光掲示板に組み込まれているものものある──上から撮影されたものとおぼしき粗い画像に、複数の少年少女が映っていた。


「あの人達は──」

「戦闘兵科の面々ですね。相変わらずお強いですねぇ」


 その全員がらんりよくの隊服を身につけていた。画質は粗いのに少年少女の姿を見事に捉えている。

 かれは映像ではちめんろつの活躍を見せていた。特に一番先頭にいる少年は圧倒的な速さで三メートルほどもある化け物を翻弄している。一騎当千だと肌で理解できる強さだった。


「あ、この人って」と、マリが何かに気付く。


「戦闘兵科の有名な人じゃないですか? 私、一度見たことありますよ」

「え。そうなの? マリちゃんこの画質でよく見えるわね」


 カグヤは顔のさいまでは分からない。というより人間の顔立ちの違いにあまり興味がないだけなのだが──ただ、少年のその左耳に銀十字のピアスがあることは目を引いた。

 見ている間に、映像の化け物から龍の形をした炎が上がる。


「大きさは人間とほぼ同じ……空気中から炎を? どんなメカニズムでこんな……」


 カグヤは《勇者》の動きを食い入るように見ていた。黒く塗り潰された顔はどの角度から見ても、まるで闇をまとっているように視認できない。

《勇者》は手から水球を放出し、向かい側の線路とホームを吹き飛ばした。音と映像だけでも伝わってくる戦闘の激しさ。

 しかしカグヤが興味があるのは《勇者》だけだ。


「炎の次は水? なんでもアリね……」


 映像の少年は、カメラが全く追えていない動きで刀を振った。切っ先が《勇者》の心臓付近に突き刺さり、その直後《勇者》の身体からだは崩れ落ちる。


「あー……」

「あーじゃないですよ先輩。どこ見てんですか」

「どこって《勇者》に決まってるじゃない」


 カグヤは脱力したように食卓の椅子にもたれかかった。


「あれは──特に攻撃の威力が強いタイプの《勇者》。今の数秒じゃそのくらいしか分からないわね……」

「でも戦闘兵科の人はすごかったですよ? あんな大きい《勇者》を一発で倒しちゃうなんて」

「戦闘兵科なんて見てないのよ私は」


 と、カグヤは座り直す。


「興味があるのは《勇者》だけ。……そりゃあ、さっきの部隊みたいに特に強い人は少しは気になるけど。それでもただの人間にしか過ぎないわ」

「……変わりませんねえ先輩は」


 マリのからかうような声。


「人間よりも、《勇者》が気になるんですか?」

「当たり前よ」と、カグヤは神妙にうなずく。


「《勇者》について調べれば、それだけ早くを打開することが出来る。戦いを終わらせることが出来るんだから殲滅は現状維持の行為でしかないわ」


 。それはもちろん、《勇者》と呼ばれるぎようが突如日常をおびやかす、今のこの国の現状のことだ。

《勇者》──それは今から三十年前に出現し、人々をじゆうりんしてきた化け物の総称。

 どこから来たのか、なんの目的があるのかも分からない。ただ分かっているのは、脈絡なく現れて大規模な破壊を繰り返すこと、顔が何か異常なもので黒く塗り潰されていること。

 そして、その他に特筆すべきがあることだ。


「《勇者》は周囲を破壊し、たくさんの人間を殺す化け物よ。これまで家族を失った人も大勢いる。マリちゃんだってそうでしょ?」


 マリはうなずく。お調子者風だが、マリも《勇者》に家族を奪われた孤児だ。


「そんなに昔からこれだけの悲劇を生んでいるのに。何人もが孤児になっているのに。それなのに──」


 カグヤは低い声でつぶやく。誰も気付かないというその事実を。

 どんな破壊が起こっていても、大半の人間からは見えないのだから気付かれない。異常気象など、別のものとして認知がげられてしまうのだ。

 カグヤはおもむろに私用のスマホを見る。


『深夜の池袋駅ホーム崩壊、列車の衝突事故か』。そんな見出しの的外れなニュースが並んでいる。映像に映し出されているような化け物の存在はどの写真にも写っていない。

 世間に流れるニュースでは、昨日の深夜に池袋駅で起こったことは電車の衝突事故ということになっている。

 ただの列車事故で向かい側のホームまでえぐれることはない。それがどれだけ不自然でも、化け物が襲来したという考えに至る者はいない。


「どれだけの破壊があっても大人には見えない。気付かれない。それが《勇者》なんだから」


《勇者》の特徴の一つとして、思春期を超えた大人にはその姿が見えていないということが報告されている。