一 勇者 ①
『事後調整班より各位へ──本日午前一時過ぎ、池袋にて《勇者》出現。被害者七名、いずれも通勤客。映像記録のセキュリティチェック完了──共有を開始します』
都内某所。実験施設や工場が立ち並ぶ工業地帯の一つに、その建物はあった。
「
映っているのは池袋のホームだ。
『共有を展開。詳細情報へのアクセス権申請は将官以上の者へ──』
「へえ。昨日の《勇者》戦、池袋のものだったんですね」
その映像を見ながら、食堂の片隅で小さな食卓を囲む二人の少女達がいた。
どちらも白衣に身を包み、食堂のメニュー表を前にしている。そのうちの一人、
「もうカグヤ先輩、早く決めてくださいよー。昼休み終わっちゃいますよぉ?」
「待ってマリちゃん! もう少し、もう少しだから……!」
その視線の先にいるのは、眉根を寄せて
背中まである明るい
まるで世界の運命でも決めるような表情で。
「A定食かB定食か……Bはカロリーが高いけれどこのトンカツは
「もういいですか? 注文しちゃいますよ?」
「待ってマリちゃん!! ランチの内容は今日一日のモチベーションを左右する重大な決断なのよ。しかも一つしか選べない……軽率に決めるものじゃないわ……!」
「いや明日も
「悲しいことを言わないでマリちゃん!!」
「はいはいもう注文しますからね。すみませーん──」
ああっ!? と小さく叫んで、慌ててメニュー表を凝視する少女。
名をシノハラ・カグヤ。この建物にある「第二技術研究所」所属の中尉である。
同伴するエザクラ・マリは同じ研究所に所属する准尉であり、カグヤの後輩だ。
人も
「じゃあ私はこれで……先輩は?」
「………………じゃあA定食とB定食と特別メニューで」
「結局全部いくんですね……」
「迷った時はとりあえず全部選ぶって決めてるの。全部選べば後悔しないからね」
「いつもながら強欲極まりないですねー先輩は」
ちなみにハーフサイズなどということもなく純然たる三人前だが、カグヤにとっては通常運転だった。
「まあそれは先輩の問題なんで別にいいですけど。この間言ってたダイエットとかはどうしたんですか? 半年後に十キロ瘦せるとか言ってませんでしたっけ」
「あのねマリちゃん。第二
カグヤはきらりと目を光らせ、ちっちっと指を振る。
「生き物である私達が必要もなく減量しようだなんてナンセンスもいいところよ。全ての動物は本来生きるために栄養摂取するもの。瘦せようとしてるのなんて人間だけなの! 私は本来の姿に戻って──」
「あぁはいはい。それ毎回聞いてるんで」
マリは視線すらやらずに返した。
「でもそれ先輩には当てはまりませんよ? 動物は筋肉量がありますけど、先輩には筋肉ぜんっぜんないですし。運動しなきゃ増えてく一方です」
「ん? ちょっと待ってそれどういう──」
言いかけた時、ピロン、と通知音とともに映像が切り替わった。
食堂に存在する液晶には、
言葉の途中だったカグヤが視線を移すと、別角度画面の映像が流れていた。
様々なものに擬態し作動しているカメラの中には、駅の電光掲示板に組み込まれているものものある──上から撮影されたものと
「あの人達は──」
「戦闘兵科の面々ですね。相変わらずお強いですねぇ」
その全員が
「あ、この人って」と、マリが何かに気付く。
「戦闘兵科の有名な人じゃないですか? 私、一度見たことありますよ」
「え。そうなの? マリちゃんこの画質でよく見えるわね」
カグヤは顔の
見ている間に、映像の化け物から龍の形をした炎が上がる。
「大きさは人間とほぼ同じ……空気中から炎を? どんなメカニズムでこんな……」
カグヤは《勇者》の動きを食い入るように見ていた。黒く塗り潰された顔はどの角度から見ても、まるで闇を
《勇者》は手から水球を放出し、向かい側の線路とホームを吹き飛ばした。音と映像だけでも伝わってくる戦闘の激しさ。
しかしカグヤが興味があるのは《勇者》だけだ。
「炎の次は水? なんでもアリね……」
映像の少年は、カメラが全く追えていない動きで刀を振った。切っ先が《勇者》の心臓付近に突き刺さり、その直後《勇者》の
「あー……」
「あーじゃないですよ先輩。どこ見てんですか」
「どこって《勇者》に決まってるじゃない」
カグヤは脱力したように食卓の椅子にもたれかかった。
「あれは
「でも戦闘兵科の人は
「戦闘兵科なんて見てないのよ私は」
と、カグヤは座り直す。
「興味があるのは《勇者》だけ。……そりゃあ、さっきの部隊みたいに特に強い人は少しは気になるけど。それでもただの人間にしか過ぎないわ」
「……変わりませんねえ先輩は」
マリのからかうような声。
「人間よりも、《勇者》が気になるんですか?」
「当たり前よ」と、カグヤは神妙に
「《勇者》について調べれば、それだけ早くこの事態を打開することが出来る。戦いを終わらせることが出来るんだから殲滅は現状維持の行為でしかないわ」
この事態。それはもちろん、《勇者》と呼ばれる
《勇者》──それは今から三十年前に出現し、人々を
どこから来たのか、なんの目的があるのかも分からない。ただ分かっているのは、脈絡なく現れて大規模な破壊を繰り返すこと、顔が何か異常なもので黒く塗り潰されていること。
そして、その他に特筆すべき二つの特徴があることだ。
「《勇者》は周囲を破壊し、たくさんの人間を殺す化け物よ。これまで家族を失った人も大勢いる。マリちゃんだってそうでしょ?」
マリは
「そんなに昔からこれだけの悲劇を生んでいるのに。何人もが孤児になっているのに。それなのに誰も気付かない──」
カグヤは低い声で
どんな破壊が起こっていても、大半の人間からは見えないのだから気付かれない。異常気象など、別のものとして認知が
カグヤは
『深夜の池袋駅ホーム崩壊、列車の衝突事故か』。そんな見出しの的外れなニュースが並んでいる。映像に映し出されているような化け物の存在はどの写真にも写っていない。
世間に流れるニュースでは、昨日の深夜に池袋駅で起こったことは電車の衝突事故ということになっている。
ただの列車事故で向かい側のホームまで
「どれだけの破壊があっても大人には見えない。気付かれない。それが《勇者》なんだから」
《勇者》の特徴の一つとして、思春期を超えた大人にはその姿が見えていないということが報告されている。