一 勇者 ②

 個人差はあるものの、二十歳になる頃にはテレビなどの映像媒体を介しても認識できなくなる。見えないが故に、見えてしまった子供が何を言っても信じない。


「でも、昔は見えてたんですよね? 今の大人も」


 マリは不思議そうだった。


「ずっと見えてたのに、見えなくなった途端誰も信じないってそんなのあるんですか?」

「まあ、そもそも《勇者》の出現に居合わせる人自体少ないからね……居合わせても大抵死んでるし──せんめつぐんに居た人は流石さすがに覚えているようだけど、大多数が見えないんだもの、自分が間違っているんじゃないか、って思う人は多いらしいわ」


 三十年前に《勇者》と戦っていた者も、もう《勇者》を知覚することも出来ない。記憶の中にしかいないのだ。


「先輩達もそうだった。徐々に《勇者》が見えなくなって──見えないものの研究なんて出来るわけないから、辞めていったわ」

「……なんだか切ないですね」


 マリはうつむいた。


「どんなに努力しても必死になってもいつか全て見えなくなってしまうなんて。私も先輩もいつか、見えなくなる時が来るってことなんですね……」

「……ええ」


 すると、カグヤは急に息を詰めた。何かに耐えるように。


「……ッ、ええ、そうなのよマリちゃん……!」


 急に強い口調になったカグヤを、マリは見上げた。カグヤはその紫紺の瞳を輝かせる。


「見えなくなるのはあらがえないこと。あと三年もしたら私だって……。だからこそ私はその前に、を完成させなきゃならないの……!」

「あの研究って……」

「前に少し言ったでしょ? 『はんごん研究』のことよ」

「ああ、『はんごん』ってあれですね。確か《勇者》を──」

『──事後調整班から各位へ』


 その時、マリの言葉を遮るように機械音声が響いた。


『補足事項──《勇者》のと思われる人物が判明。個人情報を展開します』


 そしてモニターに、あどけない表情の少年の顔が映し出される。明らかに軍人ではない、戦闘とも無縁な、普通の制服を着た少年だった。


てらしまそう、十六歳。近隣の高校に通う高校生で、池袋駅で線路へ飛び降りの直後、《勇──』

「……《勇者》化した」


 カグヤが機械音声を引き継ぐように低くつぶやく。

《勇者》──あの醜くおぞましい化け物。この国を、人々を襲う化け物。

 どこにでもいる高校生が《勇者》になった──それがこの国の〝日常〟になりつつある。

 その事実を受け止めた上でカグヤは決意を込めた瞳で言葉を続けた。


「だから私は、かれを人間に戻す研究をしている」


 カグヤは力強い視線でつぶやく。《勇者》を人間に戻すと言われても、対面するマリは驚く素振りも見せなかった。

《勇者》が元々人間だったこと。カグヤやマリと同じ人間であったこと──《勇者》を知る者達にとっては常識だからだ。

 異常な化け物、《勇者》の持つ最後にして一番の特徴。それは。

 ──《ということ。

 あんな姿をしていても、何人もの人を殺していようと、大人の誰にも見えなくても、元は人間だ。監視カメラの映像や多数の目撃証言があり、少なくとも未成年の者達──特にせんめつぐんの間ではそれは周知の事実となっていた。

 ただそのどれもが未成年の目撃証言だったのと、例が少ないので警察に信じられることはなかったが。せんめつぐんはそんな怒りを秘めながら生きながらえた未成年がほとんどを占めている。

 池袋に現れた《勇者》の。それは、近隣の高校に通う生徒。

 同駅同ホームで飛び降りの後、《勇者》化。


「あんな化け物でも、かつては私達と同じ人間だった──なら、私達や大切な人がいつなるか分からない。だから私は少しでも元に戻る可能性反魂に賭けたいのよ」

「先輩……」

「ま、この考えは少数派らしいけどね」


 そう笑ってカグヤは、残っていた料理に集中する。三人分のうち二人分は既に平らげていたが、残る一つは本命のB定食だ。トンカツがこれでもかと盛られた、部活帰りの野球部仕様の量である。

 平気で三人前を平らげるカグヤは、苦しそうな顔すらも見せない。


「……確かに先輩の考え方は、軍では少数派かもしれませんけど」


 そんなカグヤを見ながら、マリは静かに語り始める。


「でも、私は好きですよ。《勇者》の元になった人間にとっては救いになると思います」

「マリちゃん……!」

「考えたくないですけど、私も勇者になる可能性だってあるわけですからね」


 マリはかなしい顔でほほんだ。


「ですから先輩。誰に何を言われても私は先輩のこと──……」


 急にマリの言葉が途切れた。

 カグヤはトンカツから目を上げる。ぜんとしたような彼女の姿があった。


「マリちゃん? どうしたの?」

「あ……っと」


 何とも形容できない表情をするマリ。その視線の先が自分の背後にあると知り、カグヤはゆっくり振り返る。マリがそんなに驚くものは一体なんだろうと少しばかり好奇心を抱いて──


「……え?」


 見知らぬ少女がそこにいた。

 桜色の髪に薄いみどり色の瞳を持つ、背が高いボーイッシュな美少女だ。顔立ちはもちろんだが、背が高くてスタイルも良く、舞台の男役と言われても不思議ではない。そんな美しい彼女に思わず、カグヤはつぶやいた。


「あっ、貴女あなた……誰……?」


 目を丸くするカグヤに少女は微笑、自己紹介するように胸に手を当てる。


「私は戦闘兵科所属、アラカワ・サクラ少尉。シノハラ・カグヤ技術中尉はどちらですか?」


 少し間があって、マリとカグヤは同時にカグヤを指差した。

 サクラと名乗った少女は、その場にかがんでカグヤと目線を合わせる。みどり色の澄んだ瞳に見つめられ、カグヤはだかたまれない気分になった。


「突然の訪問、失礼します。技術中尉殿」

「えっ!? あ、いえ……」


 涼やかで自信にあふれた声。こちらが居心地悪くなるほどの。


「お食事中ですが、お話しさせていただいても?」

「は、はい大丈夫……ていうかその、敬語じゃなくても大丈夫です、よ……部署も違うし」

「……そう? なら、そうさせてもらうね。実は敬語って苦手だったんだ」


 朗らかな声とともに立ち上がる少尉。

 ただそれだけの所作でも洗練されていて、カグヤはぼうぜんとする。これまでに会ったことがないタイプの人間だった。


「戦闘兵科の少尉が、どうして……?」


 そう問うと、少尉は首をかしげた。


「あれ? 聞いてないかな? 来月からの異動の話」

「異動?」


 予想外の言葉に、カグヤは少しだけ目を細める。


「聞いてません。なんのお話ですか?」

「あーやっぱり聞いてなかったかぁ……」と笑う彼女は、人事局の人間というわけでもなさそうだ。ますます不審な少女は、苦笑いをしつつ言う。


「辞令についての返事がないからおかしいと思ったのさ。まさか二週間も放っておくとは思わなかったからね」

「二週間……?」

「そ。二週間前に手紙を送ったんだよ。貴女あなたは来月、つまり明日から──」


 その時だった。静かだった食堂がにわかに騒がしくなる。急増した人の気配に、カグヤもマリもサクラもそちらに目を向けた。


「どうしたんですか? 急にうるさくなったような」

「ああ、もう一つの食堂がいっぱいになったからこっちに来たのよ」


 騒がしさの原因はなんてことのない理由だった。すぐに興味を失ったカグヤとマリに比べ、サクラだけがぜんとしている。


「え。珍しいな。どうしてここにいるんだ


 あいつって誰。カグヤとマリの疑問は、しかしすぐに解消されることとなる。

 一人の少年が人ごみの中から現れたのだ。銀十字のピアスが特徴的な少年。

 光がさない夜のような灰色の瞳は炎の赤をちらちらと宿し、髪はかがやくアイスシルバー。左耳には鈍く輝くような銀色の十字型のピアスをしていて、そこだけが何か異質だ。

 映像で見た顔だ──とカグヤはなんとなしに思う。低画質の裏に隠れていた顔立ちは、人間に興味がないカグヤから見ても整ったものだった。

 サクラはおうように笑う。


「なんだアズマ。結局君も来たのか。だったら一緒に来ればいいのに」

……!?」


 マリが目を丸くしている。アズマ。

 そういえばマリが有名人だって言ってたような、とカグヤは思ったが、重要じゃなさそうなことはすぐに忘れる性質だったので覚えてなかった。


「えっ!? てことは先輩、まさかに異動するんですか!?」

「あの隊?」

「先輩、ちょっとは人間に興味持ってくださいよ! アズマといえば、あの──」


 やがて少年が──アズマと呼ばれた彼がカグヤ達の席まで来る。

 間近で見れば彼の表情がよく見えた。全体的にせいひつだが、その雰囲気の奥に激しく燃える何かを抱えている。そんな印象を持つ大人びた少年。どこか不愉快さをうかがわせる瞳が印象的だ。