一─二 ①

『──いやいや、すまないなカグヤ。すっかり失念していたよ』

「部下の異動を忘れないでください……」

『忘れていたわけじゃない。覚えていなかっただけだ。たまたまこちらの研究が大詰めを迎えていてね、そこまで関わっていられなかったのだよ』


 異動を命じられた次の朝。カグヤは技術兵科の軍人寮の前にいた。

 人を待っているのだ。その場で立ったまま、自分の上司と通話をしている。上司──つまり研究長。弱冠十六歳でその座まで上り詰めた天才だ。


「研究長のプロジェクトって、確か対勇者生物兵器開発の研究ですよね? あれもう終了してませんでしたっけ?」

『終了じゃなくて凍結、だな。凍った実験など名前と大義名分をすり替えてしまえばいくらでも再利用可能だ』

「研究長はほんと変わりませんねえ……」


 二十五年も前に凍結された非人道的研究を勝手に掘り起こすなどこの人くらいのものだ。


「……ま、その非道のお陰で今せんめつぐんは対抗できているわけですから。ありがたいですが」

『非道というのも私は賛成できないがね──』


 研究長は透き通ったような声でわらう。


『《勇者》をより効率的に滅する対勇者生物兵器、神話からその名を取って「クロノス」。《勇者》の肉皮から採取した細胞で作られた生きた兵器は、人類の敗北を何度も防いできた』


 クロノスと呼ばれる武器は、《勇者》のたいから造られたものだ。その研究は凍結されたが、成果となった武器は今なお現役である。刀や銃など様々な形を取るそれらは、《勇者》を殺すために大きく貢献していた。


『しかし二十五年も前の研究だ。その当時にしては素晴らしい技術と発想力だが、所詮初期の研究──反動リバウンドについては解決していない』


 また始まった。カグヤは諦めたようにまぶたを閉じる。

 クロノスは生きた武器で、そして特殊な武器だった。《勇者》由来で製作されたもので、それぞれに意思が宿っているとも言われている。

 そう言われているかというと、クロノスは使い手を選ぶからだ。普通の人間が使用すると反動リバウンドが度々起こる──例えば刀を振れば指がれ、撃っただけで反動で腕が吹っ飛ぶような。だからこそ凍結に至ったわけだが、クロノスは現役。使い手がいるということだ。


『だから私はその反動リバウンドを解決するため──』

「分かった分かりましたから研究長」


 無理やり遮った。


「それより、異動の話ですよ。どうして了承しちゃったんですか? 研究長も私の研究、知ってるのに」

『研究費が足りないんだよ。悪いな』

「研究費」

『上の人間が言っててなぁ──けんの知識や技術をもう少し広める努力をしろだと』


 研究長はその愛らしい声に似合わない悪辣な口調で語る。

 けんだけが知識を保有するのは適切ではない、と上は思ったそうだ。

 正論だが迷惑な話である。


『で、まぁ私としては不本意だったわけだが、君を推薦しといたわけだ。予算もくれるというし、一石二鳥だろう?』

「……研究長、私を売ったんですか」

『売ったなんて人聞きの悪い。ただ私は、予算の増額を対価に異動を了承しただけだ』

「それは売ったのと何が違うんでしょうか??」


 研究長は黙った。


「それと──目的は研究費だけじゃないですよね? 何せ『カローン』は唯一反動リバウンドなしでクロノスを使える部隊ですから。本当はそれが目当てなんでしょう?」


 カローンのもう一つの特徴として知られているのは、特殊生物兵器であるクロノスを反動無しで使えることだ。だからこそ最強の名をほしいままにしているのである。

 クロノスについて研究している研究長にとって、これほど興味の湧く存在はない。色々と探ってこいということだろう。


「自分が行きたくないからって……」

『ま、それはともかく』


 研究長は露骨に話をらした。


『実地試験だとでも思って楽しんできたまえ。《勇者》を間近で見ることは君の研究にも役立つはずだ──それじゃあカグヤ、健闘を』

「あっちょっと研究長──!」


 そして電話は切られてしまった。

 通話を一方的に切られ、カグヤはため息をく。


「ったく……勝手すぎるのよ研究長は」


 端末を少しにらんでつぶやいた。


「というか、上って言ったって二十歳くらいじゃない。年齢はほとんど変わんないってのに」


 せんめつぐんの実働部隊は、下は十二から上は二十歳までの超若年組織だ。

 かつて所属していた大人達の活躍で、世間に隠蔽されつつもその存在や資金は保障されているが、それでも非常に不安定。一応軍とは言っているが、階級などもあまり意味を成さない。


(所属しているほとんどの人間も《勇者》に家族を殺された孤児だしね──)


 せんめつぐんは世間には大規模孤児院として知られている。学校なども併設されているため、一見「普通の」子供達だ。

 だが、結局は子供の集まり。

 しかも相手は、社会の主人公である「大人」には見えない敵。ギリギリの状態で運営されているといってもよかった。


「……本当にこのままでいいのかしら」


 何か手を打たないといけない。大人のほとんどに認知されないままさつりくを繰り返す化け物を、現状に都度対処するだけでいいはずがない。

 それを理解しない戦闘兵科。今からそこに行くのだと思ってカグヤは大きなため息をいた。


「というか、さっきから誰も来ないけど本当にここでいいの? もう三十分も過ぎてるけど」


 研究長は技術兵科の寮に迎えを寄越したと言っていた。待ち合わせの時間は午前九時と聞いていたが、もう九時半だ。


「待ち合わせの時間はとっくに過ぎてるのに、迎えっていつになったら──」

「──あーごめんごめん、遅くなったね」


 端末の向こうからりんとした女性の声がして、カグヤははっと顔を上げる。

 慌てて端末を仕舞う。髪先を薄緑に染めたボーイッシュな美女が、はつらつと笑って待っていた。


「第二けんの研究長から話は聞いてるよ。待ち合わせまで三十分もあるのに、早いんだね」

「……三十分?」

「十時の待ち合わせでしょ? あいつの部下にしちゃよく出来るじゃない──って、あいつの部下だから、か」


 研究長が待ち合わせ時間を間違えていたらしかった。遅い方に間違えられなくてよかったとカグヤは思った。


「えっと、技術研究所のシノハラ・カグヤ中尉だよね? 私は『カローン』の後方支援部隊隊長のミライ・ユミ。階級は少佐。よろしくね」

「よろしく、お願いします……あの、」


 気になったことをどうしても尋ねずにはいられないだ。


しつけですけど、成人……されてますよね?」

「ああうん、そうだよ。今年で二十一になる」


 あっさりと言われた言葉に、カグヤは戸惑った。二十一となれば、《勇者》なんかとっくに見えなくなっている頃だ。どうしてここにという言葉を言えないでいると、ミライ少佐は何を勘違いしたのか急ににいたずらっぽい目になった。


「あはは、ひょっとしてもう少し上に見えた?」

「えっ!? ちょっそんなつもりは……」

「あはは、冗談よ」


 ミライ少佐はらいらくに笑った。


「でも、嫌じゃないよ。年上に見られるってことはそれだけ苦楽を重ねたってことだからね」


 ミライ少佐の平然とした答えにカグヤはあつにとられる。


「いえ……ただ、《勇者》が見えていらっしゃらないのではないかと……」

「ああ──皆同じ反応するね。けど私が何か特別なわけじゃないよ。ちゃんと

「見えていない……」

「私は見えなくなっちゃったから直接戦闘には関われないけど、それまでに出来ることはあるでしょう?」


 既に成人である彼女は《勇者》の姿は分からないし、《勇者》が出ている映像を見ても見えることもない。だがその記憶があるため、実行部隊であるカローンの後方支援を行う。


「政府や議会に食い込んでる仲間もいるし、私みたいな人は多いんだよ?」

「そう──なんですね」


 少佐は朗らかに笑った。保護者のような表情だ。カグヤはほっとしたような顔をした。

 ミライ少佐は異動に伴い、カグヤを戦闘兵科の軍人寮に案内する役目だ。車高の低い私用車の運転席に乗り込みながら、はきはきと言う。


「必要な事務手続きは全部済ませてる。必要書類や情報は、これから行く先にあるわ」

「ありがとうございます。そして研究長のせいでご迷惑をおかけして……」

「ああ、いいよ別に。長い付き合いだからね、あいつの横暴には慣れてる」


 ひらりと軽く手を振るミライ。その手には何かの傷跡が。彼女も現役時代は歴戦だったのだろう、とカグヤは思った。


「って、そうだ中尉。研究長といえばさ」


 声の調子は変わらないまま、ミライはハンドルを指でトントンとたたいて言う。


「随分と一方的だけどさ、今回の異動、大丈夫だったの?」


 少し、眉をひそめる。そっと隣をうかがえば、笑顔を消したミライ少佐がいた。


貴女あなたの役割はまぁ……技術供与、ってことになるんだけどさ」

「技術供与──確かに、そうですね」