一─二 ②

貴女あなたがこれから行くところは、軍で重要監視対象となっている場所だよ。戦闘の才能はあるけど、その分《勇者》への怒りや憎しみはデカい。その憎しみにまれたりしないかい?」


 ミライ少佐の声に責める響きはなかった。ただ、確認しているというだけだ。


「第二けんの研究長は私の腐れ縁で、あいつのめちゃくちゃさもよく知ってる。だから中尉の今回の異動が、本当は予算稼ぎだってのも知ってる」

「ああ……」

「それに、正直私はこういうのは好きじゃない。売ってるみたいになるもの。嫌なら私からあいつに言っておくよ? どうする?」


 ミライ少佐のこわは優しく、辞退を迫る意地悪さもなかった。


「そもそも前線基地だしね。研究者である貴女あなたが無理に行く必要もないわけだし。なんか研究もしてたんでしょ?」

「そうですけど──」


 カグヤは助手席で腕を組みうなった。

 その通りだ。カグヤは《勇者》を人間に戻す研究をしていて、そのタイムリミットもある中、今こんな関係ない部署に行ってる暇はない。しかも隊長はあんなやつだし。

 けれどこれはある意味チャンスではないか、とカグヤは思い直したのだ。


「少佐。私にとってもこの異動は利があるお話なんです」


 そうして彼女は、視線をかへとやる。まるで昔の思い出でも語るかのような顔で。


「《勇者》はまだ分からないことが多い。けれど、《勇者》と直接対面する機会は本当に少ない。それに『カローン』は他とは違う部隊と聞きました。だから、近いところでじつけ──観察できる状況はまさに理想の環境なんですよ」

「なるほ──ん? 今実験って言いかけた?」

「言ったかもしれないし言ってないかもしれません」


 言ったけれど。


「とにかく、嫌だというわけじゃないんですよ。あの隊長はきら──意見が合わなさそうですが、私も一度くらいは《勇者》に会ってみたいし」


 ミライ少佐はその言葉を聞くと、きょとんと首をかしげた。


「……えっと、貴女あなたも《勇者》に家族を殺された一人だって聞いてたんだけど……」

「? その通りですよ?」


 幼い頃に親を《勇者》に殺されたのは本当だ。けれどその話が今出てくるのだろう。

 きょとんとするカグヤに対し、ミライ少佐はあきれたように笑った。


「妙な子もいたものね。《勇者》に対して恨みはないの?」

「恨み──は、あまり……ありませんけど」


 ふっと脳裏に浮かんだのは、あの時の光景。

 絶望と悲痛の声と、──の背中。醜い化け物になってしまった彼の。

 振り払うように、カグヤは頭を振る。


「でも、《勇者》を殺すだけという今の方法ではいずれ限界が来ます。だってもし処理能力を超える存在が出てきたら破綻してしまうし。その前に別の方法を探るのも、《勇者》対策にはなるかと思いますよ」

「……なるほどね」


 ミライ少佐はか、少し笑ったようだった。両手でハンドルを握り直す。


も意外とあなどれない。シノハラ中尉、貴女あなたの今回の異動は正解だったのかもしれないわ」

「はい? どういうことですか?」

「こりゃあ面白くなりそうだ、ってこと!」


 吹き飛ばすように、少佐はハンドルをパシッと両手でたたく。


「──じゃ、時間も押してるし、そろそろ行こうか」

「は、はい」


 苦笑するカグヤのかたわら、ミライはアクセルを踏む。そのまま全体重を──


「……って、えっなんでそんなしよぱなからアクセルベタ踏み──ああああああ!!」


 カグヤの悲鳴が道路に響き渡った。


   ・・・


 千葉県某所。戦闘兵科の隊舎の多くは、《勇者》により更地になった場所に建てられている。戦闘兵科特別編成小隊──「カローン」の隊舎は、かつてふなばし市と呼ばれていた場所に存在していた。

 燃え焦げ、溶かされ、沈められ壊されて、草木も生えなくなった街。強力な《勇者》の暴走で数万人が死んだ六年前の事件以降、復興の目途も立っていない。

 その一角に車はまった。

 車から降りるよう指示され、だが降りたのはカグヤだけだ。ミライは車にとどまっている。

 片腕をハンドルにかけたままの彼女は、運転席の窓から腕を出して隊舎の方を指差す。


「その建物の、一番手前の扉。じゃ、今後は通信で。よろしくね」

「あ──はい。よろしくお願い致します」


 車がけたたましく去っていくエンジン音に背を向け、カグヤは目の前の隊舎を見上げる。

 カローンの隊舎は機動力と住環境を重視した三階建ての、レンガ風の近代建築の建物だ。

 元はマンションだったらしい建物で、入口は一つ、上質なガラスドア。十代の少年少女にしては破格の扱いである。

 千葉県北部はもはや人の住めない荒地に成り果てているが、ここはまだ随分とマシなようだ。人が生きていけるだけの水と空気、問題ない程度の通信環境、人が十数人生活するだけの電力の余裕があるのだから。

 やけに重い扉の取手を押し開いて、カグヤは思う。隊舎の外観は美しいが、十数人が生活するにしては、随分と周囲の設備が殺風景過ぎた。


「……どんな人達なんだろう。『カローン』って」


 カローン。《勇者》殺しの精鋭部隊で、六年前の崩壊の生き残り。

 隊の全員が、《勇者》を殺すことに特化した戦士だ。

 そして、『武器』を正しく扱う権利を持つ唯一の存在。


「いや、二人は会ったか。あのサクラって子と、あの無茶苦茶なやつ……」


 昨日会った偉そうな隊長を思い出してイラッとした。


「ったく、人を馬鹿にするにもほどがある」


 カローンのメンバーが集まる集会室は三階にあると、車の中でカグヤは聞いた。

 三階に唯一存在する大きな部屋の扉。インターホンまでは無かった。出迎えがない以上、こちらから出向くしかない。

 連絡入れた方がよかったかな、とカグヤは少しだけ思った。

 サクラと名乗った少女の番号だけは聞いている。


「まぁ……いいか。伝わってるでしょうし」


 構わず二回ノックをする。少し間が空いて、向かって来る足音が聞こえた。

 カグヤは思わず姿勢を正した。最も緊張する瞬間。

 ガチャリと扉が開かれる──そこに立っていたのは、アズマでもサクラでもなかった。

 腰まであるれいな黒い髪に、朱色がかった猫のような瞳を持つ、派手な印象の少女だ。カグヤの顔を見るなり、彼女の顔は驚きに染まる。


「……ひょっとして、シノハラ・カグヤ技術中尉?」

「え、ええ。本日より配属されました、シノハラ・カグヤです。よろしくお願いしま──」

「あーそっか。今日だっけ?」


 だるそうな声で面倒くさそうに言われる。


「忘れてたわ。ごめんごめん」

「忘れてたって……」


 とても軍人とは思えない、態度の悪いギャルみたいなしやべり方。

 カグヤは少し眉をひそめた。純粋に失礼である。


「えーと、本当にここって『カローン』主基地で合ってますよね? 正式な辞令もあるし、今日から異動になったってことも伝わってるはずですけど」

「私は聞いてないっての。アズマと一緒に来てよめんどくさいなあ」

「はぁ……?」


 アズマに続けて嫌なやつが現れた。


「あのっ、私は──」

「──シノハラ・カグヤ中尉か」


 静かな声が背中を襲い、遮られる。

 振り返れば昨日も見た顔。アズマ・ユーリ大尉だった。

 アイスシルバーの髪に、暗闇を凝縮したようなくらい瞳。不健康そうな青白い肌。今にも死にそうである。

 アズマは突っ立っているカグヤに視線を向けて、心底面倒そうに目を細めた。


けんのくせにわざわざこんなところまで来るとは、物好きな……」

「……お褒めの言葉、恐縮です。大尉」

「褒めてない。第二けんから聞いたぞ。お前の研究とやら」


 アズマ大尉は目を細める。


けんで行っている開発プロジェクトのほかにもう一つ、随分と興味深いものがあるな。はんごん研究──だったか?」


 カグヤは目を見張った。

 たった一晩で調べたのか。カグヤは感心した。


「いいか。《勇者》は確かに元人間だ。だが、『元』だ。元に戻そうなんていう考え方は俺は受け入れられない」


 どこか苦々しい顔で。


「《勇者》と人間が分かり合うことなどありえない。生者と死者が分かり合うことがないようにな」

「……だから『はんごん』なんですよ大尉。死者を生者に戻す──これが私の使命です」

「それに、そちらのやり方に干渉する気もありませんし。思想を強制する気もないので、そんなに構えないでください」


 無駄なことに時間を取られるのはカグヤが最も嫌うところだ。


「程良い距離を保ちましょうね。大尉」

「まあ……それならいいが」


 アズマは何かのやり場に困ったのか、視線を意味もなく左右に揺らめかせる。その様子から、何かの意図をくじいてしまったことにカグヤは気付いた。


「あ、すみません大尉。ひょっとして私に何かしらの嫌味を言うつもりだったんですかね? 私昔から空気読めないって言われがちでして」

「分かってて言ってるだろう貴様……」


 アズマ大尉がぎろりとこちらをにらんだ。ぴり、と空気が緊張する。