1章 ②

「遺伝子をいじって性転換させたのだ!」


 すごいでしょ、のポーズで、ぺたんこな胸を張るゆう姉さん。


 見ていてとてもほほましいのだが、かえではまったくほだされない。


「そ、そんなバカげたことができるはず……」


「できるとも! いつも言っているだろう──この超天才マッドサイエンティスト、すみゆうに不可能はないのだとっ!」


「……そうですか」


 諦めたらしい。


 かえでもさんざん思い知っているのだろう。


 ゆう姉さんの殺し文句が出た時点で、それ以上の追及は無意味だと。


「では、私たちに断りもなく、そのような施術をした理由は?」


「よくぞ聞いた! ひとつめは、崇高なる実験のためだ。人類の進歩のためだ。ヒトの遺伝子を操作し、あらゆる病や寿命を克服し、姿形・年齢・性別すらも自由自在、果てには生命創造さえほしいままにする──神の領域へと手を伸ばすためだとも!」


 さすがゆう姉さん!


 普段のわたしなら、高らかにたたえていたことだろう……が。


「ククク、あきかえで──我が実験体に選ばれたことを、光栄に思うがいいぞ!」


「……………………………………」


 今日はかえでの血管がブチキレそうなので黙っておく。


 妹は、ピキピキと表情を引きつらせながら、


「ひとつめ……ということは、ふたつめ以降があるんですね? それはなんですか?」


「ふたつめは……」


 ゆう姉さんは、わたしたちを交互に眺めてから、優しい声でこう言った。


「愛する弟妹……つまり、おまえたちのためだ」


「わたしたちの……?」


「な、なぜ……こんな悪魔のような実験が、『私のため』になるというんです?」


 ゆう姉さんの次の台詞せりふは、覚悟して聞いて欲しい。


 そして、


 なにせ『お姉ちゃんっ子』のわたしでさえ、理解不能で首をかしげたのだから。


「いや~、おまえたち、最近仲が悪そうだったから──」


 善意しかないイイ笑顔で、邪悪なる科学者は、いたって無邪気に言い放つ。



「性別を逆にしてやったら、仲直りできるかなって♪」



「「どういう理屈!?」」


 声をそろえてツッコんでしまった。


 我ら双子による、久方ぶりの共同作業だ。


「ふむ、さっそく効果があったようじゃないか?」


「ねーよ」


「ないです」


 再び、今度は否定の言葉がそろう。


 姉さんの言い草があまりにも意味不明すぎて、男時代の乱雑な口調が出てしまいましたわよ。


 ただひとつだけわかったのは……本当に悪気はなかった、というコト。


 姉さんの場合、悪気があるなら、堂々と『悪気があったぞ!』と宣言するだろうから。


 だからといって、許せるかというとそんなわけもなく。


「そんな……そんな……わけのわからない理由で……っ!」


 かえでの怒りは、いまにも爆発せんばかりだ。


 なのにゆう姉さんは、きょとんと不思議そうに妹を見ている。


「ほんとにわからんの? あきはともかく、かえでまで?」


「まったく、一切、これっぽっちもわかりません」


「ありゃ~? ワタシにしては珍しく、わいい妹のためにイイことしたなーって、自画自賛してたトコなのに」


「は?」


「こりゃいかん、まったく伝わってないよーじゃないか。んじゃあ説明するけども、かえでって、ものすごーく、ものすごーく、女の子にモテるからムグゥ」


 重要そうな説明が突如としてシャットアウトされた。


 かえでが伸ばした片手によって、口をふさがれたからだ。


「そんなどうでもいい話はやめましょう」


「ムグゥ……ムグゥゥ…………」


 あわゆう姉さんは、呼吸さえもままならず、もごもご苦しそうにうめいている。


「やれやれ……ゆう姉さんの話を理解しようとする試み自体が無駄でしたね」


 なぜか頰を紅潮させたかえでは、姉さんの口を解放するや、その手をあごに滑らせて、くい、と上向かせた。少女マンガのイケメンがよくやる仕草である。


「そんなことよりも……」


 かえではそのまま、姉さんをにらみつけて、


「戻れるんですよね? 元の身体からだに」


「戻れないぞ?」


 あまりにもアッサリとした返事だった。


 わたしもかえでも、言葉をみ込み理解するまで、いくばくかのタイムラグがあった。


「…………………………えっ?」


 ぽつり、と、かえでの目に、涙の粒が生まれる。


「……じ、自分に不可能はないって……」


「そのとおり、ワタシに不可能などない。ンンっ、こう言い直そうか──実験に満足するまで、戻してやらんぞ、と」


 ホラな。


 すみ家の長女様は、悪気があるとき、こういう風に言う。


 これ以上なく、イジワルそうな笑顔でだ。


「クックック……そうだなァ、十分なデータが集まるまで……少なくとも数年は、その姿で生活してもらおうか!」


「相変わらず性格が最悪ですね……! いますぐ戻してください!」


「やだ」


「くうっ……!」


 歯を食いしばるかえでを見てニヤニヤするゆう姉さん。


 このふたり、わりといつもこんな感じでげんしているのだが。


 今日のはさすがにやりすぎだ。


 わたしはゆう姉さんの背後に回り、両手で身体からだを持ち上げてやった。


「ぬあっ! ち、あき!? なんのつもりだ!」


 両足をジタバタさせるゆう姉さん。


ゆう姉さん、かえでを泣かせるなよ」


「べ、別に泣いてません!」


 いまにも泣きそうじゃないか。


 わたしは真面目な顔で、姉さんに向けて言う。


「実験なら、わたしがいくらでも付き合うから。かえでは戻してやってくれ。さもないと……」


「さもないと? ふんっ、なんだというんだ?」


「嫌いになるぞ」


「…………えっ?」


「もう姉さんの好きなクリームシチューを作ってやらないぞ」


「クッ……ぐ……ぐ……し、しかしだな……せっかく苦労して……」


「もう二度と口をいてやらないぞ」


「ぐぬぬぬぬぅ~…………!」


 しばし悔しそうにうなっていた姉さんは、やがてわたしに抱っこされたまま、だらりと脱力した。ちょうど持ち上げられた子猫みたいなありさまだ。


「……や、やむをえん……かえでは戻してやる」


「ふぅ……」


 げんが取れたので、あんの息をはく。すぐとなりで、かえでも胸をなで下ろしていた。


 わたしは抱き上げていた姉さんを地上へと下ろしてやり、


「やっぱり姉さんは、優しくてわいくて話がわかるな」


「ふふふふふ、まぁな! まぁな~!」


 着地した姉さんは、くるりと反転して向き直るや、わたしの顔に指を突きつける。


「だがあき、おまえはだめだぞ! ずぅ~~っと、女の姿でいるがいい!」


 ……うーん。


「なぁ……ゆう姉さん。『実験のため』だの、『おまえたちのため』だの言うわりに……なんだかえんがこもってないか?」


「ふんっ、こもっているとも、特大の恨みがな! おまえたちを性転換させた理由、その三だ!」


 指を三本立てた姉さんは、ぽっと頰を赤らめて、


あき……以前、おまえは『お姉ちゃんと結婚する』と言っていただろう」


「は? なんの……いつの話だ?」


「八年くらい前かな」


「子供の頃の話じゃないか! そんなん覚えているわけないだろ!」


「ワタシはよーく覚えているぞっ! なぁにこのきゃわわな生き物ぉ~♡ って、衝撃を受けたからな!」


「忘れろそんな恥ずかしい記憶!」


「思い返せばあの頃から、あきはお姉ちゃんっ子だった……。なのにどうだ、嘆かわしい。最近のおまえときたら、高校に入ったら初恋をしてみせるだの、いままでの人生で一度もときめいたことがないだのとのたまって……」


 ゆう姉さんは、涙の粒を飛ばし、大声を張り上げる。


「おまえの初恋はワタシだろがー!」


「そんなこと言われても!」


 どう返したらいいのかわかんないよ!


「だいたい、いまの話と性転換実験になんの関係が???」


「フハハハハ女の姿では、とても恋愛などできまいっ!」


「逆恨みか!」


「うるさいうるさいうるさぁい! この裏切り者め! ふんっ、あまっぱい青春の夢が破れて、さぞや悔しかろうな! さあ、初恋のお姉ちゃんが恨み言を聞いてやるぞ!」


「美少女にしてくれてありがとう」


「ワハハハざまぁ! それが聞きたかっ────えっ、ありがとうって言った? 突然女にされたのに?」


「男だった頃からちっともモテてなかったし、よく考えたら別に状況は悪化してないなって。むしろ女になったことで、い方向に変わるかもしれない」


「前向きすぎて怖……」


 青ざめてあと退ずさりする姉さん。一方、わたしは堂々と一歩を踏み出し主張する。


「つまり、わたしの夢は、いっさい損なわれていないってことだ。なにひとつ方針は変わらないってことだ。ふふふ、思惑が外れて残念だったな」


「ま、まさかあき……つもりなのか?」


「そうだ」


「女の子の姿で?」


「そう、超美少女の姿で」


「女の子と?」


「ああ、モテモテ高校生活を送ってみせる!」


 改めて我が夢を宣言すると、姉さんはしばしぼうぜんとした後、フテくされたように、


「おまえ性別変わっても、なんっも変わっとらんな!」


 そう吐き捨てた。

刊行シリーズ

私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(3)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(2)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えないの書影