1章 ④

「入るぞ、姉さん」


 何度ノックしても反応がないので、やむなく無許可で室内へ。


 悲鳴の原因がわかりきっているとはいえ、万が一ということもある。


 放置して、ただ待っていることはできなかった。


ゆう姉さん。……大丈夫か?」


 彼女の姿はすぐに見つかった。診察用のベッドに力なく腰かけ、涙目で放心している。


 ぎこちない動作でわたしを見て、


あきぃ……なにあれぇ……あんなの知らないぃ……」


 まったく大丈夫じゃなさそう。


 いつも威勢のい姉さんが、しおらしくなってしまっている。


「強引に脱がしたら、ワタシの目の前で……きゅ、急に大きく……」


「説明しなくていい!」


「なんであんなコトに??? 性的に興奮しないと変化しないものなのでは???」


 半泣きで大混乱している姉さんを責めることはできまい。


 初見では、驚きのあまり、わたしも無様をさらしたからな。


 コメントに困る質問を華麗にスルーしたわたしは、部屋を見回して、


「それで、かえでは?」


「隣の部屋で泣いてる」


「かわいそうに……」


 様子は見ないでおいてやろう。


 余程のことでもなければ動揺しない、狼狽うろたえないのが我々なのに……本当に今朝は散々だ。


「検査は?」


「……中断してしまったからな。やり直しだ」


 ──というわけで、仕切り直し。


 わたしは再び廊下に戻り、しばし待機。


 一分……五分……十分ほどがっても、なんら事態に変化はない。


 まあ、検査の中断前に起こったであろう出来事を思えば、やむを得ないだろう。

 患部を確認して、検査する。


 たったそれだけのことが、いまや超難関ミッションだ。


 さらに待つこと数分、ようやく事態が動き始める。


「元に戻してくれるって言いましたよね!」


 だの、


「検査でもなんでも、早くすればいいじゃないですか!」


 だの、ヤケクソ気味のかえでの声。続いて姉さんのすすり泣く声が聞こえてきた。


 ……い、いたたまれない。


「……あき、入っていいぞ」


 再びわたしが呼ばれたのは、それからさらに二十分後のことだった。


 入室したわたしの前には、やや疲れた様子のゆう姉さんと、


「治りましたぁ~~~~~!」


 キャラが崩壊する勢いで、無邪気なバンザイジャンプをするかえでの姿があった。


 こんな笑顔の妹、見たことない!


「はぁぁ~~~~! よかった……よかった……よかったぁ……」


 あんの涙が、彼女の頰を伝っていく。


 一方、ゆう姉さんは、実験体が減って心なしか残念そう。


「はぁ……想定通りの結果だ。ワタシに感謝するがいいぞ、かえで


「元凶のくせに、よくもそんな偉そうなことが言えますね。──呪いこそすれ、感謝などありえません」


 かえでゆう姉さんも、いつも通りの態度で、まるで何事もなかったかのように振る舞っている。


 もちろんわたしも、蒸し返すようなやぶへびはしない。


「ふふ……ともあれ……これで私は、ゆう姉さんのおぞましい実験から逃れ、完全に無関係になった、ということです」


「一応、経過観察くらいはさせてもらうぞ」


「……そのくらいなら」


 ふたりのやり取りはそこで止まり、姉さんの視線がわたしへと移動した。


あき、おまえは今後もワタシの実験に協力してくれるのだよな?」


「ああ、約束したからな。──といっても、なにをすればいいんだ?」


「ひとまず学校に行って、普通に暮らしてくれればいい。詳しくは後で打ち合わせよう」


「了解。って、学校……学校かぁ……」


 そういえば今日は、入学式当日だった。


 さて。さて、さて、さて──


 すみあきは、はたして学校へと行くことができるのか?


 ずっと後回しにしてきた大問題を口に出そうとしたところで。


 先んじてかえでが割り込んできた。


すみくん、その姿のままどうやって登校するつもりかは知りませんけど」


 かばんを手に持ち、さあこれから学校へ行くぞという態勢で、


「学校では、話しかけてこないでくださいね」


 早足で去っていく。


「……元に戻れてよかったな、かえで


 ふいの大騒動をきっかけに、少しは近づいたかと思いきや。


 我ら双子のかいこうは、夢幻のごとくなり。




 気を取り直していこうじゃないか。


 ここからは学園編だ!


 女になってしまったわたしが、どのような経緯で学校に通えることになったのか。


 手続きやら名前やら、アレやコレやはどーなっているのか。


 気になる方もいるだろうが、まずはわたしの晴れ舞台を楽しんで欲しい。


 大事件のあった早朝から、少しばかり時間が進み。


 記念すべき人生の門出、入学式が始まった。


 新入生入場からの国歌斉唱。


 続いて、


「新入生のみなさん、入学おめでとうございます──」


 入学許可宣言やら式辞やら。


 いたって普通のプログラムだ。


 そんな入学式の最中、我が妹・かえでは、最前列の席に座っている。


 びしっと背筋の伸びた、しい姿だ。


 今朝、涙目で股間を押さえて狼狽うろたえていた女と同一人物だとはとても思えない。


 なんて妹を見つめるこのわたしは、もちろん女の姿のまま──体育館の前方、壇上へと上がる階段の前に控えている。


 新入生代表として、挨拶をするためにだ。


 入試では首席だったので、もとより予定通りではあるのだが……。


「なにを話すんだったかな」


 朝から色々ありすぎて、ド忘れしてしまったぞ。



「──新入生代表、すみあきさん」



 おっと、名前を呼ばれてしまった。


 もろもろの祝辞やらなにやらは、いつの間にか終わってしまったらしい。


 ふぅむ……どうやら思い出している時間も、じっくり考えている時間もないな。


「アドリブでやるしかないか」


 入学にあたって……抱負や思いを、わたし自身の言葉で語ればいい。


 気のいた台詞せりふにはならないだろうが、そのぶん気持ちはこもるだろう。


「よし、いくか!」


 ぱん、と、てのひらに拳を突き入れ一歩を踏み出す。


 壇上へと上り、歩き、中央で止まる。


 ゆっくりと、全校生徒を見渡した。


「皆さん、はじめまして。すみあきと申します──」


 皆の注目が、わたしの一身に集まってくる。


 静寂で満たされていた場が、大きくざわめく。


 感嘆のため息をつくもの。


 息をみ、目を見張るもの。


 我が身に数多あまた降り注ぐ、のまなざし。


 この一瞬で、何人が一目惚れをしたのだろう?


 フッ……フフフ……ハハハ……イイッ! とてもすがすがしい気分だッ!


「本日は、素晴らしい式を開いていただき、ありがとうございます──」


 ぐっと背筋を伸ばした拍子に、ブレザーのボタンがはじけ飛んだ。


 おのれ……! から……!


 ブレザーどころか、シャツのボタンもパツンパツンじゃないか!


 ってか、名乗るのは最後なんだっけ? 時候の挨拶もすっ飛ばしてしまったぞ。


 無数のトラブルが降り注ぐが、もちろんわたしは狼狽うろたえない。


 この程度の予想外なぞ、妹にチンが生えたのと比べればよ。


 いけるいける。自信満々、笑顔でGO。


「わたしには、三年間の学園生活の中で、成し遂げたいことがございます──」


 全力の笑顔で、わたしの抱負を皆に告げる。


「それは、初恋を知ること」


 先よりも、さらに大きなざわめき。


「わたしの心をときめかせてくれる、運命の相手とうこと」


 入学式にそぐわぬほどの動揺が、全校生徒の間に走る。


「その手をつかみ、抱き寄せること──」


 わたしは真剣に皆を見つめ、大きな身振りでてのひらを差し出す。


 その拍子に、またしてもブチィという破裂音が聞こえたが。


「果たしてこの場にいる皆さんのうちの誰かなのか……男性なのか、女性なのか、それさえもわかりません。ならわたしは、生まれてから一度だって、ときめいたことなどないのですから」


 、構わず続ける。


 我が口からまろび出る一人語りを、すでに挨拶とすら呼べそうにない自己中心的な演説を。


 誰もが聞き入っているようだった。


 ぜんとする教師たちがいた。


 頰を赤らめ、黄色い悲鳴を上げる女生徒たちがいた。


 口笛を吹いて色めく男子生徒たちがいた。


 必死に妹の顔だけが、悪鬼の様相を呈していた。


「それでも、きっと夢をかなえてみせます」


 わたしは、とても気持ちよかった。




「全身全霊をもって、初恋をつかみ取ることを誓います!」



 新入生代表、すみあき



 後年、はるか先の未来にて。


 今日の挨拶は伝説として、生徒たちの間でこのように語られたという。


 すみ会長のノーブラ演説事件、と。

刊行シリーズ

私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(3)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(2)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えないの書影