2章 ①

「どういうことですかッ!」


 かえでの怒声が、特大音量で保健室にとどろいた。


「元に戻ったって言ったのにっ! ちゃんと消えたはずなのにぃっ!」


 我が妹が、股間を押さえて、涙ながらに詰め寄っている相手はもちろん。


 元凶たるゆう姉さんだ。


 なんでこの人が学校にいるのか、とか。あれからどうなったのか、とか。


 状況を詳しく説明したいが、それどころじゃなさすぎる。


 ひとまず重大事項だけ伝えるならば、


「またしても、ちんちんが生えてきた、と」


 姉さんがつぶやいた一言がすべてだろう。


「……うっ……うっ……ぅぅ……」


 今朝だけで、かえでの涙を十年ぶんくらい見た気がする。


 いつも厳しい態度を取られているとはいえ、心が痛んでしょうがない。


「フムゥ……フムムゥ…………」


 さすがの姉さんも同感なのか、『予想外の結果』にウキウキするようなことはなかった。


 かえではスカートの前を、両手でギュッときつく押さえているのだが。


 ゆう姉さんはそこをジッと見つめながら、しばし考え込んでいた。


 やがて口を開いて一言。


「ははぁ~……ど~やら、完全には戻らなかったようだなぁ」


「『ようだな』って! そんな! 無責任な!」


「すまんすまん。いや、ほんとに悪いと思ってるぞ」


「言葉も態度も表情も! なにもかもが軽いです! 私っ、あやうく人生が終わるところだったんですよ!」


 入学式中に、いきなり生えてきたんだものな。


 ギューン! と、最初からゲージMAXフルパワー状態で。


 男でも難儀する状況なのに、の女の子がいきなり対処できるはずもない。


 わたしが壇上から真っ先に気付かなかったら、どうなっていたことか。


 今頃、ネットリテラシーの低い生徒にスマホで撮影されて、恥ずかしい画像が拡散されてしまっていたかもしれない。


 もっとも……ゆう姉さんなら、そんな状況さえもなんとかできるのかもしれないが。


 わたしとしては、家族をそもそもそんな目に遭わせたくはないのだ。


 かえでの窮地を発見したわたしは、代表挨拶を終えるや『の気分が悪いようなので』と教師に断りを入れ、かえでを連れて、ゆう姉さんの待つ保健室へと退避してきた……という次第である。


「だからすまんて。なるべく早く元に戻してやるから」


「すぐには戻せないってことですか!?」


 ゆう姉さんが、怒り泣きしているかえでに詰められている間に、もうすこし説明しておこう。


 さっき後回しにした、これまでの経緯をだ。


 ゆう姉さんが、なぜ学校にいるのか。


 女になったすみあきが、どのようにして学校に通えるようになったのか。


 時は、入学式前までさかのぼる……。




 さあ、過去回想を始めよう。


 かえでから借りたジャージ一枚だけで下着すらはいていなかったわたしは、登校するにあたって、かえでともども、ゆう姉さんに車で送ってもらうことになった。


 その際、車内にて、こんな会話をしたのだ。


 ゆう姉さんは、上機嫌でハンドルを握りながら、助手席に座るわたしにこう切り出した。


「なぁなぁあきぃ、女としての名前、どーする?」


「いまの名前をそのまま使いたいな。気に入ってるんだ」


「同じ学校に、中学時代の知り合いとかおるの?」


「数人だけ」


「んー、ならまぁ、いけるか。まさか同一人物だとは思わんだろう。───よし、こうしよう。新たなおまえはすみあき、性別女、かえでとは同士で、遠方に住んでいたが、こっちの学校に通うため、これから三年間、同じ家で暮らすことになった。この設定を覚えておけっ!」


「男の『すみあき』がいなくなるが、その件について、もし聞かれたらどうする?」


「急に思い立って海外留学したことにでもするか」


「そんな雑な理由で……納得するかな?」


あきと親しい人間ほど、深く納得すると思うぞ。──かえではどう思う?」


「せっかくなので、旅先で死んだことにしたいです」


 なんでそういうコト言うの?


 バックミラー越しににらんでやると、後部座席のかえでは、悪びれもせずそっぽを向いた。


 くそう……せた途端、すっかり元に戻りおって。


 かえでは、こちらに視線を向けぬまま、


「そもそも……女としての名前をどうするか、なんてことよりも……もっと重大な問題があると思いますけど?」


「まぁ……そうだよなぁ」


 女になっちゃったのに、どうやって学校に行くのか?


 女の子・すみあきちゃんには、そもそも学籍がない。


 いまさらすぎる問題提起に、姉さんは悠々とハンドルをさばきながら、


「ふふふバカめ。そんな、ワタシにとってはなんの問題にもならんのだ! お姉ちゃんがうまいことやっておいたから、安心してその姿で登校するといいぞっ!」


 逆に不安になってきたな。


 毎度のことだが、あまりにも説明が少なすぎる。


「つーかあそこの理事長、ワタシの同級生だし、二十年前から絶対服従だし」


ゆう姉さんとおさなじみだなんて最悪ですね……かわいそう」


 かえでは本気で同情していた。


 罵倒された姉さんはどこ吹く風で、


「あいつには朝早くから電話して、迷惑をかけてしまったなー。おまえたちも感謝しておけよ」


「……申し訳なく思うポイントはそこじゃないと思います」


「あっ、そうだ。今日からワタシも、おまえたちの学校に通うからな。保健の先生として」


 さらっと言われたので、わたしもかえでも反応が遅れてしまった。


ゆう姉さんが……保健の先生? ……どういうことですか?」


「大丈夫なのか? 姉さん人見知りなのに」


 我が家の長女様は、超がたくさん付くほどの内弁慶で、宅配便にも出てくれない。

『なんか怖いからイヤッ!』という理由でだ。


 とうてい学校勤務がつとまるとは思えなかった。


 わたしたちが疑問と心配を投げかけると、ゆう姉さんは、にひひと笑って、


「もちろん大丈夫ではなーい、が、やむをえまい。天才マッドサイエンティストたるもの、なるべく実験体のそばで観察せねばならんからな」


 実験体とは、もちろん女にされたすみあきちゃんのことである。


「安心しろ、ちゃんとした保健医はもちろん別にいる。あくまでワタシは、肩書きと活動場所を確保しただけだ」


 旧校舎の第二保健室。


 そこが、天才マッドサイエンティスト・すみゆうの新拠点なのだという。


 いわば悪の研究所・出張版だ。


「ふっふっふっ……さっそく後で機材を運び込まねば……あき、おまえも手伝うんだぞ!」


「任せておけ」


ゆう姉さん」


 わたしたちの会話が一区切りしたところで、かえでが言った。


「学校で仕事をするのなら、いい機会ですから、昼夜逆転生活を直したらどうです?」


「ムムゥ……じゃあ今日からは、ちゃんと家に帰って寝る……」


「夜九時には就寝するように。食生活も改善しましょう。ジャンクフードばかりでは、身体からだによくありませんから……姉さん? 聞いてますか?」


「うぅ…………助けてあきぃ」


 そうやって。


 女になったすみあきがどうやって学校に通うのか。


 わたしが悩んでいた大問題は、それ以上の理不尽の前に、あえなく流れていったのである。

刊行シリーズ

私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(3)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(2)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えないの書影