プロローグ ②

 と、いうわけで。


 わたし、すみあきは、高校初日の早朝からちようきゆうのトラブルに見舞われ、しかし見事乗り越えつつあった。


 我ながら、さすがという他ないな。


 そんな素晴らしいわたしの大活躍を描くにあたって、まずは──


 妹について語っておこう。


 すみかえで


 つややかな黒髪とれいな面差し、長いまつ毛に漂う色香。


 心のうちのぞかせない、ミステリアスな雰囲気。


 たかの花という言葉を具現化したような特級美少女だ。


 すみあきとは、二卵性の双子で──


「私の部屋から、出ていってください」


 お兄ちゃんに、めちゃくちゃ厳しい。


 わたしを冷たく見据えるかえでは、ワークチェアに腰かけ、長い脚を組んでいる。


 すでに制服を着ているのは、彼女が早起きで、今日が高校の入学式当日だからだ。


 しい容姿と潔癖な言動は、同年代の女子にすこぶるようで、中学時代は学内にファンクラブまでできていたという。


 そう──女性でありながら、日本一の男であったすみあきよりも、ずっとモテていたのだ。


 ああ、なんと妬ましい、好ましい。


 羨ましい、誇らしい。


 フフフ……このわたしにこんな感情を抱かせる存在が、この妹以外にいるだろうか?


 いいや、世界中を探したっていないだろう。


「聞こえませんでした? 一秒以内に消えてください」


 おおっと。愛する妹にかされたので、手短に状況を説明しよう。


 女になってしまったわたし、すみあきは、まずは家族に現状を報告しなければと考えた。


 今朝この家にいるのは、わたしとかえでだけ。


 自慢じゃないが、妹の連絡先など教えてもらっていない!


 わたしはやむなく出たとこ勝負、妹の部屋に飛び込んでこう言い放った。


 こんしんわいいポーズで、


『おはよう、かえで! 見てっ、お兄ちゃん超美少女になっちゃった♡』


『そうですか。いま取り込み中なので──』


『──私の部屋から、出ていってください』


 とまあ、こうしていまへとつながるわけだ。


 説明終わり。


 しかし、まあ。


 愛する兄が、超大事件を持ち込んできたというのに、リアクションが冷淡だこと。


 それを、かえでらしいと思ってしまう。


 人生でもっとも大切なことのひとつは、狼狽うろたえないことだ。


 すみあきの信条だが、かえではそれを、わたし以上に体現しているのかもしれない。


 この妹が動揺したり、冷静さを失って右往左往するところなど、想像もできない。


 まさしくすみかえでは、でもない限り、狼狽うろたえたりはしないのだろう。


「さすがは我が妹だ。『一夜明けたら、お兄ちゃんがお姉ちゃんになっていた』事態に、ビクともしないとはな」


 久しぶりに驚く顔が見られるかも、と、期待していたのだが。


 残念、当てが外れた。それはそれとして。


「すぐに納得してくれて助かったぞ。正直、話がこじれて警察を呼ばれる覚悟だった」


「ここまで人の話を聞かない愚かな人は、他にいませんから」


 かえでは座ったまま、深々とため息をついて、改めてわたしの顔を見据えた。


「やっぱり……ほんとうに……すみくんなんですね」


 皆様、お聞きになりました?


 血のつながった実の兄。魂の半身ともいうべき双子のお兄ちゃんへの呼称が──


 すみくん!


 なんって他人行儀な!


 ぐぬぬぬ……我々きょうだいの関係が、少しは伝わったのではなかろうか!


 まっこと遺憾な状況である。


 ここで宣言しておこう。


 女子にモテたいというのが、わたしの崇高なる大目標だがッ。


 ──ターゲット第一号は貴様だかえで


 ──必ずや『大好きですっ、お姉さま♡』と甘えた声で言わせてやるぞ!


 わたしはそんな決意を燃やしつつ、上機嫌に返事をする。


「ハッハッハ、ほんとうにわたしなんだよ。すごいだろう?」


「事情はわかりました。大変ですね。さ、出ていってください」


 氷のようなまなざしで、しっしっ、と、追い払うような仕草をしてくる。


「出ていく前に、少しだけ、そこの大きな鏡を使わせてくれない? 超美少女になった自分を、よく眺めたいんだ」


「…………ばかじゃないですか?」


 辛辣すぎてひるまざるを得ない。かろうじて短く言い返す。


「どこが?」


「色々。すべてが。たとえば、すでに一人称が『わたし』になっているところとか」


「あぁ、わたしに合っているだろ?」


「よく合ってますけど……葛藤とか……ないんですね」


「まったくない。この一人称が自分に合っていて、魅力的だと思うからだ」


 やたらと重くなってしまった胸を張って、断言した。


が続くようなら、もう少し、話し方を調整した方がいいかも──とは思う……思うわ? 思います、わ? ──どう? こんな感じでわいいかな?」


 こてんと首をかしげて問うと、めちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。


「適応力が高いのは結構ですけれど……」


 かえでは、部屋からわたしを追い出すのを保留して、少しだけ会話をする気になったらしい。


「どうするつもりなんですか?」


 端的な問いだった。こちらも端的に本音を返す。


「フッ、心配するな。なるようになる」


すみくん」


 ここ数年、ときおりかえでがとんでもなくイケメンに見えることがある。


 いまがそうだ。乙女を軒並み卒倒させてしまいそうな美声で、かえでささやく。


「私、きみのそういうところが嫌いです」


「わたしは、かえでのそういうところが好きだな」


「……はあ」


 もう一度、ため息をつかれてしまった。部屋の隅、大きな姿見を手で示し。


「ご勝手にどうぞ」


「ありがとう」


 わたしは遠慮なく鏡の前へ。


 輝かんばかりの容姿を眺め、改めて思う。


「はー……これはすごいな。まさか女になったわたしが、ここまで美少女だとは……」


 大きなものをうしなったが、同じくらい価値あるものを得たのかもしれない。


 誇らしい気持ちを抱くわたしの背に、低く恐ろしい声が届く。


「……なにをしているんです?」


「鏡の前で自分の胸をもんでいる」


「最悪ですね。倒錯した変態行為を他人に見せつけるなんて」


 言葉で責められているだけなのに、背中が傷だらけになりそうだ。


 相変わらず潔癖なやつ。


「しかし……薄々察していたが……予想通りの検証結果だな」


「なんの話ですか?」


「いまのわたしは、このとおり、めちゃくちゃわいいだろう。昨日までの『俺』であったなら、ついに恋に落ちていたかもしれないほどだ」


「……はいはい」


「それなのに、ぶかぶかの寝間着を着た姿を見ても、胸をもんでみても、あんまり楽しくはない。いつも鏡を見るときの感情と変わらない。まったく性的な興奮が起こらない」


「そうですか」


 かえでの声は低く、怒りをくすぶらせたままだ。


 わたしは彼女に背を向けたまま、ぶつぶつつぶやく。


「これが女になった影響か……それとも自分自身だという意識があるせいか……もしくは……ぐぬぬ……やはりアレをうしなったせいか……」


「アレとは?」


「ちんちんだ」

刊行シリーズ

私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(3)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない(2)の書影
私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えないの書影