こちら、終末停滞委員会。 1
プロローグ『船と影』 ④
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「お世話になりました、女神さま」
俺は神殿に戻ると、女神さまと話を詰めていた。
「……本当にそれで、良いのですか?」
俺は彼女から何の能力も貰わないことにした。次の人生では、自分の特殊性に何ら左右されずに、普通の人間として、普通の良いやつとして――
「俺は普通の青春がやりたいだけですから」
俺の『囁き屋』の能力も、異世界に行けばなくなってしまうらしい。ありがたい話だ。
「それでは、……――扉よ!」
女神さまが呟くと、神殿の奥に巨大な『扉』が現れた。絢爛たる彫刻と神秘的な光で覆われた扉だ。そこに描かれるのは、かつて存在した勇者の物語なのだろうか?
「あれは?」
「次元の扉!」
その扉は数多の異次元に続いている、知恵と輪廻の扉だそうだ。たしかにそれは明らかに異質で、酷く人間に反した存在なのだろうと本能的に理解する。
「いってらっしゃい、
扉が開くと、蒼い絹のような光が部屋に漏れた。俺は、強い『希望』の気配を感じた。
――それ以上に強い『罪悪感』の気配と共に。
《ああ、また行っちゃう》
《アタシには……何も出来ない》
泣きそうな感情の色。感情の主はLunaさんだ。彼女は必死に俺から目を背けるように立って、脂汗を滲ませている。さっきまでの優しい笑顔を微かにさえも浮かべずに。
「あの」
俺は足を止めて、女神さまを見つめた。
「もう一度聞いていいですか。この扉の先には、何があるんですか?」
「この先であなたは、王国の勇者として転生することになるでしょう。美しい大自然に囲まれた広大な土地にある国です。緑豊かな森や平和な村、雄大な山々で構成されています。あなたが何を選び何を求めるか、それはあなた次第です」
「……そうなんですか」
俺は、Lunaさんを見つめた。彼女は、ビクリと震えた。
《この先にあるのは、境界領域商会の……》
「境界領域商会?」
「……っ」
Lunaさんは顔を真っ青にして、口を噤んだ
「言万さん。プライバシーは大切にしないといけませんよ」
「……女神さま。境界領域商会ってのは、何なんです?」
「なんでも良いじゃあありませんか」
そんなわけがない。
「一つお約束しましょう。あなたはこの扉を潜れば、きっと素敵な未来にたどり着ける。幾許かの試練や困難が待ち受けているかもしれませんが、最後には必ず幸福な結末を迎える。それが世界の法則なのですよ。私は心の底の善意から、あなたに扉を潜る事を勧めます」
――それは彼女の本心だった。嘘偽りは決して無い。
俺は、メイドさんを――Lunaさんを見つめた。
「俺は……どうしたらいいですか……」
「あ、アタシは……アタシは……何も、知りません……」
彼女の心の中を、強い恐怖のイメージが覆う。
《どうせ何も変わらない。痛めつけられる傷が増えるだけ》
《だったら、きっと、この子だって。何も知らないまま――》
彼女の強い恐怖に、思わず吐きそうになってしまう。俺は必死に堪えて、彼女を見た。
「……何も知らないのは、嫌です」
「えっ――」
「俺はもう……運命に痛めつけられて、ヘラヘラ笑いながら赦しを懇願したくない……」
Lunaさんの目が泳ぐ。顔がだんだんと青くなっていく。汗も交じる。
怯えていたんだ。泣きそうになっていた。体は小刻みに震えていた。
「あのね……」
Lunaさんは拳をぎゅっと握って、深呼吸をした。
「……心葉クン。アタシまだね。君のこと。殆ど知らないンですけどねえ」
「はい」
「いいヤツになりたいって、素敵だね。アタシもそれになりたいな」
「え?」
「君の言うとおりだ。やらされてるのと、やってるの。おんなじだよねえ……」
彼女の心の形に、一瞬、酷く優しい色が交じる。
《……この子、やっぱり、ガキだもん。大人が護ってあげなきゃさ……》
《こんな何もない子供……誰かが救ってあげなきゃね……アタシみたいな、雑魚1人でも》
彼女はきゅっと唇を結んで――人差し指を、俺の背後に向けた。
「早く。……逃げ……て……」
巨大な石版が、Lunaさんを押し潰した。
「……………………ぇ?」
それは、天井から突如落ちてきた石版だ。
「Lunaったら。何度やっても学習しない子ね。だから愉快で側に置いてるのだけれど」
ぐちゃり、と嫌な音がした。彼女は腰から押しつぶされて、鼻につくオイルの匂いが辺りに充満した。彼女の口から微かな苦悶が漏れた。人が死ぬときの、嫌な気配。
「言万さん」
女神が笑う。
「――私を信じて下さい」
俺は全力で駆け出した。――ああ、俺はなんて馬鹿だったんだろう。
(彼女は、俺とおんなじだったんだ)
Lunaさんは何かに強く怯えていた。それは女神の力に対してだ。Lunaさんは――自分が女神に従わなければ、すぐに排除される程度の存在だと、知っていたんだ。
(あの人もまた、俺とおんなじだったのに!)
Lunaさんに、頭を撫でて貰ったのを思い出していた。
小さな手だった。あのグローブみたいに大きな手とは、似ていないのに、よく似ていた。
「どこにも逃げ場はありませんよ、言万さん」
ぐじゅり。
ぐじゅり、ぐじゅり、ぐじゅり、ぐじゅり。ぐじゅり、ぐじゅり、ぐじゅり、ぐじゅり。
肉が這いずるような音。音の方向の先にあったのは、あの転生の扉だ。
「なん……だよ、あれ……」
――『肉の塊』がそこに居た。
《あはは。あはは。あはは。あはは》
女神が運命の扉と呼んでいた扉の奥から、巨大な肉の塊が膨張していた。
《楽しいな。嬉しいな。怖いな。楽しいな》
肉の表面には、幾つもの人間の顔が張り付いている。それらは全て、笑顔だった。
『彼ら』は本当に幸福だった。俺にはそれが、誰よりも分かってしまった。
《幸せだな》
肉の塊の正体に気がついて、ゾっとした。
(あれは、何百、何千もの人々の、肉団子だ)
あいつは待っていたんだ。俺が『異世界転生の扉』をくぐるのを。
あの扉に入ったら、俺は、あの肉団子と1つになっていたんだ。
魂だけを生かされながら。『異世界で冒険する』夢を永遠に見ながら。
《きみも一緒に》
反動で――跳ぶ。
《僕たちと、幸せになろう》
肉の塊が空中で高速で伸びた。それは全力で駆ける俺の足を一瞬で捕らえた。
「ぎあっ!!」
囚われた瞬間、俺の肉が溶けていく。それだけじゃない。溶けた肉が、同化していくのだ。あいつらは俺を、肉の塊に取り込もうとしているのだ。
「離れろ! 離れ――ッ!!」
左足をくるぶしまで溶かされながら、俺は扉の方へと引っ張り込まれる。
「大丈夫。私を信じて。人には平等に、幸福になる権利があるのですから」
女神は優しく笑っていた。俺のことを、本気で幸福にしようとしていた。
「ぐぅッッ……ィ……ッ!!」
扉の奥には、肉と顔がみちみちと詰まっていた。それら全てが幸せそうにニコニコ笑って、見果てぬ夢を堪能していた。永遠に続くハッピーエンドを享受している。
俺は必死に藻掻く。殴る。蹴る。噛みつく。こんな化け物に、なってたまるか!
「最後に良いことを教えてあげましょう」
女神が、あんまり必死で惨めな俺を見かねて呟いた。
「運命というのはね――決して変えられないから、運命と呼ぶのです」
もしそうだとしたら。
俺は、苦しんで泣くためだけに生まれてきたのかよ?
「――ライト! カメラ! アクション!!」
だからこそ。
運命が強大な化物だからこそ。
必死に抵抗しているちっぽけな人々が居た。
分不相応な希望を目指して、笑いながら邁進する戦士たちが居たんだ。
今から始まるのは、そんな連中の物語だ。
どれだけ強い怪物が相手でも、死にぞこないながらゲラゲラ笑う、
とんでもない大馬鹿野郎共の物語。
「運命とは私! 私自身が宇宙のサダメ! 天上天下唯我独尊!」
――銃声。
「……ぇ?」
銃弾が俺の足に絡みついていた肉塊を引き剥がして、俺は慣性のまま壁に叩きつけられる。
「さあ、ショー・マスト・ゴー・オンと行きましょうか!」
俺は思わずあっけに取られる。だってその桜色の少女には、スポットライトが当たっていたんだ。それは比喩でも幻覚でも無い。何もない筈の空から、彼女に光が当てられていた。
「ミュージック!」
ガチャガチャしたロックンロールの音楽が流れ出す。それは10年前のウルトラヒットソングだ。バキバキの爆音。流れるようなベースライン。馬鹿みたいな歌詞の羅列。
「ダンスはお得意? へたっぴだったら吹っ飛んでいけ!」
桜の少女が振りかぶったのは、ギターだった。もちろん、ただのギターじゃない。大きなジェットエンジンの付いた馬鹿みたいな形のレスポールで、赤い炎をごうと吐き出しながら、マッハ3の速度で女神をぶん殴った。
「……あら人間。随分安っぽい音楽がお好きなのね?」
女神は欠けてすらいなかった。桜色の少女は、別角度から伸びる肉の塊に足を取られる。
「きゃっ」
「――援護します」
もう一度、銃声がした。銃弾は桜色の少女の足に絡みつく肉の塊を撃ち抜いていた。
「隊長(リーデル)。1人で突っ走らないで下さい。ほんとうに馬鹿ですね」
「ごめんごめ……今隊長の事、馬鹿ってゆった?」
神殿の奥の遥か先に、黒髪で褐色の少女が立っていた。彼女は小型の恐竜ぐらいに大きい銃器を持って、それを軽々と振り回すと、桜色の少女の援護を始める。
「隊長。色素識別・Category-PURPLE(人為的反現実)。ポテンシャルは成長(Crescita)」
「了解。つまりあれが、霊魂アキュムレータ™ね! ゴーゴーゴーゴー! 殲滅開始!」
号令と共に、鮮やかな銃を持った少女たちが神殿に突入する。その数は、10か20と言ったところだろうか? 彼女たちは洗練された動きで、肉の塊と女神への狙撃を始めた。
(一体……なんだよ……? あの連中は――)
「そこの民間人の人! お怪我は無いですか?」
薄いベージュの髪色のツーサイドアップの少女が俺を見下ろす。小さくてかわいい、小動物系の女の子だった。俺は自分の、酷く痛む足をチラリと見つめた。
「ぎゃあ! 足! 溶けてる! ぐろい! ぶくぶくぶくぶく……」
小動物系女子は、泡を吹きながらも足首の治療を始めてくれる。
「あなた達は、一体、誰なんだ……?」
少女は笑った。
「――終末停滞委員会。終わってる世界を護り続ける、馬鹿な物好きの集まりです!」