異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

一章 猫だって波瀾万丈 ⑦

 胸を押さえて奥歯を噛み締める僕に、驚きながらも駆け寄ってきた少女。背中をやんわり擦られていると、正真正銘のギャルの匂い(百万石レベル)が香ってきた。あと普通に優しかった。その両方が僕の苦悩を加速させる。


「心臓、痛い痛いなの? ふせーみゃく? こーけつあつ?」

「そんな年じゃない……いや、若くても油断は禁物だけど……」


 痛んでいるのは心だった。

 ――いくら脳味噌をフル回転しても、彼女の名前を思い出せない。

 一文字も、である。これは由々しき事態。どこかのサキュバスと違い最低保障の常識くらい失いたくない僕は、臆面もなく「ふぁっちゅあねーむ?」できるはずもなく。

 一縷の望み、お互い記憶を喪失した「君の名は?」状態ならば痛み分けで済んだが、


「……なんか、アレだよね。こーもりくんって『電車で妊婦さんに席譲ってそう』な第一印象に反して、中身はこう…………なんか、うん」

「遠慮せず続きをどうぞ」

「いや、ちょいダークな感じと申しますか、よく見ると目が死んでること多いし。あ、りっちゃん曰く『外面いいけど家では嫁にモラハラするタイプのツラ』らしいんだけど、あたしは別にそこまでワルとは思ってない……」

「僕の悪評がわかる貴重なエピソード、ありがとう」

「す、すみません! つーかあたしは言ってないからね!? こーもりくん、たきざぁとつるんでること多いから、りっちゃんが言ってたのはそのせい」

「たきざぁ…………ああ、滝沢」


 発音がネイティブすぎる。なお『りっちゃん』というのは先述のお局ギャルのことだ。

 僕の株が地に落ちかけている件は一時保留にしておき。思った通り、こちらの二つ名はしっかり把握されている。不用意な知名度に改めて煩わしさを感じた。責任者はどこか。呪いを飛ばす僕の目はさぞかしDV色だったろう。


「だから目が怖いんだよ、こーもりくん」

「怖くなる発言をしたのは誰だ」

「ごめんって~……にしても! ずっと思ってたけど、『蝙蝠』ってすごい名字だよね」

「はぁ?」

「画数多くって書くの大変じゃない? テストのときとかさ。全国に何人くらい――」

「…………………」


 初めて出くわす症例に言葉を失う。

 ――この子、僕の本名が『コウモリ』だと勘違いしてる!?

 ショックを受ける反面、起こるべくして起こってしまった悲劇でもある。もはやあだ名を凌駕して、校内における僕=コウモリ(翼手目)という認識が支配的になっている。

 だが、奇しくも僥倖。向こうも僕の本名を知らないわけだから、無礼講がまかり通る。


「あー、失礼……そういう君の名前は?」

「ハァ!? わからずにここまで会話してたん!?」

「うん。長い旅だった」

「最初に聞けばいいでしょーが! めっちゃ認知されてる前提だったー、はっず……」


 収まりかけていた熱が再燃したのか、緩い胸元をパタパタする彼女。怒りより恥じらいが先行する辺り平和主義者なのだろう。そして色々な意味で警戒心が薄い。指摘すればさらに体温が上昇しそうなので、


「……なぜに仰角四十五度?」

「見えないモノは見ようとしない主義だ」

「イミフ。獅子原ししはら真音まおんねー、あたし!」


 満を持しての情報解禁に、一足遅れで僕の脳味噌はやる気を出す。


「……ああ、獅子原」

「ん! 思い出した?」

「初っ端のHRで『猫なのに獅子です。がおー!』とか、ご丁寧に両手のジェスチャー付きで自己紹介したはいいけど盛大にスベっていた、例の?」

「…………そういうのは忘れてくれた方が嬉しいかな」


 あのとき吹き荒んだブリザードを思い出したのか、獅子原は身震い。ちなみにスベっていたと断じるのには語弊があり、「あ、なんでもないです、なんでも……」と真っ赤になった本人が途中でギャグを放棄。芸人失格と言える。


「ああいうのは堂々とやるのが鉄則だぞ。演者の羞恥心は観る側にも伝播するからな」

「まさかの演技指導!?」

「攻めたネタ選び自体は評価してるんだ」

「攻めたつもりもネタのつもりもないっての! ただ、あたし、キャラ薄いし……それくらいしか『個性』ないし……積極的に使ってくしかないじゃん?」


 獅子原は指先をモジモジしながら僕をチラリ。同意を求めながらも本音は否定してほしそうな目だったが、どちらを選択するにも彼女を知らなすぎるため。


「あー、『ウェアキャット』なんだよな、お前?」


 無難に事実の確認。世間話の延長にすぎなかったが、獅子原はそこからありもしない言葉の裏を読み取ったのか、「うにゅ……」と顔のパーツを中心に寄せる。


「名前は出てこないのにそっちはしっかり覚えてるんだ」

「『がおー!』のおかげでな」

「だから忘れろ!」

「僕はあれ嫌いじゃなかったぞ」

「そ、それは良かった、のかな? けど……やっぱり他は印象に残らないよね、あたしって」

「一個でも爪痕残せれば御の字だろ」

「いいよ、気ぃ遣わないで。大多数からすればりっちゃんの腰巾着してるイメージしかないだろうし……まー、それでも十分なんですけど……やあ、一つも十分じゃないんですけど」

「どっちだ」

「わっかんない」


 笑いながらも心なしかいじけた感じの獅子原。答えは明白だ。


「あーあー、なんかもっとこう派手派手だぜ! って感じの個性、あたしも出せたらなー」

「……」


 なぜこんな話をしているのかは不明だが、どうやら彼女、悩みを抱えているらしい。

 それも上昇志向が強い系の。僕からすればギャルってだけでスクールカースト強者に思えるのだが、おそらくギャル内でも細かい格付けが存在するのだろう。

 無論、男子にもカーストは存在するが、そんなものに頓着する人間が部員二名の怪しげな部活に所属したりするわけないし、ましてや「家で嫁にモラハラするタイプのツラ」とか暴言を吐かれて黙っているはずない。

 とにかくすでに諦めている側の僕は、獅子原の気持ちがまるで理解できなかったので。


「強く生きろよ」

「え、ああ、うん?」

「次のネタ、期待してるから」


 クソの役にも立たない激励を別れの挨拶にしたのだが。


「ちょいちょいちょーい!」


 やる気だけは人一倍の若手芸人みたいに立ち塞がってきた女。目を合わせず横を通り過ぎようとしたのだが、「おりゃっ!」次は手首をつかまれる。若干汗っぽい。


「……なんだよ?」

「せっかく見つけたんだからいなくならないでよ~! 用事でもあるの?」

「大ありだ。これから僕は部活に行って、拷問にも等しい苦行を強いられるんだから」

「わかってるんなら行かなきゃいいのに……じゃなくって! 部活ってアレだよね、文芸部かっこなんたらのことでしょ?」


 生徒会の認可が下りて三分も経たない新名称を、なぜ知っているのか。

 僕の疑問には「昼休み、碧依ちゃんと話してたでしょ?」という獅子原の解答だったが。


「盗み聞きでもしてたのか?」

「近くにいたから聞こえたってだけ。でも、あたしに限らずみんなこーもりくんの話には興味津々だと思うなー。サキュバス先輩の名前が出ると特にね」

「暇人が多いな」


 僕が口にした精いっぱいの皮肉を「あたしも憧れちゃうな~」獅子原は華麗にスルー。脳内にチューリップ畑が咲いていそうなトランス顔は、過去に同類を沢山見てきた。すなわち彼女も『斎院朔夜=出来る女』という幻想に捕らわれてしまった、被害者の一人。


「人生経験が一般人とはレベチどころかジゲチの豊富さで、とにかく理想の上司みたいな文化人って聞いてるから! 絶対いいアドバイスもらえるよね~」

「……」


 理想の上司と文化人から訴えられないためにも、きっぱり否定すべきだったけれど。

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