異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

一章 猫だって波瀾万丈 ⑪

 背中を弓なりにして立ち上がった獅子原。シャーッと牙を剥く茶トラを幻視したが、キレやすい若者と呼ぶには語弊がある。喧嘩を売っている自覚が僕にはあったから。


「自分の体のことなんだよ? そりゃーもう、まるっとスリっとゴリっとエブリシング知り尽くしてるに決まってるでしょーが!」

「ほう。その割には、髪型を猫っぽくするとか、爪を光らせるとか、『がおー!』ってあざといポーズかましてみたり、猫派と犬派の対立を煽ってみたり……」

「な、なにさぁ~?」


 ボルテージが徐々に上がってくる。自分でも止められそうにない。珍しい現象だった。

 世界が抗えない不条理や不完全、間違いで溢れているのは、身をもって経験したから。

 今さらそれに義憤を覚えたりしない。雑踏に向かって拡声器で正義を説いている誰かに、僕はやるせなさを感じるタイプ。そんなことして何が変わるんだろう、と。

 ただし、少なくとも今、目の前にいる獅子原のような個人――救いを求めてやってきた彼女くらいになら、言葉は届きそうだし、変えられると思ったから。


「いいか……これだけは今日、覚えて帰れ!」


 バッチーン! 突然テーブルを叩いて立ち上がった僕は、


「ひょぇ!?」


 子猫みたいに震えあがった女を容赦なく指差す。


は!! とイコールじゃないからなッ!!」


 ――ないからなー! ないからなー! ないからなー!

 喉が裂けんばかりの蛮声は二度、三度、四度、部室の薄っぺらい壁や窓を反響。

 知性の欠片もない余韻のあとに残されていたのは、


「? ?? ??? ????」


 目をパチパチする獅子原。ネットのコラ画像なら背景に宇宙が広がっている。理解のキャパをオーバーしたのが一目にわかった。片や「そ、そこが一番、我慢ならなかったのね……あっはっはっは!」と腹を抱えて笑うのが朔先輩でカオスな様相を呈する。


「尻尾だの爪だのアイメイクだの、どうして猫という存在に寄せに行った、言え!」

「え、えぇー……だ、だってぇ、キャットだから……ウェアキャットだから、あたし……」

「違う、違う、そうじゃない……何もかもがズレているんだぁー、根本的にぃー。あくまで猫っぽい能力を持ったホモサピエンスであり、猫そのものではぁー……」


 自分の頭にグリグリ攻撃を加える僕を見て「この人、精神状態が不安定すぎる……」獅子原は半分泣きそうになっていたが、授業料と思って甘受してもらうほかない。


「……原典に、遡るぞ」

「え、ああ、はい……塾の先生?」

「お前や朔先輩が、仮にも『神話の生徒ミューデント』なんて呼ばれるようになった所以は、ヒトなのにヒトとは違った神秘的な力を秘めていたからだ」

「らしいね」

「それなのに卑しくもただの犬畜生に成り下がって。恥ずかしくないのか?」

「猫っす。猫畜生……」

「首輪を巻いて誰かに飼われたい願望でもあるのか? 猫草食ってゲーゲー吐きたいのか?」

「あたし今とんでもないブラックジョークのネタにされてない!?」

「それぐらいトンチンカンな行為をしているのを理解しろ」

「しょ、しょうがないじゃーん! ウェアキャットって、言っちゃなんだけど……ンンッ!」


 獅子原が口を滑らせそうになった何かを、僕は見逃さなかった。


「お前がそんな風に迷走している理由、当ててやろうか?」

「ごめん、なんかものすごく心にダメージ負いそうな予感するんで、お手柔らかに……」

「ウェアキャットの能力が微妙すぎるから、愛されペットの猫に活路を見出したんだ」

「バリカタじゃん!!」


 うわーん、と天井を仰ぐ獅子原。図星だったようだ。


「微妙って言うな、微妙ってぇー!! 中にはちゃんと実用的なのも……」

「パッと思いつくのは『夜目が利く』辺りか」

「先に言わないでくれる!? けど、そうだよ!」


 常人の七分の一の光量でも視界を確保できるらしい。間違いなく強みの一つ。


「だから、夜にライトなしで球技とかしたら最強だかんね!」

「理論上はな。実際にやったのか?」

「……やるわけないっしょ。友達、減るよ?」

「スマン」


 思わず謝った。人類史の発展は暗闇の克服と共にあったことを思い知らされる。


「他だと、嗅覚が優れているのも有名だな」

「また先に言われたけど、そう、そうなんだよ。だから、カレー食べた人とか近くにいると速攻で気付けるし! 電車で隣に座ったお姉さんが香水きつかったりすると、くしゃみ止まんなくなるし……あー、体育のあとは自分の汗の臭いがめっちゃ気になるのねー……制汗剤の匂いはさらに気になるから、無香タイプがお気に入り」

「鼻炎持ちが多いって聞くな、獣人系は」

「うん。半分職業病かな」


 獅子原の目から光が消える。悲しいかな、鋭敏な嗅覚も人間には無用の長物。


「あ、でもでも! 一個だけ嬉しい能力があって……猫ちゃんに超、愛されるの! 猫カフェ行ったらにゃ~にゃ~寄ってきてさ、もう勇者になれるかんね?」

「それは…………良かった、な」


 うちの猫もエサやるときは寄ってくるけど。水を差すのも心苦しかったため、僕は精いっぱいの微笑みを浮かべたつもりでいたのだが、再び獅子原の瞳は陰る。


「もしかして……お前の体チュール臭いんじゃないの、とか思ってる?」

「思うわけないだろ。あのな、僕は別に……」

「いいよ、わかってる。存在自体がビミョーなんだ、あたし」


 スカートの裾を両手でつかむ獅子原。いつの間にか主語があたしに置き換わっていた。


「おまけにちっちゃい人間ね。ウェアキャットだってこと、ぶっちゃけ自慢でもなんでもなくってさ。逆にマイナス面ばっかり目につくんだ。初対面の人からは変な勘違いされてばっかり……『ムダ毛の処理、大変そう』とか言われて、いやいや別に濃くないし、みたいな」

「…………」

「そういうのにいちいち嫌だとか感じる自分が、嫌になったから。ここはいっちょ開き直って個性にしちゃおうかなーと一念発起してみたり。深夜テンションで悪ノリかっての、アハハハハ……浅いよねー、ホントに」


 突き詰めれば、そういうネガティブな思考を振り払うのが目的だった、と。

 自分をこれ以上、嫌いにならないために。


「浅いんだか、深いんだか」

「こーもりくん?」


 訂正しよう。獅子原はただの痛い奴じゃなかった。

 痛いことなんて本人は百も承知の上で、自分なりの答えを、自分らしさを探している。なんでもない、誰にでも起こりうる、今どきの高校生にありがちな暴走を、人は青春とか若気の至りとか呼んで、十年後には「いい思い出」と懐かしむのだろう。

 ――悪い、そういうのはパスだ。

 獅子原と共に振り上げた拳の行き場を失い、お互い奇妙な浮遊感に身を委ねていたら。


「良かったわ、本音が聞けて」


 朔先輩の無駄によく通る声。


「建前で話されると、こちらも建前の助言しかできないから」

「ご、ごめんなさい……」

「お互い様よ。私もさっきまで『この子、想像以上に重症ね』と心の中で毒づいていたし……さーて、本音には本音で返しましょう」


 と、芝居がかった所作。朔先輩は夢がたっぷり詰まっていそうな胸元に手を置く。


「私は、自分がサキュバスと呼ばれることに誇りをもっているけれど、その崇拝はあくまで私自身の胸の内に秘めたものなの。この意味、わかる?」

「え、あ、はいっ、えっと…………ひ、人の価値観には左右されない、ってことかな……?」


 自信なさげな獅子原に、朔先輩は「百点!」の祝福。僕もひっそり頷いていた。



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