異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
二章 雪女さんは叱られたい ④
おかげで以前はそういった方面に明るくなかった医学者の先生方が、今では「耳の長いエルフを最初に書いたのは誰か?」という質問に答えられたり、ドラキュラとヴァンパイアと吸血鬼の違いを説明できたり、笑ってはいけない変革が生じているわけなのだが。
先達に倣って、まずは伝承ベースの知識から確認しよう。
雪女――その起源は室町時代にまで遡る。妖怪だったり精霊だったり扱いは様々。
吹雪の夜に美しい女性が訪ねてきて――という導入から始まり、時には怪談らしい凄惨な結末を迎え、時には切なく悲恋じみた結末を迎える。日本各地に伝承が残されているのは、人類が豪雪を天災として恐れた一方、神性に近いものを感じていた証左ではないか。
僕の考察も混じるので話半分に聞いてもらうとして。
「さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁーーーー!」
よってらっしゃい見てらっしゃい、と言わんばかりに諸手を打ち鳴らした朔先輩。
テーブルもとい食卓には、彼女によって作り出された芸術作品――これで不味かったら腹を切っても構わない、完成された『シンプルな水炊き』が艶めかしく湯気を立てる。
「鶏ガラの出汁が染みた白濁スープから、ご賞味あれ」
「ん~~……ヤバッ、うまぁい! 斎院先輩、天才じゃないですか?」
「ありがとう、ふふふっ」
「わー、具材もいい感じ……」
どてら(茶)を羽織った獅子原が不用意に箸を伸ばす。途端に朔先輩は目の色を変える。
「真音さん、ストップ!」
「ぬえ?」
「スープの次はたっぷり煮込まれた鶏肉を食べるの! というかその箸で取らなーい!」
「あっ、はい……」
「全員、独立独歩は禁止ね! おかわりが欲しい人は挙手の上、私にお椀を渡すこと!」
鍋奉行、灰汁代官。プロ意識を発揮するのは結構だが、料理人としては二流だ。
毎度のことながらついていけない。教育施設の一角にある部室が、鍋パーティの会場に様変わりするなんて。百歩譲って『バレなきゃ犯罪じゃない』理論を適用するにしても、
――バレてる、よな?
どてら(青)を着用した僕が、気後れしながら見やるのは隣の席。
パイプ椅子に座るのは白衣(白)を身にまとう美女。歴とした大人、教職者でもある氷上先生は、果たしてこの状況をどう分析するのだろう。心なしか眠そう(実際寝起きだし)な彼女は、目を細めてしばらく考え込んでから、
「私はポン酢でいただこうかな」
そういう大人っぽさは求めてない。
ほどなくしておろされた大根に魔法のたれがかかって出される。ここは場末の小料理屋か。
「えーっと……氷上先生?」
「なんだい、古森くん」
おずおず話しかけた僕に答えながら、氷上先生は火の通った白菜に舌鼓を打つ。
「……先生は、あれですか。ギャグ漫画的なノリにも適応できる柔軟な脳と、カラシニコフを枕にして寝られる神経の図太さを兼ね備えたお方?」
目の前の有り様に疑問を持て、と警鐘を鳴らしてみるのだが。
「泰然自若と言いたいのかい? それほどではないと思うが……」
褒めてないです、という糾弾はギリギリ呑み込む。
「深く考えない性格だとはよく言われるな」
「道理で」
「ご相伴にあずかれて幸運だよ。まさかこんな場所に料理研究部があるなんて」
「文芸部です。今は括弧が付きました」
「面白い冗談だ。ところで、先ほどはすまなかったね。とんだ痴態を晒してしまった」
「あー、いえ……よくあるんですか、ああいうこと?」
「ああいう?」
「真っ昼間に行き倒れたり。通りすがりの生徒に救助されたり」
あってたまるかというのが本音だけど。
「うーん……さすがにここまでひどいパターンは初めてだが。これも雪女の性でね」
「雪女の?」
てっきりミューデント特有の苦心談が始まるのかと思いきや。
「昨晩はシングルモルトを浴びるように飲んでいたが、さすがにボトル一本はやりすぎたね」
毛色が大分異なっていた。
「ああ、誤解しないでくれ。いわゆる二日酔い、頭痛に喘いでいるとかは全然ない。吐き気だって皆無さ。ただ単純に酔いが抜けずにボーっとしているというか、白昼夢を泳いでいるとでも評すればいいのかな。職員会議を終えて生物準備室へ――ここの近くだね、そこに向かう道中が長すぎて、万里の長城を端から端まで歩かされているような錯覚に陥った」
「…………」
「そこで小休止にと見苦しいのは承知で廊下に腰を下ろした私は……はたと気が付いてしまったんだ。塩化ビニル樹脂のPタイルは劣化しにくい素材として重宝される上に、フローリングとも畳とも一線を画する無機質でブルータルな感触……地下の独房もかくやの冷え切り具合には親近感さえ覚えてしまい、吸い寄せられるように頬を付けた瞬間もうぐっすりさ」
「…………それで?」
「以上だ」
「雪女ほぼ関係なかったですね!?」
僕のツッコミは暖簾に腕押し、氷上先生の無表情に楔を打ち込むことは叶わず。
「最後は関係あっただろ。ほら、私は体温がすこぶる低いから……」
「前提のプロセスが問題でしょ! なんだぁ、一晩でボトル一本って!」
「まあ、聞きたまえ。十五世紀から十七世紀の大航海時代にかけては真水の代わりに大量の酒類が船に積み込まれていたそうじゃないか。どれだけ新鮮な水も冷蔵技術なくしてはあっという間に腐敗して湿気により樽には藻が繁殖する中にあってもラム酒やビールは飲用に耐える鮮度を保っていたわけだ。いわば命の水と呼んでも過言ではない――」
「その冗長すぎる喋り方、馬鹿みたいなんでやめてもらえます!?」
とうとう年長者を馬鹿呼ばわりしてしまった。
なんだろう、つかみどころがないこの感覚。唯一無二に思える一方、僕がよく知る先輩にそっくりな気もする。見てくれだけは最上級な辺りとか特に。
「なに、翼くん? おかわり欲しいの?」
「結構です」
「あ、あのー……」
と、そこで手を挙げたのは獅子原。おっかなびっくり、探り探りに。
「牡丹ちゃん、こういう鍋とか温かいものって、普通に食べて大丈夫なんですか?」
「ん、問題ないとも。熱い器を触るときは火傷に注意だけどね……『体の内部』に入る物については影響がないんだ」
「へ、へ~、そうなんですかー、そうなんですねー……」
――『内部』に入る物って、どういう意味ですか?
掘り下げたいのがヒシヒシ伝わってくるが、口にする勇気はないらしいので。
「雪女の体温が低いっていうのは、あくまで皮膚の表面に限った話なんだよ」
手っ取り早く僕が説明する。
「どゆこと?」
「生命維持に肝要な人体の深部……内臓や脳、血管、口腔内とかも含めて、一般人と同じく三十七度付近に保たれているんだ。ま、そうじゃなくちゃ酵素の働きも何もかも鈍すぎて、代謝や集中力、免疫力が極端に下がる――まんま低体温症の症状が現れて日常生活もままならないはずだけど、実際そうはなっていない理由がこれだな」
「は、はぇー、不思議なこともあるんだねぇー」
おそらく僕の説明を半分も理解していない獅子原とは対照的に、
「驚いたな」
氷上先生の瞳に初めて感情らしい感情が宿る。幸い『雪女フェチの変態』という軽蔑の色ではなかったが、それは僕を無性に面映ゆくさせる――青春真っ盛りの男子を愛でるような視線に見えたのは、思い過ごしではなかったようだ。
「君は過去に、雪女と交際した経験があるのかい?」
「……どうしてそういう発想に?」
「失礼、てっきり実体験による知識なのかと」
「………………………………」
何か、僕は今、とてつもなくきわどい発言をされた気がする。
「残念ながら未経験よねぇ~、翼くんは」