異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

二章 雪女さんは叱られたい ⑩

 獅子原も気付いた。この忙しない光景にあって、彼女の姿は不思議と目につく。

 昨日に続いて飲み過ぎなのか寝不足なのか、昼食と思しきランチパックを開封もせず、椅子に座った状態でカックンカックン船を漕ぐ彼女に、


「大丈夫ですかー、氷上先生?」


 隣の席でパソコンをタイプしていた教師が優しく声をかけ、


「午後も頑張りましょう」


 と、別の教師がコーヒーを持ってきて、


「二日酔いには糖分補給がいいらしいっすよ、先生!」


 なぜか男子生徒からラムネをもらっていた。それらに「ありがとうございます、ありがとう……」うつらうつら答えながら、結局はだるそうに突っ伏す氷上先生。いつもこうなのだろう、周りからはしょうがないなぁって感じの笑いが起こる。


「愛されてるな」


 率直な評価を下す僕に対して、「うーん、けど……」獅子原は珍しく曇った表情。


「ちょい浮いてない?」

「ま、暇そうではある」

「ねー。あ、言っとくけど、サボってるとかじゃないよ。やることはやった上でぬぼーっとしてるんだって、前に話してたからさ」

「副担任って仕事少ないのか?」

「多いでしょー。牡丹ちゃんの場合は、周りのサポートが手厚いと申しますかね。ほら、雪女って高温多湿が苦手じゃん? 仕事中に倒れたらろーさい案件だから、屋外は基本NG。その延長で他の負担も少なめ、残業してても『やっときますから』で帰らされるみたい」

「……」


 楽できていいな、とは思いつつ。

 雪女にとって夏場の屋外が天敵なのは事実だが、それでも体育の時間にマラソンの監督でもしない限り問題はないはず。ましてや屋内での事務作業が主になる教師に、そこまで過剰な配慮は必要なのか――と。社会経験のない僕ですら浮かぶ疑問に、大の大人が気付かないはずもなく。わかった上でそういった運用がなされているということ。

 ケースバイケースの柔軟な対応よりも、百かゼロでやった方が何も考えずに済む。

 つまりその方が本人も周りも楽ができて、WIN‐WIN。

 ゆえにこれが、あるべき姿。深酒にハマる理由の一端だなんて思わない。やることないなら何かさせてやれ、とも思わない、けれど、思い出したことなら一つあった。

 既視感の正体は去年の休み時間、一度だけ見たことがあった、教室での朔先輩の様子。

 彼女は男女問わずに人気があり、明るい笑い声に囲まれていて、自身も楽しそうに笑っていたのに――なぜか僕には人一倍、孤独に感じられてしまった。

 体が触れ合うこと、視線を合わせること、それによって何が起こるのか、自分が『普通』じゃないこと、その怖さを誰よりも理解している彼女が、一人ぼっちに見えて。


「ああやって一人でいるの、見てるとさ……あたし」


 僕の脳内なんて獅子原には覗き込めるはずないのに。気が付けば彼女は僕と同じ色の瞳で氷上先生を見つめていた。


「なんか無性に『こっち来い!』って言いたくなる。クラスにああいう子がいたりすると、抱きしめたくなるんだよね。気になっちゃって仕方ないんだ」

「氷上先生のことなら、どう考えても一人には見えないぞ」

「そ、そだよねー。変なこと言った、ごめん」


 変なことではない。僕も昔、そう思っていたから。今もそう思っているから。

 過去に戻ってやり直したいなんて思わないけれど、同じ後悔は繰り返したくないので。


「僕らの部活ってさ」

「うん?」

「人助けの部活という理解で、いいんだよな?」

「うん」

「よし……なら、任せろ」

「あ、えぇ~?」


 大義名分に後押しされた僕は職員室へ踏み込む。獅子原も僕の体を盾にしてついてきた。

 喧噪の合間を縫うようにしてやってきたのは、日差しから最も遠い隅っこのデスク。


「お食事中、失礼します」

「ん……?」


 隔離病棟みたいな位置でコーヒーをすすっていた氷上先生は、透明人間と遭遇したみたいにわざとらしくキョロキョロしてから、僕にピントを合わせる。


「誰かと思えば、映す価値なしの男じゃないか」

「……昨日は大変ご無礼を」

「冗談だから本気で申し訳なさそうにするな。で、どうだい。顧問探しは順調かな?」

「その件なんですけど……熟慮の末、やはり氷上先生が適任という結論に至りました」


 老獪な朔先輩から渉外のコツは学んでいた。第一に、はったりでもいいから「あなたしかいない!」と思い込ませる。第二に、相手の欲求を満たすような利益を提示する。

 僕の見立てなら彼女の場合、両者はほぼイコール。


「藁にもすがりたい、というやつかな?」

「いえ、全く。名前だけ貸してほしいとか、楽な仕事ですので安心してくださいとか、言いません。むしろご迷惑をおかけする機会も多々あると宣言しておきます」

「ちょ、ちょ、ねぇ?」


 背後の女が袖を引っ張ってくる。わざわざそんなこと言わなくても、という意味だろうが。


「ご迷惑、か。例を挙げるなら?」

「沢山ありますけど……天体観測するために夜中の屋上を解放してもらったり、奥多摩でキャンプするために車を出してもらったり、プラモの塗装を行う前のパーツ洗浄を手伝ってもらったり、打ち上げで食べるもんじゃ焼き屋の予約をしてもらったり」

「いろんな部活、混ざりすぎでしょ!?」


 ここだけの話(バレたら内申に響く)、天体観測もキャンプも、去年のうちに経験済みだったりする。あまり思い出したくない記憶だが、「今度は屋上でやりましょう」「今度は遠出しましょう」と朔先輩は言っていたので、第二段があるとすれば有言実行するはず。


「あとは主に、生徒会や近隣の文化部から寄せられるクレームの対応ですよね。臭いがどうの騒音がどうの、大体は僕が平謝りすればことなきを得るんですけど、中にはいるんですよ、責任者出せって騒ぐヤカラが。そういうとき部長は決まって雲隠れしてますんで、代わりに矢面に立っていただければ幸いです」

「な、なにそれ、こわーっ……」


 裏社会の闇に触れたみたいな獅子原だが、お前もすでにその一員だぞ。


「ふむ、なるほど理解した」


 椅子を回転させた氷上先生は脚を組み、僕を正面に見据える。目の下のクマやら白衣やらが相まってマッドサイエンティストたる貫禄。


「つまり君は私に、雑用だったり、責任だったり、休日出勤だったり、一般的な教師が断固として拒否するようなストレス要因を、無条件で引き受けろと?」

「おっしゃる通りです」

「なぜ、私なんだい?」

「そりゃもう、この世で一番くらい暇そうなんで」


 瞬間、眠そうだった氷上先生の瞳に生気とも呼べる光が差す。

 感情の希薄な彼女が、驚きを隠せずにいるのがよくわかった。まさか、と――しかし、それがいい意味での『まさか』に感じられた僕は、自信を持って畳みかける。


「少しは真摯に働いた方が、脳の健康にもいいんじゃないですか?」

「あ、あの……こーもりくん? もうちょい言い方を、だね……」

「昼間に体力使っておけば、アルコールの力を借りなくても安眠できるでしょう」

「だから言い方ぁ!」

「……本当に、目上に対する口の利き方がなっていないな、君は」


 教育的指導を口にする反面、肩をすくめた姿は降参の意思表示に思えて。


「そんな講釈垂れるのは、生徒の見本たる大人になってからにしてください」


 我ながら失礼千万な物言いに、しかし、氷上先生は声を上げて笑った。雪でもなければ氷でもない。むしろそれらを溶かす温かさを感じたのは僕だけではない。それぞれの仕事に勤しんでいたはずの教員たちが一瞬、手を止めたほど。

 ずっと前から彼女はこうやって、誰かに叱られたいと願っていたのだろう。必要とされたかったのだろう。それを望むのが贅沢だと考えるのはやめにしよう。世間には生徒相手に過剰な気の遣い方をする教師がいたり、逆にズケズケプライベートに踏み込んでくる奴もいて、心に壁を作ったり作らなかったり。十人十色なのが普通だと信じたい。


「先に言っておくが、私を更生させるのは骨が折れるぞ」

「似たようなもう一人に比べれば幾らかマシです」

「そうか。ならば安心して醜態を晒せるな。よろしく頼む」


 血迷って茨の道を選んだ気もするが、「こ、こーもりくん!」あたしは最初から信じてたぜ、的な感じに獅子原が肩を前後させてくるので、これで良かったのだろう。


「晴れて私も部活の顧問に就任、か…………」


 はっ、と。閃いたように手を叩いた氷上先生は、傍にあったキャメル色のトートバッグの中身を乱暴に漁り、ブランド物の長財布を取り出す。何を考えたのか、そこからごっそり万札を抜き取ったかと思えば、目が点になっている僕の眼前に突き出す。


「すまん。今、七万しか入ってないから、とりあえずこれで我慢してくれ」

「はい?」

「部費の代わりだ。みんなで美味いもんでも食ってこい」

「…………」


 彼女の奇行は、それぞれの仕事に勤しんでいた教員たちが一瞬、手を止めたほどだが。


「うわー、お金だー!」


 両目を『¥』のマークにした猫女に「もらえるわけないだろ!」やんわり空手チョップ。

 いよいよ痛い奴しかいない部活になりつつあった。


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