異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

三章 この世に一人だけだから ①

 健全なのか不健全なのかは等閑に付して。

 放課後には部室へ足を運び、自学自習に励んだり小説を読んだり、誰かさんの思い付いた独創的な遊技に付き合わされ、その暴走を諫めたり諫められなかったり。

 一連の過程は数学や英語の授業と並び、消化しなくてはいけない一日の予定として、僕の時間割にはインプットされている。それだけ労力を要するわけだが、裏を返せばひとたび休日を迎えれば、一切のしがらみから解放される。

 結論を言えば、僕は幸せ者である。今日も変わらず幸せだった。

 予定もないのに平日と大差ない時間に目が覚めて、顔を洗って歯を磨いて、ダイニングでコップに注いだ牛乳を立ったまま飲んでいたところ、飼い猫が行儀悪くキッチンに飛び乗り「腹減った」アピールしてきたので、カリカリのエサをやった。

 時刻は八時半。リビングでトーストをかじりながら情報番組を垂れ流していたら、春の甲子園で優勝した強豪校が特集されていた。いい天気だし彼らは本日も練習なのだろう。僕なんか爪切りくらいしかすることないのに、と感慨もなく耽っていたら。


「……ん?」


 テーブルに置いてあったスマホが振動する。受電を知らせるアイコンと『斎院朔夜』の名前を見た瞬間、「げっ」脊髄反射で声が出た。平穏を阻害する腐臭がプンプン漂い、肉親の仇でも見る目で画面を睨みつけていたとき。


「おっはよーう、お兄ちゃーん。ふわぁ~……」


 欠伸混じりに現れたのは、ダボっとしたスウェットに短パン姿の少女。

 古森こもり乙羽おとは――今年から中三の血を分けた妹は、校則違反ギリギリに染めた髪に、校則違反ギリギリのパーマをかけて、いつ見ても垢抜けたい願望に溢れている。


「あー、乙羽もパン、食べたいなぁー。って、どーしたんー?」


 ソファで固まっている僕を見て訝る妹だったが、


「別に」

「あっそ。えーっと、ベーコンに卵も焼いてぇ……」


 掘り下げるほどの興味はなかったのか、すぐに自分のスマホをいじり始めた。絶品トーストレシピとかで検索しているのだろう。

 そうこうしているうちに端末の振動は止まり、画面には不在着信のマークが灯る。


「…………寝てたことにしよう」


 確実にろくでもない用件だし、休日の呼び出しに応じる義務はないのだから。さすがに家まで押しかけてくる可能性は低いはず、と自分に言い聞かせていたら。


「おー、ご無沙汰じゃーん! ううん、起きてるけど……」


 張りのある声は家族と話すときよりもオクターブが高め。

 スマホを耳に押し当てた乙羽は肩を揺らしたり、空いている方の手をわしゃわしゃ動かしたり。通話なのにボディランゲージの激しい奴。こうして見れば僕と違い根明、いい意味で似ていない。特別お兄ちゃんべったりではなく、かといって「ウザッ」「キモッ」とかも言ってこない平均的な妹のため、苦労は少なかったりする。

 さて、僕はアリバイ工作のため二度寝でもしておこうかな、と腰を上げたのだが。


「あ、お兄ちゃん! 今日って暇?」

「ん? ああ、けど……」


 それがどうした。視線で問いかける僕をスルー。


「暇だって言ってるよ!」


 外行き用の声に戻った乙羽が、通話中の相手へ元気に告げる。


「…………おい、誰と話してる?」


 今すぐ切れ。僕がぶんどるまでもなく「んっ!」とスマホを差し出してきた妹は、


「代われってさ」

「…………」


 ――シュワちゃんが「お前たちは消去された」って言う映画のタイトル、なんだっけ?

 現実逃避しながら、受け取ったスマホを耳に当てる。


「……もしもし?」

『翼くーん? ひどいじゃなーい、私の電話に居留守を使うなんてー』


 モーニングコールにしてはいささか粘り気が強い声に、僕は呆然とする。


『スリザリンにマイナス一億点』

「スリザリンはあんただろ!」


 楽しそうな笑い声がハウリング。他人の物なのを忘れてスマホを叩きつけたくなった。


『無駄な足掻きをしちゃって』

「なんです、なんなんですか? ちょっぴりホラーなんですけど!?」

『乙羽ちゃんを煩わせたら駄目よ。どの道、私の魔の手からは逃れられないんだから』

「ほ、ホントに悪魔……」


 とはいえ、乙羽と朔先輩は元々親交があった――嘆かわしいことに「朔夜お姉ちゃん」と呼び慕っているほどなので、連絡先を交換していても不思議じゃない。

 僕の監督不行き届きだ。それがいかに黒い交際なのか、あとで妹に教え込まねば。


『というわけで、翼くん。十時に落ち合いましょう。場所は駅近くの……』

「落丁がひどいんですよ。どういうわけで、ですか?」

『時が来た、それだけよ。晴れて新入部員が入ったことだし、文芸部の再始動を祝って新歓を開きましょう。部活といえば新歓、新歓といえば部活! 参加しない者はぼっち確定――』


 サークル入りたての大学生にしか通じない与太話は意識の外に追いやり。


「急すぎやしません?」

『思い立ったが吉日と言うじゃない』

「人の都合は考えないわけだ」

『はいはい、どうせ都合はつくんだから見栄を張らないの……ああ、そうそう、真音さんと氷上教諭には連絡済みだから、安心してちょうだい』

「先生まで来るのか……」

『うっふっふっふ。タダ飯と、タダカラオケと、タダボウリングにありつけそうね?』


 うわぁ、ウキウキだと思ったらそういうことか、抜け目がなさすぎる。


「参考までに、すっぽかした場合はどんなペナルティが?」

「特に何も。ただ、私の口が滑りに滑りまくってしまう可能性は否定できないわね~」

「はぁ? スベってるのはいつものこと……」

「たとえば、そうね……中一のときにクラスの女子から告白されたあなたは、三日三晩、悩みに悩み抜いて。最終的に出した結論が、『ごめん、今は誰のものにもなるつもりは――」

「ああああああああ! わかりました、行きます! 行けばいいんでしょ、もお!」


 悶絶級のカードを切られてしまい、了承する以外の選択肢が僕にはなかった。


「…………はい。じゃあ、あとで」


 脱力して通話を切る。わーい、美味い飯が食えるぞー、ヤッター。幼児退行気味に自分を慰めても口角は一ミリも上がらなかったが。


「もー、さっさと付き合っちゃいなよー、あんたら。ってか、もはや結婚適齢期でしょー」


 ニヤニヤを抑えきれない乙羽は、「うりうりぃ~」とわき腹を小突いてくる。

 ――ああ、そういやこいつの脳内では僕と朔先輩って、そういう扱いだったな。

 このウザすぎる感じ、久しぶりな気がする。たぶんホントに久しぶり。


「早めに唾付けといた方がいいって。そろそろ既成事実が必要っしょ」

「お前、あの人から変な影響受けてるよな、絶対?」

「やあ、冗談抜きで、朔夜お姉ちゃんの優秀な遺伝子は、是が非でも古森家に取り込むべき」

「お姉ちゃんじゃない。どこまで遡っても他人だ」

「えー、呼び方のこと言ってんの? お兄ちゃんだって昔は『さくねえ』って……」

「なあ、その話、やめろ? マジでやめとけ、なあ?」


 獅子身中の虫、本物の暴露魔は身内に潜んでいたようだ。僕が地獄突きを繰り出そうか逡巡していることにも気付かず、「でも、さぁ」乙羽はなおもクスクス微笑む。


「良かったね。最近は元通りになったみたいで」

「…………」

「今度はうちに遊びにきてもらいなよ。久しぶりに、昔みたいにさ。まー、お母さんはゴチャゴチャ言うかもだけど、乙羽は全面的に味方だから。心配するなってこった!」


 やはり僕とは似ても似つかない。気遣いのできる妹だった。


 


 集合場所は家から徒歩圏内に位置する京王線の駅だった。とはいえ電車に乗ってどこかへ向かうわけでは、おそらくない。


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