異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
三章 この世に一人だけだから ⑥
「んー、我が道を行くってか、今よりダンゼン男勝りってことかな」
クワガタは今でも触れるけどね、という無駄な補足を付けてきた。
「だから、あんまりペチャクチャ喋ったりしないタイプのりっちゃんは、大体あたしの服の裾とかつかんでさ、後ろからちょこちょこついてくる感じだったんだ。意外でしょ? 変わったのはいつかって聞かれたら……まー、どう考えてもこれだよね、うん」
と、獅子原は両手を猛獣の爪に見立て、がおー。スベり倒した自己紹介のリベンジを狙ったわけではない。ウェアキャット――それが彼女の異名。
「中学入ったばっかの頃かな。違和感は他にもあったんだけど、大きかったのは視力だよね。すげえ見えんの、暗がりでも! やばっ、超能力じゃんとか思ったんだけど、親に話したら『病院行こう』ってなってさ。いろんな検査したあと……面白かったなー、大学病院の先生。深刻そうな顔で第一声が『猫系か、犬系です』なんやねんっちゅーの、その二択は」
そこで初めてミューデントと認定されたわけだ。センシティブな話題なので僕は真顔をキープしていたが、獅子原は心底笑っているように見えた。
「で、さらに精密な検査……かと思ったら最後はびっくり。なんか病室に可愛い猫ちゃん連れてきてさ、『今からこの子と戯れてください』だもん。そんな原始的な方法ってあります? あたしが普通に猫から好かれる人だったらどうするわけ、って最初は思ったけど」
「歴とした科学的検証だもんな」
多くの哺乳類はフェロモンを感知するヤコブソン器官が機能しており、ウェアキャットはイエネコにだけ作用する物質を分泌する。要するにマタタビ反応を見ていたのだ。
「そんなこんなで、あたしはその日から晴れて『猫の女の子』になったわけ……あ、これは近隣でのあだ名ね。学校だとまー、さらにいっぱい、血も涙もないのがあった」
「……」
朔先輩にも腐るほどあったな、と思い出す。僕はそれが嫌で仕方なかったことも。
「残酷だよな、中学生って」
無知だから平気で人を傷付ける。傷付けたことにも気付けない。
「まーしょーがない。『ミュー』じゃなくてもイジりイジられなんて日常茶飯事だし、あたしはその延長線みたいなものだと解釈していたから……ただ、そうは思わなかったのが、親友の女の子でさ。サイテーなこと言った男子に一発でびゅーんだもん。驚いちゃった」
コミカルなSEとは裏腹に、獅子原の手は命を刈り取るフックパンチを繰り出していた。
「そこからだね。あの子は引っ張る側になって。あたしは守られる側になって。りっちゃんが変わったのは、おっきくなったのは、いいんだよ、別に。嬉しいんだよ。問題はあたし。距離がさ、隙間がさ、空いている気がして……このままじゃいかんだろーって思い。あたくし的には勝負をかけている高二の春でした」
「……なるほど、な」
二年生デビューを狙ったのも、胡散臭い文芸部(笑)なんかに相談したのも、全てはそういう訳だったか。空いたと思う距離を少しでも埋めたかったから。
獅子原的にはたぶん一世一代の決断をした気分で、だからこそ他の誰でもない、きっかけになった彼女の口から否定されるのだけは、我慢ならなかった、と。
――この女、思春期真っ盛りか?
前にも言ったけどそういうのは畑違いなんだ、やめてくれ。
再認識させられたのは、ミューデントが抱える問題の根深さ。とりわけ、第二次性徴期に症状が現れるという点は、神様に唾を吐くレベルで害悪。ただでさえ体も心も変化する、ホクロ一つそばかす一ミリでも気になるお年頃に、猫を惹きつけるフェロモンなんか出ちゃった日には夜も眠れない。
「何がヤコブソンだ、何が第六感だ。マタタビなんぞで酔っ払いやがって、あいつら……」
謂れのない誹謗中傷で、僕が猫科の全動物を敵に回していたとき。
「ねぇ、こーもりくん…………あの子、一人なのかなー?」
いつの間にか立ち上がっていた獅子原が往来を指差す。淀みなく流れていく雑踏の中、ぽつりと動かずにいるのは、五、六歳くらいに見える小さな男の子。
「一人に見えるな」
「迷子かなー、迷子だよね? よし、ちょっと行ってみよう」
獅子原が突撃していったので、僕もあとに続いた。
「そこにいると危ないぞ~、少年?」
声をかけられた男の子は、びくっと肩を震わす。
「あっち行こ、あっち、ね?」
と、目配せする彼女に刺々しさなんて微塵もなかったが、それでも見知らぬ他人であることには変わりない。男の子は怯え切った様子で、しかし、従わなければひどい目に遭わされるとでも思ったのか、小さな歩幅で歩きだした。
とりあえず道端までやってきて安全は確保できたので、
「あー……君、親は一緒じゃないの?」
獅子原を見習い、僕も可能な限り温和な声を絞り出した――つもりだったが、気のせいだろうか。瞳をフルフル揺らして、唇をぎゅっと閉じて、鼻水すすって。
――この子、泣きそうになってないか?
言っておくが、僕は児童に威圧感を与えるような、厳つい見た目をしていない。喋らなければ好青年だと(妹から)言われたことさえある。どちらかといえば子供受けするんじゃないかという自負すらあったのに、なぜ。
危うく「僕の何が悪いんだ?」と、ちびっこ相手に詰め寄ろうとしている僕を、
「はいはーい、ちっちゃい子が苦手なこーもりくんは無理しないでねー」
役立たずと言わんばかりに押し退けたのが獅子原。別に、苦手じゃない。無理もしてない。
「こんにちはー、いい天気だねー」
笑いかける獅子原はしゃがみこんで、男の子よりもさらに小さくなっていた。いわゆる保育士の目の高さ。なるほど、男子高校生としては平均的な身長の僕も、推定百センチ強の彼からすれば十分に偉丈夫。配慮が足りなかったのを猛省する中、獅子原は苦もなく男の子から名前と年齢(小一=六歳)を聞き出した。
「今日は、パパかママと遊びに来たの?」
「うん……ママと、お医者さん行って…………でも、おはぎが、おはぎが、ね」
なんだ、腹でも減ったのか。事の成り行きを見守っていた僕の顔を、恐る恐るチラ見した男の子は「ひえっ」って感じに獅子原の陰に隠れる。お姉ちゃんは信用しているが、この野郎は信用していない、という鋼の意思が伝わってきた。
「あ、だいじょーぶ! このお兄ちゃんねー、目は怖いかもだけど、中身は普通……」
「気を遣うな、鬱陶しい」
戦力外通告は目に見えていたので、僕は黙って距離を取る。
ひっそり泣きそうになっている男が一人いたことには、地球上の誰も気付かなかった。
獅子原が聴取した証言をまとめると、こうなる。
おはぎとは、丸めたもち米を餡子で包んだお彼岸の食べ物――ではなく、男の子の家で飼っている猫の名前だった。つまりお医者さんとは獣医を指しており、ワクチンの注射を受けて帰ろうとした折、キャリーケースのロックが壊れていたせいで脱走。追いかけた男の子は猫の発見には成功したものの、母親とはぐれてしまい現在に至る。
僕的には、迷子センターに行ってアナウンスしてもらうのが優先だと思ったけど、猫が心配だといって男の子がぐずったので、先にそちらを確認する流れに。
「で、ここなのか……どれどれ?」
やってきたのは、一階フロアの中心に鎮座している巨大な地球儀のモニュメント。その四角い台座と床の間にできた僅かな空間を、僕が屈んで覗き込んでみれば。
「……ああ、いるみたいだな、まだ」
奥で丸まっている猫を発見。名前の通り真っ黒な毛並みで、少し太っている。