異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ①
朝のニュースで、気の早いキャスターが今年のゴールデンウィークは何連休だとか報じているのを耳にして、もう四月も半分過ぎているのを実感する。部室の退去問題から始まり、少々ごたついていた僕の高校生活二年目。気分的にはすでに一年分くらい働いたので、一年分休ませてほしいところだが。
「そんなわけにはいかないよな……」
放課後、無益な独り言で自分を慰めながら今日も僕は部室へ向かう。
新たな相談者の来訪を待ち望んでいる――のは朔先輩だけで、僕的には閑古鳥が鳴いて大いに結構。火事を望む消防士なんていないのと同じく平和を何より尊ぶ。
「ガスとかシンナーとか、うちの部室はリアルに火気厳禁だけど…………ん?」
廊下の角を曲がったところで、たむろしている女子の集団が目に留まる。渡り廊下の端っこに三人、中心にはよく知るクラスメイトの顔があり。
「えー、うっそー? 舞浜さん、カナヅチなの~?」
「なんでもできそうに見えたから、いがーい!」
よく知らない残りの二人が、何やらわざとらしいくらいに甲高い声を上げているけど。
「はい。だからお力にはなれないんです、申し訳ありません」
舞浜は慇懃に頭を下げる。全然いいよーとかヘラヘラ言いながら歩いてきた二人は、
「……人魚なのに、あり得る?」
「……ねえー? なんか変なの」
すれ違い様、絶対に舞浜にも聞こえるようなボリュームで言い残していった。
露骨に嫌な奴らだったが、まあ、あれくらいの性悪は世間にうようよいる。
「よっ。変な奴らに絡まれてたな」
「あ、古森くん……別に変ってほどじゃないよ」
「何か頼み事されてた?」
「うん。たまにあるんだよねー、欠員が出た部とかの助っ人頼まれること。今の人たちは水泳部の三年生。今年からバタフライ要員が足りないんだって」
「へえ……もしや、お前が人魚だからってハナシを聞きつけて?」
「そーそー。こっちは立ち泳ぎもままならないのにねー、恥かいちゃったかな」
恥知らずなのは向こう。大方、人魚なら水にぷかぷか浮かぶとか息継ぎが必要ないとか、あり得ない妄想に捕らわれているのだろうから。
「いちいち説明するの面倒だな」
「ううん。むしろこういう場合は『泳げません』の一言で終わるから楽かな。逆にややこしいのは、中途半端に知識を付けられちゃってるパターン……むむ~ん」
悩ましげにしている女子を前に、不謹慎ながら少し可愛いなとか思っていたら。
「あ! いたいた……舞浜せんぱーい!」「ちょっとお時間いいですかー?」
と、駆け寄ってきたのは小柄な女子二人。舞浜の知り合いのようだ。
「ん、確か合唱部の……内田さんと上坂さんだったね。どうしたの?」
「はい! これ、これです」
「昼休みに調べたら出てきて、盛り上がってたんですよ」
興奮気味の一年生コンビ、その片方が差し出すスマホの画面を覗き込んだ舞浜は、まさに先ほど披露した「むむ~ん」そのままの表情になっていた。
「人魚さんってみんな歌が上手なんだって、このサイトに書いてあるんです」
「合唱部、全国狙ってるんで。兼部でもいいから先輩も入ってくださいよー」
これは確かに、なまじ悪意が感じられない分、扱いが難しそうなので。
「悪い、横から失礼しても?」
「……え? うわっ!」と、大げさに飛び退かれてしまったが。知らない男が急に話しかけてきた、というリアクションではなく。「ねえ、この人……」「うん、だよね?」何やら肩を寄せ合って密談を交わした両者は、最終的に確信を得たらしい。
「生のコウモリ先輩だ」「生コウパイセン……」
ぷふ、と舞浜が吹き出して明後日を向く。
「食べたらお腹壊しそうだな」
「し、失礼しました!」
「ご利益ありそうって意味ですぅ!」
取って食わないでくれと言わんばかりにペコペコ謝る後輩。僕はどうやら婦女子に好かれない体質らしい。同時に新入生にまでこのあだ名が広まっている事実が発覚。
「ま、いいや……君たちの調べた通り、人魚の多くは歌唱力に優れている統計があって。ここでいう『優れている』の意味になるんだけど、一般人より音感が優れているんだとか、あるいはオペラ歌手みたいな声量を出せるんだとか、そういう感じ想定してる?」
僕の質問に「違うんです?」と聞き返してくる一年生。
「残念ながら。なんでも、発する声に10~20kHzの超高周波音が含まれているそうで、これを聴いた人間は脳からリラックス効果のあるα波が発生するんだって」
「なにそれサイエンス!」
よくわからんけどすごそう、という反応には僕も共感するが。
「多人数でパートもわかれる合唱だと、その効果が発揮される可能性は低そう」
結論はこうなる。期待して損したわーとか、苦情があるなら僕にぶつけてほしかったが。
「あ、マジだ……このサイトにも補足で書いてある」
「早とちって盛り上がっちゃったねー、うちら……」
ごめんなさい変なこと言って、と素直に謝罪する二人。
「でもでも、舞浜先輩の声、綺麗なんで好きです!」
「ほんと?」
「はい、あるふぁー派? 出まくりなんで! じゃ!」
爽やかに去っていった彼女たちを見送りながら、やはり若いのはいい、なんといってもひねていない、と僕は感心していたのだが、
「コウモリ先輩、人魚博士なん?」「人魚フェチでしょー。確実に狙ってるってー」
耳を澄ますまでもなく、年上のことをディスっている。どいつもこいつも陰口が陰口になっていない。故意に聞こえるように言っている可能性すらあった。
「古森くん、私のこと狙ってるの?」
「お前までそういうイジリ方するのは勘弁」
「ごめんごめん。古森くんには斎院先輩がいるもんね」
「確実にイジってるよな。もしかして横から口挟んだの怒ってる?」
「まさか! 感謝しかありませんとも。君は色んなミューデントに詳しいよね」
「たまたまな」
「ちなみに同じ要領で他の子を助けてるシーン、私は過去に何度も見てるんだなぁ」
「人様をよく観察してるみたいだけど、なに、舞浜は僕を狙ってるの?」
「んー、そうだね。ドキュメンタリー番組みたいに、君の素顔へ迫りたい願望はあるかな?」
「情熱も流儀もないぞ」
普段は冗談なんて言わない舞浜が、僕に対しては小悪魔をにじませる機会が多い。期せずして思い出したのは、普段とはかけ離れたファッションをしている休日の彼女。
この前のあれって――僕が口を開こうとした一呼吸は、
「ああ、まずいまずい、立ち話してる場合じゃなかったよ」
舞浜の言葉で埋められてしまいタイミングを逸する。
「私ってば、生徒会さっさと済ませて部活行かなきゃ」
「そうだったのか。ほどほどに頑張れよ」
「うん、古森くんもねー」
遠ざかっていく舞浜をわざわざ呼び止めたりしない。
平和だもんな。それで大いに結構だ。
「ふむふむ。七六桂打で粘る、と」
パチン、榧の木が奏でる小気味いい音が部室に響く。
そう都合良く相談者など現れるはずもなく。いつも通り統一性のない児戯にふけっている朔先輩は、丸椅子の上に置いた将棋盤とにらめっこ。折り畳みではなく足付きの立派なやつ。将棋部からの借り物だけど僕の記憶では十か月以上返却されていない。
「んー、これじゃ確かに形が悪いわよねぇ……」
本を片手に開いた彼女は棋戦さながらに険しい顔つき。タイトルは『勇気の横歩取り』。十中八九、初心者向けではない。朔先輩は将棋がかなり強いから。他にも囲碁、チェス、麻雀、オセロ、バックギャモン、ボドゲ全般が得意。