異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

四章 人魚の涙と呼ばないで ⑤

 張り付けた表情の下に何かを押し殺しているのが、まざまざと感じられてしまい。

 ――悪い予感って当たるもんだな。


「お前がやってる、人には言えないストレス発散方法についてだ」


 諦めるように告げた僕に、「なるほど」と、やはり笑顔のまま頷いた舞浜。


「長くなりそうだね」


 

 言い訳にしか聞こえないのは承知しているけど。

 僕が「一人でもどうにかなる」と当て推量したのは、別段、自分の力を過信していたせいではない。相手が舞浜なら説得が通じるだろう。話せばわかるだろう。心のどこかで期待していたからにほかならないのだが。


「――要するに、所詮ただの遊びで気晴らし。それ以上でも以下でもないの」


 謝罪会見を開きたい。見通しが甘すぎた。


「だから、この話はもうおしまいにしてくれる? 誰にも迷惑はかけてないし、得をするのも損をするのもぜーんぶ私なんだから、他人にとやかく言われる筋合いはないでしょ」

「で、でもね、碧依ちゃん。こういうのって危ないよー。何かあってからじゃ遅いし……」

「ごめん、獅子原さん。そういうのやめてほしいってお願いしてるんだ。迷惑だからさ」

「あ、うぅ……」


 短いスカートとニーソックスの間に覗く内ももを、モジモジ擦り合わせる獅子原。尻尾が生えていたら丸めて挟みこんでいるのだろう。完全に委縮しているのがわかった。

 一方、対面に座した少女は涼しい顔でカフェオレを口にしている。

 制服に着替えた舞浜と共に訪れたのは、軽食の量が多いことで有名な喫茶店チェーン。客入りもそこそこでゆったりした時間が流れる店内にて、人知れず修羅場を迎えているのは窓際のテーブル席――僕と獅子原はラスボスみたいな相手と対峙していた。

 問い詰めるというほどの過程は必要なく、例のアカウントが自分の物であることを、あっさり白状した舞浜だったが、地獄が待ち受けていたのはそこから。


「個人の自由だから」「お前らには関係ない」「放っておいてくれ」「バラすなら勝手にしろ」


 以上の反論を受けた。言葉遣いこそ丁寧だったが強情に。

 優等生然としているいつもの彼女はどこへ行ったのやら。感情論を矛にして理論武装を盾にする舞浜は、たぶんこの世でも最も『対話』という概念から程遠い。

 形容するなら『反抗期真っ盛りの跳ね返り娘』がしっくりくる。


「……こーもりくん、バトンタッチ」


 依然として縮こまっている獅子原は、クリーム部分が萎れてしまったクリームソーダをストローでちまちますする。すまない、慣れないことさせて。お詫びにその五百六十円(税込み)は僕の奢りだ。こっそり詫びを入れていたら、


「先に言っておくけど……古森くんまで感情的な説教するのはナシにしてよね?」


 ブラックな微笑みを浮かべる舞浜は、肘をついた両手に顎を載せるポーズ。


「安心しろ。僕も説教は嫌いだ」

「なら良かった」


 何がいいんだか。ため息を噛み殺すように僕はアイスコーヒーを口に運ぶ。

 ――感情的になってるのはどっちだよ、まさかお前がこんな幼稚な人間だったとはな。

 突き放すのは簡単だけど、今回はやめておこう。ただ単純に興味があったから。


「どうしてこんなアカウント作ったのか、聞いても?」


 ブクブク! 途端にジュースが泡立つ音。横目に確認すれば、ストローを咥えた獅子原が怪しむ目つきを僕に向けていた。「やけに優しくない?」さらに言えば「あたしのときと違わない?」だったけど。いや、違うだろ、そりゃ。


「最初はただの暇つぶしだったかなー。匿名のSNSなんて誰でもそうでしょ?」


 他に何があるの、という感じの舞浜。リアルでは言いにくい愚痴をメモ帳代わりに書き連ねている程度なら、僕だって止めやしないけど。


「見ず知らずの男どもから『やりたい』だの『挟まれたい』だの、この世の終わりみたいなリプを飛ばされる女子高生が一般的なら、日本はもう終わりだな」

「え、やっぱり説教おじさんなの?」

「ただの独り言だ」

「良かったー。ま、心のセルフケアが主な目的かな。乙女には色々あるんだよ」

「へーえ」

「はい、じゃー、ここで問題です!」


 人差し指をピンと立て、唐突にクイズ番組の司会者と化す舞浜。


「当校には文化部から運動部から帰宅部まで、豊富な選択肢が与えられている中にあって、私が陸上部を選択した理由……なぜだかわかる?」

「……走るのが好きだから、とか?」

「ぶっぶー、ハズレ。古森くんなら当ててくれるかなーって期待してたのに、残念」

「どういう買いかぶりだ」

「正解はね……それが『人魚』にとって最も遠い競技だから、でした」

「人魚に、遠い?」


 不意に他愛もない会話が僕の脳裏に蘇り、それは徐々に不安の種を植え付けた。

 ――人魚らしくない舞浜が好きだ、人魚のイメージに捕らわれない舞浜が好きだ、と。

 僕はとんでもない勘違いをしていたのではないか。


「少しでも人魚っぽさがあるとね、必ず、嫌味言ってくる奴が現れるんだ。ミューだから上手くて当然だろ、とか。レギュラー取れて当然だろ、とか。逆に下手っぴだったりしたら、サボり魔だとか手抜きだとか、どっちにせよいちゃもん付けられる」


 笑っちゃうよね、と言いながら舞浜は欠片も笑わず。


「高校生にもなってそんな差別発言、表立ってする奴が……」

「珍しいね。でも……古森くん、気付いている? 自分で今『表』って言ったこと」

「…………」

「人間って年を取るごとに小賢しくなるから。中学ではぎゃーぎゃー騒いでた連中が高校では割と静かになってたりするけど。あれは理性的になったわけじゃなくって、単純に衝突を避けるようになっただけ。責められるのが嫌なだけ。だから責められない場所なら、攻撃されない安全圏なら、いくらでも汚くなれる、女子は特に経験あると思うな」


 獅子原が息苦しそうに顔を背けるのがわかった。覚えがあるのだろう。できれば思い出したくないのだろう。僕にも多少はある。けれど、たぶん、きっと、彼女らとの間には超えられない壁がそそり立っている。


「だから私は、責められる芽は先に摘んでおきたいの。頭が良くって、顔が良くって、性格も良くって、それらをひけらかさない謙虚さで。困っている人を放っておけない真人間」


 実際、大多数の人間はそれに近い印象を彼女に抱いているはず。


「ああ、この人は根っからそういう人、揚げ足の取りようもないんだ。そう思わせれば平穏に暮らせるんだって……だけど、わかっちゃった。結局、どこまで行っても逃げられないんだよね。私が私である限りはさ。こんな体に生まれちゃったせいで」


 カラン、とグラスの氷がひとりでに音を鳴らす。僕も獅子原も黙りこくっていた。

 呪いのような言葉の羅列が、他でもない彼女の口から飛び出すなんて。

 ショックが大きいのはたぶん、心のどこかで先入観に捕らわれていたから。彼女だけは、自分がミューデントであることを重荷に感じたりはしないはずだと。


「『可愛いから得してる』とか、『美人に生まれたから人生イージーモード』って、僻みを言う女よくいるじゃん。あれって言われる方は、大して腹も立たないんだよね。実際問題、得してるし。ブスに生まれて可哀そうだねーって優越感に浸れるから」


 でもね、と舞浜は強い語気で続ける。


「私の場合はそれだけじゃ済まされないんだ。陰で私がなんて言われてるか、知ってる?」


 やめてくれ、と思った。それだけは聞きたくない。



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