異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ⑥
「人魚だから得してる、人魚に生まれたから人生イージーモード、だってさ。得したことなんて一回もないのに……そのうちにさ、人魚だから勉強もできて、誰かに親切にしないと気が済まなくって、人魚だから嫌なことも我慢するべきだ、傷付けてもいいんだって、叩かれる対象になるの。この体だってわかったときから、ずっと、みんな、そうだよ」
「なあ、舞浜…………」
堪らずに口を挟むけど、次の言葉は一向に見つからない。
長い間つらかったな。そんなこと言ってる奴らはごく少数だから放っておけ。みんなお前のこと悪くなんて思わないぞ――皮相に尽きる慰めが浮かんでは消えていく過程が、舞浜には手に取るようにわかったのだろう。「いいよ、わかってる」と無感情に告げる。
「気にしてたらキリがないぞって言いたいんでしょ。まあ、それはそう。けど、こういうのいつまで続くんだろうなーって考えたら、私がミューデントである限り続くんだよね。あと十年か十五年? 長いでしょ、結構。だから、考え方を変えることにしたんだ」
「……心の、セルフケア?」
「そうそう。私がいつもニコニコ笑っていられる理由……わかる? 心の中で『こいつらみんな馬鹿だな』『あっさり騙されてるな』って、目いっぱい見下してるからなんだ」
「それで『ガチクズ偽善者ちゃん』始めました、と」
「ご名答。まー、初めはただ愚痴ってただけなんだけど……思わぬ収穫っていうかさ、ちょっと脱いだだけで単純な男が大量に釣れて、びっくりだったよ」
「チヤホヤされて、楽しかったのか?」
「とっても。リアルじゃこんなことできないもんね」
そうやって世界の全てを嘲笑することにより、彼女は精神の安寧を保っていたわけだ。
「卑しい自覚は十分にある。そのせいで破滅しても自業自得だと思ってる。だから……温かく見守ってくれれば、それでいいよ?」
作り物とは思えない笑顔で舞浜は結論付ける。事情は大体わかった。
居心地悪そうな獅子原が中身のなくなったグラスを見つめる中、急に青空が恋しくなった僕は窓の外に視線をやる。あいにくの曇り空だった。
――滝沢、すまん。
お前の依頼に反するけど、僕は今「彼女の意思を尊重しようかな」と思いかけている。
救いを求めていない人間に、滅びの道を自ら突き進んでいく死にたがりに、かける言葉なんて僕は持たない。獅子原や氷上先生との根本的な違いはそこだった。
「良かった、わかってくれたみたいだね」
舞浜は論破完了とばかりに、大きく息をついてから。
「あーあ、私も普通の女の子に生まれてたら、もっと楽に生きられたのになぁ」
勝ち鬨なのか捨て台詞なのか、その一言に意味なんてなかっただろうけど。
「普通、ね」
不覚にも、笑ってしまった。普通の女の子ってなんだよ。
僕からすれば舞浜だって十分、美人で優しい普通の女子高生だし。獅子原だって少し痛いだけで普通の女子高生だと思う。朔先輩だっておそらく…………いや、駄目だな。あれはかなり特殊だから、比較対象には適さない。女子高生と呼んでいいのかも怪しいぞ。
目を閉じて一人、思案とも呼べない問答にふけっていた僕は、
「古森くんが今、何考えてるのか……当ててあげよっか?」
彼女の声で現実に返される。とっくに店を出ていったあとかと思いきや、舞浜は依然として対面に座ったままだった。カフェオレはまだ半分ほど残っているが、それを飲み干すのが目的ではないらしい。
「斎院先輩のこと、考えてたでしょ」
確信の宿った双眸。まるでここからは自分が問い詰める側なのだと告げるような。
「なんでわかった?」
「わかるに決まってるよ。君はいつも、いつだってそうだから。口を開けば朔先輩がー、朔先輩はー、朔先輩ならー、って繰り返してさ。自覚ないの?」
「そんなに言ってるわけ…………」
ない、と言い切れないのが恐ろしいけど。
非難なのか苛立ちなのか、ささくれだった色に染まった舞浜の瞳が、僕へ注がれている。理由はよくわからない。ただ、例の先輩がきっかけになっているのは推測できた。
「みんながみんな、あの人みたいに強くなれるわけじゃ、ないんだよ?」
搾り出したような声には、熱気というより冷気が帯びている。
「なんの話だ?」
「思ってたんでしょ。斎院先輩なら、こんな風にウジウジ悩まないのに、って。ネットの世界だけで粋がったりしないのに、って」
「あのな………………たぶん、舞浜は誤解してる――」
「すごいよね、あの人は。私はサキュバスです、スペシャルなんです、普通の人とは違うんですって、自分を大々的に売り出してさ。実際に美人だし、モデルみたいだし? みんなからもてはやされて、だけど当然みたいにそれを受け入れちゃって。私すごいでしょって自慢するのがキャラとして成立しちゃってる……そんなの、ありえないでしょ」
「……」
「ずるじゃん。反則じゃん。もっと目立たないように生きるんだ、普通は……」
早口でまくし立てたそれは、まとめるならつまり、朔先輩のような存在が、生き方が、羨ましいのだと独白するように聞こえてしまい。僕は誰に向けるでもなく首を振るしかなかった。舞浜だけじゃない。何もわかっていない、誰も彼も。
「ああ、まただ。そうやって君はよく、『何もわかってねーな』って顔をするよね?」
噛み付く標的は結局、僕のようだ。懸命な判断だ。いない人間を巻き込むのは良くない。
「よっぽど溜め込んでいるものがありそうだな、お前」
「うん。いいポジション見つけたなーと思って。自分は一般人なのに、コウモリとか呼ばれて有名人で、斎院先輩の隣にいることで特別感を演出して。他の奴らはわかってなくても、僕だけはこの人のこと理解してる……ドヤ顔して、上手いこと優越感に浸れるもんね。ミューデントについて詳しいのも同じ理由でしょ。知識をひけらかしたいだけ――」
「あのさ、碧依ちゃん」
瞬間、テーブルを叩く勢いのまま立ち上がる少女がいた。
「こーもりくんは…………え?」
そのまま何か――十中八九、僕の代わりに何か言おうとするのが予想できたので、右手を挙げて制止する。いいんだ。言わせてやれ。
「私は、嫌いだった。古森くんみたいにそうやって、美味しい場所から甘い蜜を吸ってる人、私はこの世で一番だいっきらいなの。だからもう……これっきりにしてほしい」
何をとは言わなかったけどたぶん金輪際、関わり合いを持つなという意味なのだろう。少し残念な気もするが、向こうから嫌われているのだから仕方ない。
ただ、どちらかといえば僕は彼女のことが好きだったので。
「最後にこれだけは、言っておいてやる」
だから、これは親切心なんだ。
胸の中で必死に言い聞かせていた時点で、何かが狂い始めている証拠だった。
「自己矛盾してることに気付いてないだろ、お前」
「……はい?」
それでも理性より本能が勝ってしまう。
「本当に心の底から他人を見下してるんなら、そんな連中からちやほやされるのが気持ちいいはずないんだよ。単純な奴らだなって、馬鹿な奴らだなって、軽蔑するふりしてお前は結局のところ深い部分じゃ、その単純で馬鹿な奴らに認めてほしくて仕方ないんだ」
感情にのみ突き動かされるこんな状況を、一般的になんと呼ぶのか。
「お前は別に、自分が人魚なのを不満に思っているわけじゃない。人魚の自分を認めてくれない世界が嫌いなんだ。人魚の自分を理解してほしくて、受け入れてほしくてたまらない。その本質から目を背け続ける限り……」
ここまで来れば答えはわかったけど、わかりたくないと訴える僕もどこかにいて。