異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ⑦
「一生、幸せにはなれない。たとえミューデントじゃなくなったあとでも、お前がミューデントだったと知る者が消え去ったあとでも、絶対に逃げられない。自分自身からな」
気が付けば全て吐き出していた。吐き出したはずなのに溜飲は下がらず。
空気が、凍っていた。怯えるように瞳を震わす獅子原も、死んだような顔色で瞬きをやめた舞浜も、僕が怒りに怒りで抗するような性格だとは思わなかったのだろう。本人も予想外だったのだから、半分事故みたいなもの。とはいえ、誰かを傷付けたのなら責任は取らないといけない。制裁は甘んじて受けるつもりだったけど、
「……君には、わからないよ」
グーもパーも飛んでこなかった。伸ばした手で自分の分の伝票をひっつかんだ舞浜は、
「普通に生まれた古森くんには、私の気持ちなんて一生……」
僕の名前を口にしながら僕には目もくれず、ツカツカ歩いて行ってしまった。
ラッキーパンチにすぎないけれど、去り際に彼女が残したその弱々しい言葉は、僕の急所とも呼べる箇所を的確に貫き。
「……わかるわけ、ないだろ」
殴られるよりも深刻な被害に遭った僕は、説教なんてするもんじゃないと改めて思い知る。
その後、氷が完全に溶けたアイスコーヒーを貧乏根性で飲み干した僕は、予定通り獅子原の分も含めた会計を支払い、喫茶店をあとにしたのだが。
「ごめんね。こーもりくん、ごめん……」
「いいよ、クリームソーダ一杯くらい」
「違う、違うの……!」
店を出た往来で、獅子原は人目も憚らず声を詰まらせた。浮かない顔をしている原因はてっきり、柄にもなく感情的になった僕への顰蹙かと思っていたが。
「あたしが、弱いせいなんだ。はっきりしないせいなんだ、いっつも、全部……」
「なんの話をしてる?」
「『こーもりくんはそんな人じゃない』って、言ってあげられなかったから」
「…………」
「そうすれば、こんなことにならなかったかもしれないのに。こーもりくんが、嫌な思いしないで済んだかもしれないのに。碧依ちゃんとも喧嘩にならないで済んだかもしれないのに。ごめん、ごめんね……」
泣く必要なんてないのに泣きそうな声で何度も繰り返している女の子を前にして、どうすればいいかわからないのは僕が僕たるゆえんかもしれない。ただなんとなく、こんな風に俯き加減の沈んだ表情は彼女に似合わないと思ったので。
「良かったんだよ、それで」
こんなことしか言えない自分を情けなく感じたのは、初めてかもしれない。
獅子原と学校の外で別れた僕は、一人だけ文芸部の部室に戻っていたのだが。
「先に帰ったのか……」
朔先輩の姿も滝沢の姿も見当たらず。日が暮れ始めた薄闇が妙に心地好かったため、電気は点けないまま静まり返った中に腰を下ろす。背もたれに体を預けながら、照明としての存在価値を奪われた蛍光灯を意味もなく見上げる。
置き忘れた荷物を回収しにきたわけではない。家に帰る気分にもなれず、考え事をしながら歩いていた僕の足は、知らぬ間にここへ向かっていた。
沈思黙考の内容は――なぜ古森翼はあそこまで向きになったのか、について。
朔先輩の名前を出されたことに憤慨した、というのは表面的な物の見方で、それはどちらかといえば舞浜側の地雷だったように思われる。大体、彼女が指摘した通り、僕はそういったケースでは「こいつわかってねーな」と流してしまうのが大概。
だからこれはたぶん、誰かのためとかではない、僕自身に由来する感情の揺らぎ。
「……だるい」
だらしなく背中を丸めた僕は、テーブルに頬を押し付け冷たい感触を存分に味わう。なんだかこの頃は、考えたくないことばかり考えさせられる場面が多い気がする。こんなはずじゃなかったのに。もっと居心地が良かったはずなのに、昔は。
変人の朔先輩が自由気ままな児戯に明け暮れて、常識人の僕は振り回される。それだけの単純明快な構図だったのに。いつの間にか朔先輩は遊んでばかりじゃなくなって、実のところ僕は常識人なんかじゃなかった事実が露見して。
――そもそも、なんでこんな部活始めたんだっけ?
考えるのも面倒になった僕は、睡魔に襲われるでもなく目を閉じるしかなかった。
朔先輩がミューデントの認定を受けたのは中学二年のとき。
同じ中学校の一年生だった僕は、そのときまだ――冷静に振り返れば特大の黒歴史に該当するけど――尊敬と親しみの念を込めて彼女を『朔姉』と呼んでいた。
幼稚園から付き合いがあり、互いの家を頻繁に行き来する仲だったから、親しみという部分について不思議はないだろう。重症度が高い理由は『尊敬』の方にある。
そう、当時の僕は朔先輩に真剣な憧れを抱いていた。かっこいいとさえ思っていた。
なにせ、ジャンル問わずゲーム全般が上手い(対戦したら僕はろくに勝たせてもらえなかった)し、戦争や兵器の歴史に詳しかったり、へんてこな楽器を自在に弾けたり、本格派の美味しいラーメンを作れたり、遭難時のサバイバル術に長けていたり。
極めつけは僕が上級生にいじめられていたとき、颯爽と現れて撃退してくれた姿はあまりに眩しく輝いていたのだから、子供心に彼女をヒーロー視していた。
――ま、種明かしをするなら。
朔先輩はゲームだと初心者相手にもハメ技を使う容赦ない性格で、知識や技能の大半は二次元由来のため深みがなく、僕をいじめていた上級生はそもそも朔先輩がグレーなギャンブルで物品(金品ではない)を巻き上げた連中で、朔先輩に仕返しするのが怖くて代わりに僕を標的に憂さ晴らししていたのだから、明らかなマッチポンプ――
という、からくりが発覚するのは後年になってから。まだ今ほど斜に構えていない、澄んだ生き魚の目をしていた少年時代の僕が、ころっと騙されて心酔したところでなんら恥ずべき点はない……はず。
そんな感じに、元より凡人からかけ離れている『特別感』の塊みたいな人だったから。ミューデントだと知ったあとでも、たとえそれがサキュバスなんていうセンセーショナルな異名を持つと聞かされても、僕の中に劇的な変化は生じず。
――他のみんなにとっても、それは同じに決まっている。
本気でそう思い込んでいた当時の僕は、年相応に視野が狭かったのだろう。
違和感に遭遇するのはすぐ。あるとき同じクラスの女子から、
「古森くんって、サキュバスの先輩と仲いいよね。もしかして……何かされたの?」
真顔で質問されたけど、正直、何を言われているのかさっぱり。
紐解けば、どうやら彼女は僕が朔先輩に対して恋愛感情を抱いていると誤解しており――それだけなら現在も過去も『よくあること』に分類されるが――さらにそれが、サキュバスの魅了による影響なのではないかと疑っているようだった。
まあ、直近でも似たような疑いを滝沢にかけられているし。信奉者と化した僕がことあるごとに「朔姉」と連呼するせいで、ウザがられていたのかなーとか、頭の健康を心配されていたのかなーとか、今になってみればいくらでも考えようはある。
しかし、純真だった当時の僕は、朔先輩に対する畏敬の念を、他人から暗に否定されたような気がしてならず。結果として、それまで良好な関係を築いていたはずの当該クラスメイトのことが嫌いになり、距離を置くようになった。
断っておくが、彼女は殊更に思慮分別を欠くような人ではなかったし、なんなら中一にしては聡明な方だった。そんな人間ですらミューデントは、色眼鏡をかけて見ざるを得ない。無自覚な悪意が瞬く間に広がり日常を侵食した頃、僕はようやく自分が少数派だったことに気付かされる。そんな現実に抗いたかったのだろう。