異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ⑧
――僕だけは絶対、間違わないようにしよう。
たとえ大勢のくだらない奴らに理解されなくても、僕が正しく理解していればいい。ミューデントだろうとなんだろうと、彼女の本質に変わりはないのだから。同担拒否勢なのか独占欲の権化なのか、そんな風にして自我を保っていた過去の僕は、致命的な思い違いをしていることに長らく気付かず。心底、愚かだった。
変わらないように見えるだけで、朔先輩も変わっていたんだ。
汚い言葉の暴力に晒されたり、イジリでは済まされない嫌がらせを受けたり、なかったわけじゃないと思う。ただあんな性格をしているものだから、暗い部分は周りに見せず。おめでたい僕はまたもや騙されてしまい、安心してしまった。
だからその頃『ミューデントを狙うストーカー』が急増しており、社会問題と化しているのだとメディアが報じても、遠い世界の出来事だと気にも留めなかった。ましてや身近な人物がその被害に悩まされているなんて、夢にも思わず。
そして――あの日が訪れた。
雪の予報が出ていた冬空の下、下校する僕たちはコートを貫く寒さに震えていた。そのとき朔先輩は中等部の三年生で、内部進学を控えていたから、「考査は大丈夫なの?」「楽勝すぎるわよ」とか、どうでもいい会話をしていた。どうでもいいはずだった。僕も次の年は同じように考査を受けて、高等部に進むだけだから。
いつもと変わらない帰り道、いつものように通る商店街のアーケードにて。
「こんにちは、サキュバスの朔夜ちゃん」
そう言いながら僕たちに近寄ってくる男がいた。二十歳そこそこの大学生といった感じ。目深にフードを被り、ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んでいた。僕は知らない相手だったけど、口元だけにこやかな彼を視界に収めた瞬間、寒さではなく、怒りにわなわな唇を震わせたのが朔先輩。彼女は高ぶる感情のまま彼に詰め寄って、
「帰ってください」「迷惑です」「いい加減にしてほしい」「通報しますよ」
以上の内容を、毅然とした態度で早口に告げた。鬼気迫る様子に僕は何事かと思ったけど、当の彼はヘラヘラしたまま「ひどいなぁ」とか「手紙、読んでくれた?」とか、ふわふわした話を持ち掛けるばかり。朔先輩と話せるだけで嬉しいと言うように。
――通報ってなんだろう、物騒だな。
しばらく二人のやり取りを窺っていたが、一向に話がまとまる気配はなく。寒い、早く家に帰りたい、と僕はげんなり。朔先輩も同じ思いなのは聞くまでもないし、彼女は冷静さを欠いているように見えたので。
「あの……いいですか?」
と、なんの警戒心もなく間に入った僕を、「やめて!」「いいから!」と、尋常じゃない焦り方で止めたのが朔先輩。あるいは怖がっているようにも見えたけど、僕にはまるで意味がわからず。ここは人通りの多い商店街だ。仮に彼が質の悪いナンパだったとしても暴力に訴えてはこないだろうし、そうなったら周りの大人に助けを求めればいい。
そうやって善意と常識の殻に守られたつもりの僕は、想像もできなかった。
彼が右手に出刃包丁を隠し持っており、次の瞬間、往来だとか人目に触れるだとか関係なく凶刃を振るうなんて。でもそれは実際に起こってしまった。スローモーションに感じられる世界の中、一つだけわかったのは、その切っ先が僕には向けられていないこと。
フードの下に覗いた瞳は、僕の大切な人にだけ向けられており。
だけど、彼の望みは果たされず――包丁が突き刺さったのは、僕の下腹部だった。
まあ、狙いが朔先輩だったわけだから、僕が庇った以外に成立しないのだが、そこら辺の記憶は曖昧。一つ得た教訓としては、よく聞く「気付いたら病院のベッドの上」という現象が、刺し傷の場合は当てはまらない点。救急車の中で死ぬほど痛かったのを覚えている。
手術の麻酔から目覚めたあと、色々な話を聞かされた。
白昼堂々の犯行だったため、犯人はあっという間にお縄についたらしい。
以前から朔先輩をしつこくストーキングしていた男で、事前に相談を受けていたにもかかわらず凶行を防げなかったとして、警察の偉いおじさんが病室にやってきて丁重に謝罪を受けた。想像するに、裏で母親が彼らをヒステリックに糾弾したのだと思う。彼女がそういう性格なのを僕はよく知っている。
母親はどうやら、怒りの矛先を朔先輩に対しても向けているらしかったけど、それはどう考えてもお門違い。朔先輩は何も悪くない。むしろ僕はベッドの上で毎日、彼女が悩みを抱えているなんて想像もせずにいた自分を悔いて過ごした。
「あと数ミリずれてたら三途の川だもの。日頃の行いが良かったのね~」
と、不謹慎な話を看護師のお姉さんからされても現実味は湧かず。
ただ傷口が深かったのは事実で、入院はえらく長引いた。ズキズキするお腹より、味がしない糊みたいな食事より、退屈が一番の敵だった。お見舞いに来てくれる友人たちはありがたい存在だったけど、その中に僕が本当に会いたい人物の姿は見当たらず。
「朔姉は、どうしてる?」
誰に尋ねても、答えらしい答えは返ってこなかった。
――責任、感じてるのかな。
感じないわけがない。だから、僕は退院したら真っ先に彼女に謝りたいと思っていた。
ただ一言、知らなくてごめん、と。
それで全て解決して元通りになるはずだ、と。しかし、実際はそうならず。
冬が終わろうとしていた季節。久しぶりに登校した学校に、朔先輩の姿はなかった。
高等部に進学したから、という意味ではない。そこで初めて僕は、彼女が外部の高校を受験した事実を知る。そしてこれもまた初めて聞かされることだったが、僕を刺した犯人は逮捕後の取り調べにおいて。
「サキュバスの女が自分を誘惑した」「犯行に及んだ際、自分は彼女に心神を操られていた」
という旨の供述を繰り返していたのだと。大々的ではないにせよ、そのニュースは中学二年生の男子が重傷を負った情報と共に、各メディアで報道されていたらしい。
当然ながら、彼の主張は支離滅裂どころか物理的に実現不可能なもの。その後の裁判にも影響はせず、最終的には殺人未遂の罪で実刑判決を受けるのだが。
厄介だったのは、当時の世相として、「ストーカーされるミューデント側にも問題があるのではないか」という、差別的な持論を(主にSNS上で)展開する、声の大きい少数派が幅を利かせていた点。中学生でも、スマホ一つあればその思想に触れるのは容易く。
――斎院朔夜というサキュバスに近寄るのは、危険なのではないか。
根も葉もない噂が、学校という狭い檻の中に蔓延するのは一瞬。結果的に居場所を失った朔先輩は、追い出されるまでもなく、自ら外に出る選択肢を取らざるを得なかった。
全て終わったあとで一連のストーリーを知った僕は、愕然とする。
――そんなことが、許されるのか?
積極的に何かしたとか、してないとかは、どうだっていい。庇わなかった者も、流された者も、諭さなかった者も、大人も子供も関係なく、全員同罪だと思った。
何をやっているんだろう。何を考えているんだろう、どいつもこいつも。
全てに不信感を持った僕は、無力にふさぎ込み、引きこもるしかできなかった。
その気になれば朔先輩にはいつでも会いに行けたけど、合わせる顔がなさすぎて、万が一ばったり遭遇するのも怖くって、外に出ること自体を拒むようになって。
カーテンを閉め切った部屋の中、暗闇を見つめて一日の大半を過ごすようになった。