異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

四章 人魚の涙と呼ばないで ⑩

「一人寂しくスパイごっこですか?」

「一人じゃないわよーう。滝沢くんも一緒だったわよーう」


 あの馬鹿がスパイに向いているとは思えないが、その尾行に気付かなかった僕も僕。


「……見てたんなら、止めてくれれば良かったのに」


 自分で突っ走って、失敗して、空回りしただけなのに。僕の情けない責任転嫁に眉を顰めるでもなく、「止めないわよ」と朔先輩はうそぶくように顎を上げる。


「翼くんがせ~っかく、自分の意思で行動を起こしたんだから」

「僕の意思なんかどうでも……」

「良くない。そのおかげで命拾いした女の子が言うんだから、絶対よ」

「…………」


 安っぽい換気扇の音がやけに大きく響いても、脳の空白を埋めてはくれず。

 あまりにこともなげに言ったので、危うく騙されるところだったけれど。初めてのことではないだろうか。間接的にとはいえ、朔先輩があの事件に言及するのは。無意識にその話題を避け続けていたのは僕も同じ。しかし、なぜ今。有機溶剤の臭いも抜けきらない部屋で、夜の帳をバックに黒髪を揺らしながら、彼女はその封を破ったのか。

 ただ一つはっきりしているのは、


「大事にしなさいね。ま、怪我しない程度には」


 朔先輩はやんちゃな子供を窘めるお母さんみたいで、僕はもういい年なのに救われた気分になった。今日だけでなく今までの自分を――思い出したくなかった過去に決着をつける形で、肯定された気がするから。


「……肝に銘じておきます」

「よろしい! それでは翼くんの意思に則って、『舞浜碧依さんを更生させよう大作戦~怒りの脱出~』を実行に移しましょう」

「そんな戦争映画っぽい作戦、立案した覚えがありません」

「論破されてふて寝したあなたに代わって、私がスマートな代案を考えておいたわ!」

「耳が痛いですけど助かります」


 根拠はないのに、なぜか「この人ならやってくれる」といつも思ってしまう。信じられる。

 そんな朔先輩だからこそ、僕は――


「……頬をつねられたぐらいで、こうはならないよな」

「ん、何か言った?」

「朔先輩のそういうところ、嫌いだなーって」


 この気持ちだけは誰にも否定させないと、改めて思った。


 


 優柔不断ではないけど、浅薄な僕はいつも決断してから後悔するばかり。

 今回も例に漏れず「こんな人を信用するんじゃなかった」と、過去の己に対して落第点を付けるのにはさして時間を要さず。


「……暑い」


 肌を包む熱気に、思わず呻いた。どこかの雪女だったら蒸発しかねない。

 外の季節は未だ春だというのに、ここだけは常夏の二十八度設定。セカンドなのかサードなのか、地球規模の大災害が発生して地軸がズレたわけではない。


「わーい、海だーっ! 海に来たわよー、私たちーっ!」


 と、叫ばねばならないルールでも存在するのか、外見とか年齢とかを一切合切無視して子供っぽくはしゃぐ連れの女(高三、別名サキュバス)に、


「海じゃないです。でっかいプールはありますけど……」


 他人の振りをしないでツッコミを入れる僕は聖人かもしれない。そう、あのブルーは海水ではなく真水。南の島でもなんでもない、ドーム状の屋根に囲まれることからもわかる通り建造物の中だが、確かにそれを忘れるくらいの広さはあった。

 比喩的にも温度差が激しい。

 同級生と喫茶店で修羅場を繰り広げた翌々日――電車を三十分ほど乗り継いで僕と朔先輩がやってきたのは、都内の某ホテルに併設する大型レジャー施設。ワイキキだかホノルルだかの名前を冠したそこは、スパリゾートと呼称される。

 遠くにはご立派なウォータースライダーがそびえ立っていたり、波の発生するプールでは子供が遊んでいたり、ビーチチェアにはビキニのお姉さんが寝そべっていたり。そこかしこに非日常的な空間が広がっている。シーズンは外れているが日曜だけあり客入りはまずまず。二十三区外に慣れきっている僕を、辟易させる程度の人口密度はあった。

 もっとも、みんな自身の余暇を満喫するのに手いっぱいなのだろう。ロッカールームを出て開口一番に奇声を発した女に、愁眉を向けるのは僕だけ。肩を組んだ若い男女がイチャつきながら目の前を通り過ぎていく。傍から見れば彼らと同類、僕らだって浮かれポンチに映るのかもしれないが、目的は歓楽にあらず。


「ここが、舞浜のアルバイト先なんですね?」

「私の調査活動リサーチによればね、うっふっふっふっ……」


 怪しくほくそ笑む朔先輩がターゲットにするのは人魚の乙女。

 断じてストーカーではなく、これこそが『舞浜碧依さんを更生させよう大作戦』。

 その全容を語る前に説明しておきたいのは、あれでいて舞浜は私生活を大っぴらにしないタイプで、バイト先も『接客系』としか周りに話していなかった――の、だが。


「あ、ほら、あの子じゃない? 売店の近く、耳にインカム着けてる……」

「え…………うわぁ、マジでいるのかよ」


 ほどなくして、お目当ての人物は見つかる。見つかってしまった、というべきか。スタッフ用の制服だろう、ブルーのポロシャツにチノパン、サンバイザーを被った舞浜は、駅で見たときと同じく外ハネの大人っぽい髪型にセットしていた。 

 朔先輩の情報網、恐るべし。僕が人知れず戦慄を覚えていたら。


「まずいわ、こっちに来そう。翼くん、隠れて!」


 言われるがまま、マスコットキャラの描かれた顔はめパネルの後ろに(顔をはめず)息を潜める。板一枚を隔てた向こう側、舞浜は僕たちに気付かず通り過ぎていく。


「ふぅ~、間一髪……見失わない程度に距離を取って、あとを付けましょう」

「……了解ラジャーです」


 やっぱり気が進まないなぁと良心の呵責を覚えつつも、すでに安くない入場料を払っておりあとに引けなくなっている僕は、朔先輩に倣って舞浜を尾行する。

 重ねて言うが、ストーカーではない。


 発端は昨日の昼、土曜日にまで遡る。


「――要するに、言葉による説得なんて無意味なの。痛い思いをしないと学習しないのが、人間という愚かな生き物。だ、か、ら……SNSっていうのがいかに恐ろしい代物なのか、舞浜さんには体の芯まで刻み込んであげましょう?」


 打ち合わせという名目で部室に呼び出された僕は、悪辣な微笑みを湛える朔先輩に眩暈を覚えていたが。ルックス的には断然そっち系(悪役令嬢など)の方が似合う人であり、協力者として共に呼び出されていた滝沢が「たまんねえっす、先輩!」と歓喜していたのも理解に苦しむほどではない。キモいけど。


「僕はあまり乗り気になれないんですが……具体的には、どういう作戦です?」

「SNSの情報を元にして彼女のバイト先を特定したから、明日そこにリアル凸しましょう」

「え……すみません、軽くおっしゃってますが。まだ昨日の今日ですよ? 舞浜のバイト先なんて、どうやって特定したんです?」

「ま、実際はSNSだけのルートじゃないわ。彼女、交友範囲は広い方だから。リアルの方でも聞き込みを交えて大体の当たりが付いたら、高校生可のバイト求人をネットで検索。立地や待遇でさらに絞り込んでいって、最終的には■■■を装って直接■■■■に■■――」

「おい」

「よくそんな悪知恵働くっすねぇ~」


 滝沢は感心していたけど、僕は引いてしまった。


「……というわけで、滝沢くんには適当に変装した上で、バイト中の舞浜さんにナンパをしかけてもらいます。仮想設定は言うまでもなく、『SNS見たよぉ……君、可愛いねぇ……高校生なのぉ?』って感じに言い寄ってくる目がイっちゃった危険人物」


 本当に危険すぎて身の毛もよだつが。


「全力で怖がらせればいいわけっすねー、承知しました!」



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