異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
プロローグ 花言葉は永遠の幸福 ②
「どうぞー、店内でお選びくださーい」
押しが強そうな彼女に引っ張られる形で、店の中に誘われてしまった。芳香に満たされる煌びやかな空間にもかかわらず僕は憂鬱。それをまた別の戸惑いに誤解したのだろう、同じ店員が「母の日のプレゼントですか?」と尋ねてきた。
頷くと今度は予算を聞かれたので、相場はわからないけど一万円はある、ムーンダストという種類が欲しい旨を正直に伝えた。
しばらくして彼女が持ってきたのは青い(あるいは紫の)カーネーション。
「良かったですね。大変人気の品ですので、うちの在庫はこれが最後ですよ」
残念。売り切れだったら手ぶらで帰る理由にもなったのに。間の悪さを呪うが、今さら「いりません」なんて言えるはずもなく。三千円もあれば立派な花束が作れるらしいので、勧められるままにお願いした。
──貴重な休日に僕は何をやっているんだろう。
祝福ムード一色に染まる人々の中、自分は間違いなく薄汚れたシミ。
葉や茎が手際よくカットされていく光景を眺めながら、僕の憂鬱さがいよいよピークに達しようかと思われていた、そんなとき。
「あらー、運が悪かったわね、お嬢ちゃん」
声に振り返る。見れば恰幅のいい店員が腰を折って仕切りに謝っていた。
「青いカーネーションはもうなくなっちゃったんだわ、ごめんなさいね」
青いカーネーションといえばもちろん僕が束ねてもらっているアレなわけで──少なからず生まれた気まずさは、その客の姿を目にした途端に心苦しさへ昇華する。
シルクのようなブロンドを光らせる少女の背丈は、目測百四十ちょい。
整った身なりは『いいとこのお嬢様』という表現がしっくりくるが、周囲には従者どころか家族の姿も見えない。つまりあんな幼い子が、おそらく母親に贈る花を買うために、単身で人込みの中へ足を踏み入れたのだ。
殊勝、高潔、清廉。彼女を称揚する言葉は枚挙に暇がない。
一方で僕はどうだろう。
今日が母の日だなんて頭の片隅にもなく、父親に差し向けられたままのこのこやってきて、意固地に嫌っている母親の顔を思い出しては、手前勝手な憂鬱に酔いしれる。自分は被害者なのだと訴えるように不貞腐れていた。
あまりに情けなくって、恥ずかしくって。劣等感で押しつぶされそうになった僕は、
「すみません、その花……あの子に売ってあげてもらえませんか?」
すがるように申し出ていた。言うんじゃなかったとすぐに後悔。こんなの完全なる偽善──救うのではない、救われたいがための行為にほかならなかったのに、僕の薄汚い心を覗き込んでくる者は一人もおらず。
「お兄さん、優しいのね〜」「若いのに偉い!」「日本の未来は明るいなぁ」
店員だけではない、客として来ていた老いも若きもがこぞって神輿を担いだ。
詐欺師になった気分の僕に、赤やピンクのカーネーションならまだある、お安くしておくと店の人は提案したけど。その厚意に甘えるのは許されない。
「青がどうしても欲しいので、他所を回ってみます」
すると今度は近くの花屋までの道順を丁寧に教えてくれた。何も買っていないのに「ありがとうございましたー!」という元気な声を背に店を出る。
「……なーにやってるんだろ、ホント」
手ぶらで店を出ることに成功した僕は空を見上げる。文字通り成果なし。汚れちまった悲しみに打ちひしがれながら歩き出すのだが。
──待って!
透き通った声に振り返ると、小さな女の子が駆け寄ってきた。両手で大事そうに抱えているのはラッピングされたばかりの青い花束。
近くで見るとなおさら背の低い彼女は、まだ小学校の高学年くらいだろうに。
──ありがとう。
感謝を口にして頭を下げる。お礼なんていい、と返そうとした僕より先に。
──この花、他の店も回ったけど、なかなか見つからなくって……
諦めかけていたのだと。臆せずはきはき喋るものだから驚かされる。
もしかしたら本当に良家のご令嬢なのかもしれない。
相応しい人間に買われて花も本望だろう。
見ず知らずの男がそんなことを言えば、不審者扱いは受けずとも困惑させそうなので。
「そっか。頑張って探した甲斐があったね」
僕は曖昧な感情を乗せて微笑む。聡い少女はそこから何かを感じ取ったのだろう。
──でも、良かったの?
心配そうに尋ねてきた。
「いいんだ。君みたいな子に買ってもらった方が絶対に正しい」
──どういう意味?
無垢な瞳に問われるが、気の利いた返しは浮かびそうになかったので。
「お母さん、きっと喜んでくれるはずだから」
気を付けて帰りなよ──もう会うことのない少女に笑いかけて踵を返す。
ちびっこに好かれない僕にしては、及第点のコミュニケーションだったと自負している。
何も買わずに帰宅すると父親の姿はもうなかった。
冷蔵庫のマグネットボードに「ジンギスカン食ってきます」と書いてあったので、次の出張先は北海道なのだろう。使わなかった一万円、どうしよう。悩んでいる僕は大人にも子供にもなり切れない半端ものだったけど。
「ちゃんと渡せたかな」
どこにあるかもわからない邸宅、洒落た花瓶にでも生けられている青いカーネーションを想像したら、少しだけ癒やされた。
腐りかけていた心には、名も知らぬ少女のおかげで綺麗な思い出が刻まれるのだった。