異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
三章 海より深い愛だなんて……誰が決めた? ④
若い女性だった。見ようによっては美人で、青みを帯びたアッシュグレーの髪をショートボブにしている。上はサマーニットで豊かな胸が強調。下はスキニーのダメージデニムにヒールの高いパンプスを直履き。スタイルの良さを活かしたファッション。
バンドをやっている女子大生とも、ヤンチャさが抜けきらないアラサーとも取れるが。
──噓だろ。
正解が後者なのを僕は知っている。
気だるそうな横顔には見覚えしかない。まだ日も落ちない時間帯にもかかわらず、具沢山のラーメンをすすりながらジョッキのハイボールを呷っている女は、
「ねえ……ねえったらー、リュウさーん? 聞いてるのー?」
馴れ馴れしく厨房の店主に話しかけていた。呂律からしてかなり出来上がっている。常連で懇意にしているのは想像に易い。
「どーしてグルメ番組の撮影なんかオッケーしちゃったのさー、もー、ばかー!」
駄々っ子のような絡み方は目に余るのだが、「なに、駄目だった?」店主は人の良さそうな笑顔で応じている。おそらく日常茶飯事なのだろう。
「だーめ! おかげでバエだのバズリだの、にわかが大量に湧いてんじゃん。こんなくっそ不味いラーメン食うために十分も二十分も並ばされるの、あたしヤダからね?」
度し難い暴言にも「ははっ、不味いくせにいい食いっぷりだな」と返せるのは聖人。
ごめんなさい、ごめんなさい。心の中で謝罪を繰り返しながら僕は踵を返す。士道不覚悟も今は甘んじて受け入れよう。命あっての物種──しかし。
「おっ、どこ行くんだ?」
滝沢が入店してきて退路を塞がれる。
「あー……ざ、残念だったな。満席みたいだから、この店はまた次の機会にでも……」
「ハァ? カウンターは余裕で空いてんじゃん」
「僕の心に余裕がないから、今すぐ退避を……うわぁっ」
「腹減ったぜー」「あたしもあたしも〜」と、なだれ込んできた滝沢&獅子原。完全にラーメンの口と化している両者の熱に押し負けた僕はもみくちゃにされ、引きずられ、つかまれ、最終的にカウンター席に収まることを余儀なくされた。
「はいお冷やだよ〜」
電光石火で人数分のグラスを持ってきたのはおそらく店主の奥様。いよいよ引き返す道がなくなる。不幸中の幸いは、僕の隣に獅子原、その隣に滝沢、そこから空席を一つ挟んで例の女という座り順だったこと。
横一列だし距離もあるので、縮こまっていれば面が割れる心配はなさそう。
「よーし。外で語り尽くした通り、この店は醬油が超お薦めだからさ……大将、熟成醬油ラーメン龍邦スペシャルお願いしゃーす!」
「あたしも同じので!」
「……ぼ、僕も(小声)」
「あーい、龍邦スペシャル三つねぇー!」
威勢よく注文を繰り返す店主。聞き取ってもらえて良かった…………ん、三つ?
疑問を抱いたのは僕だけではなく、
「あれ……そういえば斎院先輩いないね?」
獅子原はキョロキョロしてから「ま、トイレ借りてるのかな」と結論付けるのだが。
僕は戦々恐々としていた。なんたる不覚。例の女の出現を確認した時点で、真っ先に考えるべきは己の保身などではなく、朔先輩の安全を確保することにある。僕にとってのあいつをラスボスとするなら、朔先輩にとっては天敵と呼べる存在なのだから。
遭遇しようものなら、辺り一面火の海と化す。
「……ん?」
ポケットのスマホが振動する。見れば新着のメッセージ。送り主は朔先輩で、ただ一言。
『戦略的撤退』
「次に勝つための、ですか……」
戦火は未然に防がれたが、朔先輩ほどの豪傑に撤退を強いるとは。
嵐が過ぎ去るのを待つように、姿勢を低くしている僕とは対照的。滝沢と獅子原はテンションアゲアゲだった。陽キャコンビなので当然か。
「今さらだけど、真音ちゃんニンニク増し増しでも大丈夫系?」
「ぬ? JK的に?」
「いやミュー的に。嗅覚スーパーいいんでしょ」
「全然へーき! むしろ好きかも」
「え、キツイ臭いでうわってなったりしないの?」
「うーん、電車とかで急に嗅ぐと嫌なんだけどね。こうやってお店の中にいて自分も食べてる分には気にならない……あれだね、ランナーズハイってやつ? そこんとこ優秀なんですよ、あたくしの鼻は」
「へえー、さっすがウェアキャット」
アホっぽい理論にアホ面で感心していたが。
「……それはただの嗅覚疲労だ(小声)」
「あ、ニンニクといえばヴァンパイアの弱点じゃんね。カイチョー苦手なのかな?」
「……ヴァンパイアはニンニクアレルギーが多いとは聞く」
「こーもりくん、何ぶつぶつ言ってるの? ていうか……ねえ、ねえ。見てよ、向こうの席」
極力気配を消している僕に、獅子原は囁く。視線を送る先では例の女が豪快にジョッキを傾け、なおも店主にウザ絡みを続けている。常人ならば関わり合いになりたくないと思う光景だったが、そこは動物並みに好奇心旺盛な少女。
「あそこに座ってる人、めっちゃかっこよくない? 顔ちっちゃいし、体ほっそいのにところどころ鍛えてそうだし、おまけに理想的な形の美乳でいらっしゃる……」
「やめろ。冗談抜きでやめろ」
「わかってるっての。だからひそひそモードでしょ。もしやお忍びのインフルエンサーだったり……いかにもアーティスト系っぽいよね。ややっ、ワンチャン美容系もアリ?」
獅子原はスマホで検索しはじめた。どこまで行ってもミーハー。良く言えば流行に敏感で、若人の見本ではあるのだろう。公共の福祉に反しない限りはのびのび自己実現してほしいが。
その制約をあっさり踏み越えてしまう悪い見本が一人。
「お姉さん、綺麗ですねー」
うわぁ……僕は声も出ない。危うく失神しかける。まるでそうすることが男の流儀だとでも誇示するように、滝沢は見知らぬインフルエンサー(仮)に突撃したのである。
兵は神速を尊ぶ──誰もが不意を突かれたのは言うまでもなく。
「んあっ?」
おかわりのハイボールに口をつけていた彼女は間の抜けた声と共に、切れ長の瞳をこちらに向ける。熟れたその目は酔っ払い特有の据わり方をしており、ケツの青い未成年を怯ませるには十分だったが。
「この店、よく来るんですか? 俺はぶっちゃけ二回目でして……ハッハッハッハッ」
滝沢は一歩も退かず。匹夫の勇ここに極まれり。
「ちょ、馬鹿、やめときなってぇ! スイマセン、こいつがホントに……ほら、謝れ!」
「あ、どうも。お楽しみのところ邪魔しちゃってごめんなさい……下品なあれではないんで」
獅子原は率先して頭を下げ、ヘラヘラしている滝沢にも下げさせる。悪ガキに翻弄される保護者の姿だった。
「おいおい、たまげたぜ。リュウさん……あたし今、高校生にナンパされてんぞ?」
苦笑いの店主に話を振りながら、「ふっ」とニヒルに口角を上げる女。次の台詞は、あたしも軽く見られたもんだね、か。ガキは帰ってマンマのパスタでも食ってな、か。年相応にギラついた一喝が飛び出せば、逆に丸く収まったところを。
「見る目あるな、少年!」
目をキラキラ輝かせて親指を立てる女。こうなる予感がしていたから嫌だったんだ。
「綺麗ってのは具体的にどこら辺が?」
「シェイプアップした二の腕から腋にかけたラインが魅力的だと思いました」
「おう、合格だ。よっこらせっ」
うげぇ……僕は声も出ない。危うく口から泡を吹きそうになる。
例の女はジョッキと丼を持ってスライド。空席を詰めて滝沢の隣に移動してきた。近い。俄然、近いぞ。というかこれはもう死に体──
「安易に胸や尻に食いついたらお仕置きだったぜ……あれ? 少年、その制服って確か……」
「武蔵台学院です。すぐ近くの」