異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
三章 海より深い愛だなんて……誰が決めた? ⑥
「……え、急に下ネタ?」
「ウェアキャットなんです、ミューの。この髪も茶トラ猫をイメージしてましてぇ……」
気付いてくれた人初めてです。さっすが美容師さんです。見る目が違いますねー。
媚びへつらう言葉が止まらない獅子原だったけど。友人の母親から褒められるのってそんなに嬉しいのだろうか。有識者、教えてくれ。
「ていうか、こーもりくん、猫飼ってるんだ。どうして教えてくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
できればこれ以上、余計な情報は喋ってほしくないのに。美容院ってどこにあるんすか、俺も今度行っていいっすか──滝沢から聞かれた女は、駅の南口出て五分だとか学生割使えるぞとか、ここぞとばかりにセールストークを開始。
目も当てられない僕は、そっぽを向いてラーメンをすするのだが。
「……ねぇ、なんで妙にツンツンしてるわけ。感じ悪いよ?」
獅子原のお小言。親戚の集まりでスマホをいじってばかりいる息子を叱りつけるような。
「なんでもくそもなく、あの女が……」
「コラ、あの女とか言わない。フツーにいいお母さんじゃん。何が気に食わないの?」
「………………」
何がって。この場を早く去りたい僕は、咀嚼をやめずに思案する。
自分の母親が目の前で、学校の友人とフレンドリーな会話を繰り広げて、打ち解け合って。友人は母親のことを、少し不良っぽいだけで根はいい人なんだ、とか思っている。
その全てが気に食わなかった。
指摘されるまで、気付かなかった。母親のあらを探している自分に。母親の悪口を言いたくて仕方ない自分に。この女の本性を知らないんだと叫びたがっている自分に。嫌われてしまえばいいんだと願っている自分がいることに──
「そーいやさ。獅子原ちゃん、なんか『こーもりくん』って伸ばして発音してるように聞こえるんだけど……それ、翼のあだ名だったり?」
「あっ、はい。動物の蝙蝠が由来ですね。あたしは最初、本名だと思ってたんですけど」
「最初、か。そもそも何きっかけで仲良くなったん?」
「んまあ、ちょっとした人生相談に乗ってもらったと申しますか……」
「翼が? 大丈夫なの、それ。きっつーい毒吐かれたりしなかった?」
「結構ズバッと来ましたね。そこが逆に快感だったっていうか」
「真音ちゃん、マゾなの? 俺的にはウェルカムだけど」
「変な意味じゃないっての! ほら、こーもりくん、誰に対しても遠慮なく突っ込んでいくじゃん? そこんとこがツーカイっていうか、地味にかっこよくもあったりして……いや、変な意味じゃなくってね!?」
にわかに上昇した体温を冷ますように、氷の入った水をゴクゴク飲む獅子原。赤い顔にうっすら浮かんだ汗は、香辛料による発汗作用なのか、はたまた精神的動揺による現象なのか、僕には見わけもつかなかったけど。
「ふぅん……そっか」
一を聞いて十を知ったように頷いている女。
「知らないことばっかり聞けて楽しいなぁ。高校生になってからはこの子、学校のことなんて一切話さないから」
なんだよ、その言い方。
親の方は聞きたいと思っているのに、子供の方が話してくれないみたいに言って。
まるで親の心を理解してくれない子供の方に責任があるんだ、みたいに言って。
「あえて話さないでやったんだ。聞きたくもないだろうと思ったから」
僕は明後日の方向を向いたまま、
「今の高校……受験するのに猛反対したのは、あんただろ?」
吐き捨てるように投じた言の葉は、気まぐれな風に乗り地球を一周するようにして、反対側の彼女にも届いたのだろうか。
「反対したんじゃない。心配だったんだよ」
そう呟いた彼女はきっと、僕のことなんて何一つわかっていないくせに、母親には全てお見通しだっていう顔をしていて。
「サキュバスの朔夜ちゃんとは、今でも仲良くしてんの?」
何もかも間違っているくせに、なぜかいつも真理を突いてくる。
苛立つ神経を抑えるようにして見上げた天井の隅、蛍光灯が一つ切れかかっているのに僕は気が付いた。店主が中華鍋を振っている音や、見知らぬ客たちの談笑が無造作に耳を突いてくる。僕か、母親か、あるいは両方の空気が変わったのを、察したのだろう。
「あー、はい。斎院先輩と、あたしと、こーもりくん。部活が同じで……」
「今日も一緒だったんすけどねー、先輩。急に姿をくらましたよな」
触れていい箇所とそうではない箇所を選別するように。二人とも慎重になっているのがうかがえた。一方で、慎重さを欠こうとしているのが僕だった。
「僕が朔先輩と仲良くしてたら、不満なのか?」
「不満ってこたーないけどさ」
「はっきり言えばいいじゃないか」
つっかかって、強気になって。我ながら反抗期の子供だった。公の場で親子喧嘩を始めるなんて、おそらくこの世で最も愚かな行為の一つに数えられるだろうけど、その一線を踏み越えそうになっている自分がいたから。
「難しいよ、あの子は。あんたが思っている以上に」
僕は心のスイッチを切るよう努めた。
「サキュバスになる前も、なったあとも一貫してるんだ。他人の顔色をうかがったりしない。機嫌を取ろうともしない。変に媚びようとしない。自然体に振る舞うだけで誰からも好かれちゃう天性の愛されキャラ。羨ましいよな」
この言葉に価値なんてない。相手にする必要なんてない、と。しかし──
「だけどさ、そのくせあの子自身は誰にも心を開いてないんだ。胸の中の深い部分に、冷たくて分厚い壁を作ってる。特定の誰かに入れ込んだり、何かに執着したりしないで、周りの状況や人間を常に俯瞰して見てる。あんたのことも含めて、な」
「知ってるよ、そんなこと。だから僕は……」
「人とは違うんだってところを、見せたかったんだろ?」
「…………」
「大きく見せたいから、色んな相手にガツガツ接するんだ。普段関わらないギャルっぽい子にもガツンとお灸を据えるし、たぶんタイプの違う優等生っぽい子にも、高飛車で気難しい上級生にだって、もしかしたら一回り年が離れた先生にだって、同じことができちゃう」
獅子原と滝沢が、静かに息を吞むのがわかる。学校のことなんて一切話さない息子のスクールライフを、ほぼ的確に言い当てる慧眼はすさまじい。
しかし、心のどこかでこうなる予感がしていた。忘れていた感覚を徐々に取り戻す。
ああ、そうだ。僕の母親はこういう人。ゆえにどうしても、好きになれない。
「ミューデントでもミューデントじゃなくっても……そんなのは大した問題じゃないんだってことを、あんたは訴えたかったんだろ。腹を割って話せばみんな同じ人間で、何も変わらないですって。スペシャルもアブノーマルもないんですって。けどな……そんなやり方じゃ、あの子は逆にどんどん殻の奥に閉じ籠っていくだろうさ」
僕の人生は一瞬で看破されてしまうほど薄っぺらかった。
とどのつまり、親子喧嘩をしているつもりになっているのはこちらだけであり。
「だって、あんたの中ではあの日からずっと、朔夜ちゃんは『守らなきゃいけない人』で、同時に『保護されるべき可哀そうな人』で…………気付いてなかったろ。あんたが一番、あの子を対等な人間として扱ってない──」
「ごちそうさまでした。お会計、お願いできますか?」
ラーメンを平らげた僕は、わざとらしく声を張って席を立つ。
途中から敗色濃厚なのは見えていたので、実を言えば食べる方に集中していた。いや、敗戦というのは語弊があるか。最初から勝負にすらなっていなかったから。
みっともなくって、この世から消えてなくなりたい気分。
母親の振りかざした正論という名の暴力に、抗う術を持たなかった僕はどうしようもないくらい弱くて小さな子供だった。