異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
五章 誰かの特別になりたくて ①
宇宙を目指す前に深海の神秘を解明しろ、とはよく言ったもの。
身近にあるものや普段使っているものほど、実は知らないことだらけ。一年以上通っている学校にも未知のエリアは山ほどある。
少なくとも、理事長室なんて、僕は今まで存在すら知らなかった。
立地的には、職員室を経由して入れる校長室を、さらに経由した奥に控えている。いわば隠しダンジョン的なポジション。上座といえば聞こえはいいけど。
「地震や火災が発生したら百パー逃げ遅れるわよね」
「滅多なこと言うもんじゃないですよ」
朔先輩がさっそく失言をかます一方、
「床がフワフワでそわそわするぅ……」
膝小僧をモジモジ擦って、獅子原は落ち着かないご様子。
一般人としては正しいリアクションで、僕も少なからず畏まっていたが。
「ハァ〜……この椅子、職員室にも置いてほしいな。座り心地がダンチ」
こっちは絶対に正しくないリアクション。就職面接だったら一発アウト、人を駄目にするソファみたいにくつろいでいる氷上先生。ちなみに朔先輩もほぼ同じ体勢で、仰け反り気味のせいか見事に胸部が強調されている。そそり立つ二つの山……否、四つか。
色んな意味で大物の両者だったが、しかし、上には上がいる。ホワイトハウスを本拠地とする国家元首がごとく、この部屋を根城としているのは──
「理事長。文芸部のみなさまをお連れしました」
「ご苦労だったわね、透子さん」
ここまで案内してくれた柊さんは当然、勝手を知っているのだろう。
僕たちへ「おかけになってお待ちください」と言い残して奥にスタスタ進み、いかにも高級そうなアンティーク机の傍で一人の女性と会話している現在。
理事長と呼ばれた彼女は、四十手前くらいに見えるのだが。役職を鑑みればプラス十歳ほどが順当だろうか。外見での判断を難しくさせる要因は、緩いウェーブのかかった長い髪が金色だから──一目でわかる天然のブロンド。
今どき街を歩けば様々な国の人々とすれ違うし、この学校にだって日本以外にルーツを持つ生徒は多数在籍しているため、驚くほどのことではないのかもしれないが。
ミーハーな獅子原はさっそく僕に耳打ちしてくる。
「すごいねぇ、めちゃくちゃ海外の人だよ」
「めちゃくちゃじゃない海外があるのか」
「変な意味じゃなくってさー、金髪って『ザ・西洋』だから、海の向こう側感が増さない?」
「まあ、こっちは極東だもんな」
「おまけに超エレガントじゃん。ロイヤルな王室一家のファミリーみたい」
「色々重複してるけど……」
言いたいことはわかる。素人目にも上流階級を思わせる美人さんで、フォーマルなお召し物からは気品が溢れ出していた。
柊さんと何事かを話している王妃(仮)をそぞろ眺めていたら、不意に目が合う。ノーブルな微笑みを浮かべた彼女はそのままこちらに歩いてきた。訳もなく背筋を正す僕だが、隣の椅子で「んんっ!」と咳払いしている獅子原からはそれ以上の気概、あたしがやらなきゃ誰がやるとでも言いたげな覚悟が伝わってきて。
「は、はろぉ〜? はうでぅーゆーでぅー?」
迅速果敢にもそれを実行に移す。対話能力にいささか難がある面子──詐欺師(朔先輩)、世間知らず(氷上先生)、畜生(僕)を見て、自分が先陣を切るしかないと判断したのだろう。その意気や良しだったが。
「Oh dear! Good thank you. I'm pleased to make your acquaintance.」
ペラペラ、ペラペーラ。返ってきたのは滑らかすぎる発音。簡単な挨拶とはいえ、ネイティブ以外の耳をすり抜けるには十分だったが。
「おーう! みーとぅーみーとぅー、ていくいっといーじー」
獅子原は意外にも「わかっていますとも」って感じに余裕綽々。やるじゃないか。密かに感心している僕の肩を、彼女はちょんちょん叩いてきた。
「……あの人、なんて言ってるの?」
「わかってなかったのかよ」
「あと、あたしなんて言った?」
「それはさすがにわかれ」
このレベルでよく英会話を実践しようと思えたものだ。ほら、理事長に笑われてるぞ。
「すいません、こいつの英語は赤点ギリギリでして……というか、柊さんとは普通に日本語で喋ってましたよね?」
大して鋭くもない僕の指摘に、「あら、ごめんなさい」と彼女は謝罪。
「話しかけられた言語に合わせるのがマナーかと思って」
なるほど、結構お茶目な人らしい。間近で見ると、優しさの中に相反する厳しさも内在していそうなブルーの瞳には、どこか見覚えがあるような。
「初めましての方は初めまして。ミシェル・カーマインと申します。この学院では一応、理事長を務めております」
「で、では、カーマイン理事長とお呼び奉れば、よろしいでありますでしょうか?」
日本語までおかしくなっている獅子原に呆れることはなく。
「いえ、できればミシェルと呼んでもらえる?」
畏れ多い言葉だったが、別段フランクさを強調する意図はなかったらしい。
「ファミリーネームの方はややこしくってね。ビジネスの関係で今もカーマインを名乗ってはいるけど、夫の姓は赤月……だから、赤月ミシェルでもあるの」
「えっ」の形になった口で固まるのは僕と獅子原だけ。
「道理で。身長以外そっくりね」
朔先輩は納得がいったように呟く。いつの間にか就活生もかくやのパーフェクトな座り方に直っている彼女は、我が意を得たりの顔。
「お察しの通り、赤月カミラは私の娘です」
この世は本当に、身近であればあるほど知らないことで溢れており。
「今日お呼びしたのは他でもありません。あの子……カミラに関するお願いです」
宇宙よりも探求のしがいがあった。
最果てのような立地のおかげなのか、文化祭の準備に勤しむ生徒たちの声も理事長室までは届いてこなかった。腰を落ち着けて話すのには適した場所である。
「さて、何から話したものかしら……ああ、どうぞ楽にしてね?」
応接用の椅子に座した理事長は、会話の糸口を探るように視線を高くする。
構図としては三対三の商談(?)だった。朔先輩、僕、獅子原の順で横に並び、ローテーブルを挟んだ対面では、氷上先生、理事長、柊さんの順に並んで座っている。赤月家と深い縁のあるらしい柊さんが、あちら側なのは当然として。
文芸部というくくりからすれば、顧問である氷上先生はこちら側に座るべきだという意見もあるかもしれない。しかし、僕もすっかり忘れていた。プライベートもパブリックもだらしないズボラ女というのは、あくまで世を忍ぶ仮の姿。
「遅ればせながら。ご無沙汰しております、ミシェル叔母様」
「あら、こちらこそ。牡丹さんとは、去年の暮れ……本社の懇親会ぶりかしら。同じ学校にいるのになかなか顔を合わせないものよね」
「末端ですので、私は。本家でもここでも」
読み通り、二人は旧知だとわかるやり取り。
そう、知る人ぞ知る彼女の血筋──氷上先生はこう見えて、氷上グループと呼ばれる巨大な企業集団の代表を父に持ち、縁故あってこの学校に就職したのだ。
「あ、そっか。理事長と親戚だって、前に牡丹ちゃん言ってたもんね」
獅子原の確認に「ああ、母方の叔母だ」と答える氷上先生。
そうなれば会長は従妹。そして氷上先生にも外国の血が混じっていることになる。髪や目の色からなんとなく察しはついていた。ちなみに雪女は日本由来のミューデントなわけだが、発症条件には血統よりも後天的に身に付けた社会性が影響するという研究も──語り出したら切りがないので割愛する。
「でも、妙な話ねぇ」