異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
五章 誰かの特別になりたくて ⑥
曰く「無様に敗北すれば嫌でも普通の人間だって思い知るわ」とのこと。確かにただの中二病なら多少は効能ありだが、厄介なことに彼女はミュー二病。おまけに相当拗らせているケースで、「闇の眷属は敗北を知って真祖に至る!」とか自分ルールを発動してもおかしくない。ミュー二病に一家言ある僕が言うのだから間違いない。
加えて、これは朔先輩の勝利が前提。勝負事が水物である限り、試合に負けても勝負にだけは勝てるよう、保険をかけておくに越したことはない。
──と、いうわけで。
「カミラについて聞きたいこと?」
僕は単身、校内の最果て──理事長室を再び訪れていた。
急な来訪にも快く対応してくれたミシェル理事長は優しさの塊だが。
「なるほど。あの子を一人の女として見てるってわけね?」
なんでちょっと嬉しそうなんだ。
「違います。ヴァンパイアの体質に関する件です」
「あら、そう。答えるまでもなく熟知していそうだけどね、古森くんは」
熟知にはほど遠いけど独学レベルの知識はあって、だからこそ生まれた疑問。
「変な質問で恐縮なんですけど、娘さんがよく飲んでる血液って──」
知らぬは一生のなんとやら。
顰蹙を覚悟で割と立ち入ったことを聞いてみたのだが。
「ふふっ……あははっ……」
普通に笑われてしまった。不快感は与えなかったようでホッとする。
だが変なツボに入ったのか、あるいは笑いの沸点が低いのか、理事長はレザーチェアの肘掛けをつかんで笑撃に耐えていらっしゃる。
「震えるほどでしたか?」
「だってあなたがそんな、すごい深刻そうな顔で聞いてくるから」
「万が一、地雷を踏むパターンを想定したんです」
「ごめんなさいね、素晴らしい配慮だったわ。でも、心配ご無用。これについてはホントにただただアホらしいだけ……笑われてもおかしくないのはあの子の方なんだから」
良かった。本当に深刻だった場合、保険として利用するわけにはいかなかったから。
「でしたら一つ、理事長のお力添えを賜りたく」
「まあ、私なんかで良ければじゃんじゃん力を貸すわよ」
「助かります。おそらく依頼の成否にも関わることで──」
一生徒にすぎない小僧が、学校法人の経営トップにお願い事をするなんて。
どの面下げてという感じだったが、そもそも無理難題を押し付けてきたのは向こうなんだから罰は当たらないだろう。
朔先輩を見習って厚かましくなろうと決める僕だったが。
「わかったわ。じゃ、今すぐ実行に移しましょう」
「えっ! 今すぐ?」
「知り合いに話を通しておくわ。車も出してあげるから校門で待っててね」
「えぇっ! お車?」
さすがにそこまでお世話には、という言葉をギリギリ飲み込む。
「ど、どうも、ありがとうございます……」
厚かましく生きるのも存外、心労が絶えないのを知った。
英国淑女から「車を出す」なんて言われれば、庶民代表の僕としては多少なりとも期待するわけだが。校門の外で待機すること数分、現れたのはファントムでもゴーストでもない国産のセダン。燕尾服の執事が運転していることもなく。
「やあ、待たせたてしまったかな」
白衣の美人が運転席に座っており、ウインドウを開けて僕に声をかけてきた。
「氷上先生?」
「とりあえず乗りたまえ」
勧められるまま助手席へ乗り込んでシートベルトを装着する。
間もなく公道を走り出した車内にて。
「あの、どうして先生が?」
「叔母様から話を聞いてね。今こそ他でもない、文芸部の顧問である私の出番だと言われてしまえば、馳せ参じるほかないだろ」
「物は言いようですね」
顧問といっても普段はほぼ仕事がないし、これでいて頼られたい願望が強い氷上先生(現に鼻歌交じりで運転中)なので、適材適所かもしれないけど。
必須の確認事項が一つ。
「昨晩飲んだお酒、残ってたりしません?」
「大丈夫だろ。もう昼過ぎだし」
「出勤時はどうしてるんですか……これ、あなたの車でしょ」
「冗談を真に受けるな。そもそも昨日は飲んでない」
「へー、珍しいですね」
「体を壊して顧問を続けられなくなったりしたら、君たちに迷惑をかけるしね。最近は休肝日を設けるようにしたんだ」
「大変よろしいことだと思います」
顧問なんて抜きにして、彼女には長生きしてほしいものだ。
「というか今って本来、文化祭の準備に勤しむべき時間なんですよね。みんながせっせと働いている中、ひっそり学校を抜け出す僕って……」
「それも若い女教師と一緒に。一夏のアバンチュールになりそうだな」
「捕まるのはあなただけですよ、年齢的に」
「いいねー、ワクワクしてきた。夏にぴったりのBGMかけておこう」
赤信号で止まったところで、氷上先生はカーオーディオをいじった。流れるのは男性ボーカルのアップテンポな曲。世代ではない僕すら聴いたことのある、出すとこ出してたわわになりそうな往年の名曲だった。
現在、六月初旬。海辺でナマ足を晒すには少し早いとはいえ、近年の日本では十二分に夏らしさを味わえる気温。暑さや日光が天敵の雪女にとってはつらい時期だと思われるが、意外にも氷上先生は機嫌が良さそう。
「夏うたなんて入れてるんですね」
「驚いたかい」
「少し。失礼ながら、夏にはあまりいい思い出なさそうなので」
「ご想像の通り散々だが、最近は悪くない季節かと思い始めている」
「心境の変化でも?」
「変化、というほどではないけど。ふと思ったんだ。この体で過ごせる夏は、もしかしたらもう来ない。今年で最後になるのかもしれない、とね」
「最後、ですか」
「来年には三十だからな、私も」
氷上先生の横顔には、喜びも悲しみも浮かんでいなかったけど。曲が終わり、次の曲が流れるまでの一瞬の静けさが、何か意味を持っているように感じられてしまう。
第二次性徴期に発生するミューデントの症状は、三十歳を過ぎる頃まで続いた末、ある日パタリと消える。発症同様に数年の幅は見られるが、等しくその日は突然やってくる。それが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかはわからない。
ただ、いくらもとに戻るだけとはいえ、十五年や二十年も付き合ってきた自分の体に再び変化が生じるのは、当事者からすれば負担が大きい。あまり議論されていないが、元ミューデントに対するアフターケアは重要な課題だろう。
「神話の申し子も、三十過ぎればただの人ってわけさ」
「もとからただの人でしょう」
氷上先生は声を上げて笑った。
「それもそうか。だからこそ君は、こんなことに一生懸命なんだもんな」
「こんなことって?」
「ロリっ子ヴァンパイアの性格矯正」
「表現が十八禁なんですよ」
「ま、叔母様の許可が出てるんだ。辣腕を振るってくれたまえ…………よーし、着いたぞ」
ほどなくして目的地に到着。駐車場で車を降りた僕たちは隣接する施設に向かう。
建物には大きく『武蔵台総合病院』と書かれていた。
『みなさん、本日までお疲れさまでした。ここからは全力で楽しみましょう!』
実行委員の激励が校内放送で流れ、他の教室も含めて拍手が巻き起こる。
いつもとは装いの異なっている教室──盆栽や和傘や掛け軸のパワーもあって、すっかり和風喫茶の様相を呈している中でそれを聞いていた僕は、クラスメイトの真似をして形だけでも手を叩いておいた。せっかくの開会宣言に水を差したくはない。
怒濤の一週間を乗り越えて、とうとう迎えた文化祭の当日。
とはいっても、気分的には最後の休息。あるいは嵐の前の静けさか。