異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち2
五章 誰かの特別になりたくて ⑩
行きたい場所、食べたいもの、読みたい本、勉学も趣味も遊びもほとんど全部、求めたものは与えられたと記憶しています。悪いことはいっぱいしたはずなのに、本気で叱られたことなんて一度もありません。ただの甘やかしだと言われればそれまでですが、だからこそのびのび成長できましたし、常識に囚われない発想力も身に付きました。
母には感謝しかありません。その愛情は、海より深いだなんて言葉でも語り尽くせません。
ですが、そんな彼女と私は今、離れて暮らしています。高校生になってから私は一人暮らしをしているんです。といっても、住んでいるのは実家のすぐ近くのマンションです。なぜ家族のもとを離れる決意をしたのか。理由は私の体質に由来するものです。
みなさんご存じの通り、私はサキュバスと呼ばれるミューデントです。人を誘惑すると言われる存在ですが、実のところそこまで大層な能力はありません。ほんの少し、人から好かれる力が強い……愛されやすいといえば、わかりやすいかもしれません。
本当に、ほんの少しです。だけど、その少しが、私は我慢ならなかった。
私に対する母の愛だけは、潔白であってほしかったから。
近くにいすぎると、母の愛が本物ではなくなる気がして。それが嫌で仕方なかった。
家族に限らず、友人関係でも同じ悩みを抱えている時期がありました。親友になれたと思ったとき、あるいは親友以上になれたと思ったとき、果たしてその愛情は真実なのか。
そんな悩みを『くだらない』と一蹴した人がいます。彼女は私の友人の母で、私とも仲が良かった……今は疎遠ですが、当時はとても仲が良かった存在で『あたしをもう一人のお母さんだと思え!』と豪語していたほどです。
彼女は見抜いていたのでしょう。私の考える『真実の愛』が、いかに噓くさくて薄っぺらいものなのか。そんなことを気にしていたら本当に大切な人を失ってしまう。大切にしたいと思っている人が向こうから離れていくと、わかっていたのでしょう。
今このテーマに沿って話すうちに、こうして昔を振り返るうちに、気付きました。
真実の愛を真実でなくしていたのは、私自身の心だと。つまらない疑いをかけて疑心暗鬼になっていたのは自分だけで、今も昔もずっと、母の愛はいつだって清廉潔白でした。母だけではありません。私のことを大切に思ってくれている、沢山の大切な人たち……彼の愛もきっと疑う余地なんてないのですから。
だからこれから、逃げずに伝えようと思います。母にも母以外の大切な人にも、私の口からしっかり。真実の愛をくれてありがとう。私にとってもあなたは、とても大切な人です」
朔先輩が頭を下げる。弁論が終わった合図だ。
しかし、観客たちは沈黙を守る。滝沢すら司会進行を忘れて黙りこくっている。
一瞬の間を置き、わっと会場中に感情の波がひた走る。
巻き起こった割れんばかりの拍手。
みんな口々に何か言っているが、数が多すぎて判別は困難。感化されて涙を流している女子生徒すらいた。あの朔先輩が感動系の弁論をしたことに対するギャップ。加えてあれだけの内容をアドリブで喋れたことへの驚きが彼らを支配しているのだろう。
でも、違う。僕は知っている。アドリブじゃないんだ。
準備期間が短かったのは確かだが、三日三晩くらいは考える暇があったはず。三日三晩かそれ以上、考えて──考えた上でこんな話をしたんだ。それも創作なんかじゃない実体験。作り話であんな風に語れるはずないのだから。
知らなかった。初めて聞いた。
高校生になってからは、彼女の家に行くことがなかったから。まさか朔先輩が一人暮らしをしていたなんて。あんなに仲が良かったお母さんと離れて暮らしているなんて。
「ふぅ……あー、疲れた」
と、戻ってきた朔先輩は出る前と同じく眠そうにあくび。
獅子原が寄っていき「せんぱーい、かっこよかったですー」半泣きで抱き着いた。敵方である生徒会の役員すら、「すごかったな……」「う、うん……」と唸っている。
「はぁ〜……我ながら天才ねぇ。かんっっっぜんに観客をハートキャッチしたみたい」
毅然とした弁舌はどこへ行ったのやら。
朔先輩が悪役じみた挑発を向けるのは、言わずもがな対戦相手の会長。腕組みで目を閉じている彼女の、耳元にわざわざ口を近付けた朔先輩はふっと笑い。
「ま、そっちは後攻なんだから余裕よね。考える時間、たーっぷりあったでしょ?」
マジで悪役だろこいつ。負けてしまえばいいのに。理事長の話を引き出すために煽っているのはわかるが、それでも憎たらしいぞ。
もっとも、その程度で調子を崩される会長ではなく。
「ああ、余裕のつもりだ」
開かれた彼女の目に焦りは見受けられず。代わりに決意のような光で、「柊……一つだけ、聞いておくが」隣にいた副会長に目配せする。
「このテーマを決めたのは君かい?」
ぎくり、と僕は嫌な汗をかいたのだが。
「いいえ。生成したのはAIで、くじによって選ばれました」
声色一つ変えずに柊さんは答える。交わった視線の意味は二人にしかわからない。
「みんな、私に勝ってほしいか?」
すでに心は決まっているように見えたが、会長は尋ねた。自分を慕っている役員たちに。
「当然です!」「お願いします」「絶対、負けないでください」「これに勝ったら本物ですよ」
「それでは赤月カミラさん、お願いします」
激励を背にして会長は舞台に出ていく。
観客席が静寂を取り戻す中、自己紹介をしてから弁論に入る。
「初めに、打ち明けます。弁論のテーマが発表されてから今まで、少ない時間の中で私は必死に考えていました。何を喋ろうかではありません。喋るべきか喋らざるべきかを、です。
思えばそんな二者択一に揺らいでいる時点で、生徒会長として、このコンテストに出る者として、突き詰めれば一人の娘として失格──みなさんにも、母にも、私を信頼してくれている大勢の人々に唾吐く行為でした。それに気付かせてくれた斎院朔夜さんには、勝敗を競い合う相手ではありますが畏敬の念を表します。
今日は母について、私の本当の思いを語りたいです。大好きな母について、と言い換えた方が正しいでしょうか。マザコンという呼び名は蔑称に当たるかもしれませんが、世間一般的にいえば私はそれに該当するでしょう。
母はイギリスの裕福な家の生まれで、祖父母の影響もあってか若いころから様々な事業や活動に携わっておりました。娘の私が言うのもなんですが多才で思いやり深く、人の痛みや苦しみがわかり、それに寄り添うことができる人です。ただ寄り添うだけではなく、その痛みや苦しみを取り除いたあとの未来も、見据えている人です。
しかし、そんな彼女のことを偽善者だと罵る人がいます。金の亡者と呼ぶ人もいます。悲しい誤解です。利益を追求するビジネスと、利益の追求とは別にあるチャリティ。母はその両方に関わる機会があるため、二つを混同して理解されたのでしょう。
そして母の携わる、利益とは別の活動で……最も大きなものが、国際ミューデント人権機関の大使です。私はヴァンパイアですが、大使については元々母が祖母から受け継いだ役職であり、両者に関連性はありません。ありませんが、私は懸念しました。