俺の幼馴染がデッッッッかくなりすぎた 1

1‐3.必殺技

 再会した幼馴染のりりさは、胸が極端に成長していた。

 今、俺は登校中の電車の中で、その幼馴染が痴漢されている場面を見てしまった。

 りりさの近くに、不自然に立つサラリーマン。

 思わずわず怒りをぶつけそうになるが。


(いや、まだだ、まだわからない――)


 たまたまそう見えているだけかもしれない。

 俺は満員電車の人込みをかきわけて、りりさに近づいていった。ただでさえ上背のある俺が強引に移動することに、周囲の乗客は大層、迷惑そうな顔をした。


「! す、すみません。ちょっと!」


 謝罪しながらも押しとおる。どうか非常事態であるとご理解いただきたい。


(まだ触っているかはわからない。わからないが、触っていたら――)


 俺は落ち着けと自分に言い聞かせる。

 痴漢じゃないかもしれない――と思いつつ、内心では十中八九、コイツは触っているだろうとの確信があった。

 りりさの表情が固いからだ。あんな表情、机を壊した時以来である。

 はたして。


「っ!」


 やっとりりさの近くに移動する――りりさが先に俺に気づいて、目を見開いた。

 だがそれよりも、俺はサラリーマンが手をまわして、りりさの胸の側面に触れていることを見逃さなかった。


「おいお前」


 自分でも驚くくらいドスの利いた声がでた。

 サラリーマンの右手をりりさから引きはがし、強引に腕をあげさせる。サラリーマンが泡を食って。


「な、なんだキミは……!」

「なんだじゃねえよ。触ってただろうが。痴漢だろお前」


 身長差のある相手に睨みつけられて、サラリーマンが体を震わす。

 観念したか? このまま駅員に突き出せば――と思ったが。


「な、なにか証拠でもあるのか⁉」

「お前――」


 この期に及んでとぼけるつもりらしい。


「俺が触られてるの見てんだよ!」

「この子が言ったのか? 触られてたって? キミの見間違いの可能性もあるだろう?」

「はあ⁉ ふざけんな……」


 りりさは俯いている。

 周りの乗客も、なにごとかとこちらに注目が集まっている。この状況で、りりさに『触られていた』と証言させるのは酷だろう。

 サラリーマンもそれをわかっているから、あえて開き直っているのだ。

 事実、りりさは顔を下に向けてうつむいたまま。


「と、トウジ、あまり大ごとには――」

「…………っ」


 りりさはやはり注目されたくないようだ。

 だが、いくらなんでもこのままで良いはずがない。


「とにかく、次の駅で降りろよ」


 サラリーマンへ顔を近づけて、ドスの利いた声で話す。


「仕事があるからね、手短にお願いするよ」

「この野郎――っ」


 思わず殴ってしまいそうになる感情を押さえつける。

 冷静に、冷静に――次の駅で駅員に突き出せばいい。

 次の駅に止まるまでの数十秒間、俺はひたすらに痴漢を睨みつけていた。

 りりさは俯いているだけで、なんにも言わなかった。


 駅の到着はすぐだ。俺は逃げないようにサラリーマンの腕をつかみながら、電車から引きずり出す。

 サラリーマンのほうは余裕の顔で、ついてくる。

 りりさが駅員に証言すればいいことなのだが、りりさは下を向いて顔をあげない。とぼとぼと俺の後をついてくるだけ。


「それで? なんの話をするんだね?」


 ホームの隅で、サラリーマンが上から目線で聞いてくる。

 りりさが痴漢されたとは言えないことを、わかりきっているのだ。痴漢は、被害を言い出せない弱気な女を狙うと聞いたことがある。

 早朝のホームは、隅とはいえ通勤通学で混雑していた。サラリーマンはネクタイをゆるめて、手短に済ませたいと態度で語る。

 そんなうやむやにしてたまるかよ。


「だから! お前が触ってたのを見てるんだよ、こっちは!」

「だが、その女の子はなにも言っていないぞ?」

「…………」


 りりさはずっと黙ったままだ。

 子どものころは、俺とケンカして勝つくらいだったのに――そんな勝気なりりさはどこにもいない。やっぱり、りりさも痴漢は怖いのだろうか。


(当然だよな……誰だって、怖いに決まってる)


 こんな卑怯な痴漢を前にして、りりさが黙るしかないのが悔しかった。


「大体だな、こんなデカい胸をして満員電車に乗ったのなら、事故で触ってしまうことくらいあるだろう?」

「――なんだと?」


 あまりの言い草に、一度は飲み込んだはずの怒りがまた沸き起こってくる。


「こっちはお前が手を回して、胸を触ってるのを見てるんだよ!」

「見間違いでないとどうして言い切れる?」

「はああ?」


 どこまでも腐った言い草だ。


「りりさは……お前に背を向けてただろ! それでどうやって、事故になるんだ!」

「知らないな。証拠はあるのか?」

「てめぇ……」


 今からでも、電車に乗っていた乗客に話を聞くべきだろうか。

 駅員を呼んで、乗っていた乗客を探して証言の裏をとって――腹が立つが、痴漢の証明をするのにはそれくらいしなければならないのか。

 どうして、りりさがこんな目に遭うんだ?

 ただ電車に乗っていただけの被害者なのに、目の前の痴漢のせいで、好き放題言われて。

 俺が代わりにぶん殴ってやらないと、収まらないのか?


「ああ、わかったぞ。お前たち、組んでるんだな?」

「……あ?」


 またもや予想もしなかった言葉。

 もはや俺は怒りを通り越して、あきれ果てた。


「あれだろ、痴漢冤罪で脅迫して、金をとろうって魂胆か。はぁ、まったく、最近の高校生はとんでもないこと考えるな」

「…………」

「いや、そのデカい胸じゃ、さぞかし触ったことにするのも楽だろう。なにしろ自分から押しつけるだけで、簡単に冤罪を作れるだろうからなぁ」


 りりさはずっと喋らない。

 こんなことを言われて怒らないはずもないのに。


「なんだ? 睨んだところでどうするんだ? 図星だったのか? それとも――殴るのか? いやあ、それは大変だ。駅員を呼ばないとな」


 もういい。誰になんと言われようと、俺がコイツをぶん殴る。

 そう決意した瞬間、袖を引かれた。


「っ」


 りりさが、俺の決意を察知したかのように、『やめろ』と言ってくる。

 幼馴染だから、俺の考えが手に取るようにわかったのかもしれない――それとも誰が見ても、殴りそうなほど怒っていたか。


「……そんなに、触りたいですか?」

「は?」


 りりさが、顔を上げないまま、そう告げる。

 奇しくも、俺も痴漢も、りりさの言っている意味が分からず、間抜けな顔になった。


「いいですよ、触らせてあげても」

「おまっ――なに言って……っ!」


 聞き間違いかと思って、俺はりりさを見る。

 ずっと俯いていたりりさは、顔をあげて痴漢を睨みつけていた。

 その目には、確固たる決意が宿っていた。こんな奴に負けない、負けたくないという。

 俺は意味が分からず、ただりりさを見つめるしかできない。


「な……や、やっぱり美人局じゃないか!」


 やりとりだけ聞けば、そうとられても仕方ない。

 だが、りりさの眼光の迫力に、痴漢のほうが怯えて後ずさっていた。

 りりさのほうが、デカい胸を震わせながら、痴漢に近づいていく。


「一回だけ、触らせてあげるので、よぉ~~~く味わってくださいね」

「なっ……」


 次の瞬間。

 りりさが、体勢を低く沈めた。

 柔軟な膝関節を巧みに用いて、しゃがんだまま体をひねる。俺もサラリーマンも、その美しい動作に見とれていると。

 りりさが、飛んだ。

 フィギュアスケートを思わせるように、ジャンプしつつ回転する。

 ただでさえ注目を集める巨大な胸が、ばるんと上下に弾んで――。


「どりゃあっ!」



 サラリーマンの横っ面を張り倒した。


「ぶべらっ!」


 サラリーマンが間抜けな声をあげて倒れる。

 本来、やわらかいはずの一対の脂肪は、この瞬間、痴漢をぶん殴る凶器と化した。

 どのくらい重いか知らないが――。

 ジャンプ回転で、十分にベクトルを乗せた胸攻撃が、痛くないわけがないだろう。事実、サラリーマンは鼻血を出してホームに伏せている。


「……ふっ」


 りりさは制服のスカートが舞いあがるのも気にせず、どや顔でホームに手をついて、着地を決めていた。

 なんだその技は。


「り、りりさ、お前……」


 俺はなんと言うべきかわからず、呆然とする。

 聞いたことねえよ、デカい胸で痴漢をぶっ飛ばす女とか。

 周囲の乗客もなにごとかと注目を集めている。大ごとにしたくないんじゃなかったのか?


(いや、違う)


 俺はやっと気づく。

 りりさはずっと痴漢に怒っていて、遠慮なくぶっ飛ばせる場所とタイミングを見計らっていたのだ。電車の中でこんな芸当できるわけがない。


『まもなく三番ホームに電車がまいります。白線の内側までおさがりください――』


 アナウンスが響く。

 すると、りりさが俺の手をとった。


「トウジ! 逃げるよ!」

「はっ⁉ おまっ、アイツはいいのかよ!」


 痴漢は鼻血を出しながらもこちらを睨みつける。なにか叫んでいたが、ホームに電車が入ってきた音で、アイツの戯言はかき消されている。


「だって、嫌じゃん! 痴漢のせいで学校遅れるの!」

「はあ⁉」

「ほら、さっさと走ってっ!」


 りりさは俺の手をひいて、電車に乗り込む。

 痴漢がようやく、ふらふらの足取りで追いかけてきたが、そんな足取りで、朝の駅の混雑を進んでいけるわけもなかった。


「ふぅぅ」


 電車に乗って、りりさは一息つく。

 胸は扉に押しつけて、デカいパンのように形を変えていた。俺に背中を向けている格好だ。満員電車で、これはこれでヤバい。

 俺は扉に手をついて、りりさを周りから守るようにガードした。もちろん俺の身体も、りりさになるべく触れないように。


「これで間に合うねッ! トウジ!」


 りりさは真上を向いて、ほほ笑んでくる。身長差があるので、りりさの笑顔が良く見えた。


「――そうだな。言いたいことは、山ほどあるが」

「えー? なんも悪いことしてないよ?」


 りりさは悪ガキのような微笑みを見せた。

 ――そんな笑顔も、そして手を引かれて走るときのりりさも、ガキのころ、俺の手を引いてプールにいくりりさの、そのままで。

 あんなことの後なのに、俺は無性に安心してしまうのだった。

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