エルフの渡辺

第一章 渡辺風花は園芸部の部長である ⑤

「……………………………………………………………………………………え」


 拒否の言葉が飛んでくると思った。

 だが、続いた言葉は、これから少しずつお互いのことを深く知って行こうという前向きな言葉のように思えた。


「そ、それって……」


 声が、震える。

 心に一瞬さした闇が、急激に光に満ち、晴れ渡る。


おおくん……これから、よろしくお願いします」


 てんかいびやく

 その瞬間のゆくの心の中を表現するに最もふさわしい言葉は『てんかいびやく』をいて他になかった。

 人生に新たな地平が開けた音がした。五感全てが研ぎ澄まされて世界全てと同化し、それでいて今正面にいるわたなべふうの全てに集中しているような不思議な感覚。

 そして、今やゆうであった暗い予感にうつむいたままだったゆくの視界に、わたなべの小さく愛らしい右手が差し出された。

 それは、好きになった人におもいを受け止めてもらえた、奇跡と幸運の象徴だ。

 ゆくは、乱暴にならないようにその手を取り、握り返した。

 小さくて、暖かくて、優しくて、強い手だった。


「あ、ありがとうわたなべさん!」


 そして、顔を上げた。


「これからよろし…………!」



 その時起こったことを、どう説明すればよいのか、ゆくは分からなかった。





「え、誰?」


 目の前にいたはずのわたなべふうが消え、代わりに見たことのない『顔』があった。

 ジャージの胸には『わたなべ』としゆうが入っている。

 目をらしこそしたが、目の前でへたりこんだわたなべの膝はずっと見えていた。

 声だって、ずっとわたなべふうの声しか聞こえていない。

 それなのに、ゆくが顔を上げたら、そこにはぼくとつで愛らしいわたなべふうの顔ではなく、風になびく絹糸のような金髪と、すいりよくの瞳、透き通るような肌、そして長い耳介を持つ女性の顔に変わっていたのだ。


「「え?」」


 タオルもそのままだ。

 だが、顔がもう、見間違いようもなく違う。

 いや、顔というかもう、首から上の何もかもが違う。

 だから、一度言ったことをもう一度言った。


「え、誰?」

「お、おおくん、どうしたの?」

「いや、いやいやいや、え、え!? わ、わたなべ、さん!? わたなべさんっ!?」

「な、なぁに?」


 なぁにじゃない。こんなドッキリマジックがあってたまるか。

 わたなべふうはどこに消えたんだ。いや、違う。わたなべふうの声はここにある。

 首から上、顔と髪が変わってしまっているのだ。

 全く見覚えのない顔からわたなべの声が聞こえるが、顔が違うと声まで違って聞こえるような錯覚に陥る。

 いや、本当に見覚えはないか?

 顔そのものに見覚えはないが、この顔を構成する要素には、覚えがある。

 この世の者とは思えぬ美しい面差し、アッシュゴールドの髪、エメラルドの瞳、そして最も特徴的な、長い耳。


「エルフ……だ」


 長い寿命。それ故の知識と魔力。他種族から一線を画す美貌。自然を愛し人界から距離を置く、長い耳を持つ人型の異種族、あるいは妖精、あるいは神のけんぞく

 現代日本に生きる人間なら、アニメ、漫画、ゲーム、映画、小説などで一度はその概念に触れ、ビジュアルを見たことがあるであろう、架空の種族。


「もしかして私の……見えちゃった?」


 好きな女の子に恋の告白をしてOKをもらえたと思ったら、不測の事態でパンツを見た男みたいなことを言われた。

 この説明だけでゆくの目の前で起きた事態を全て把握できる人間がいたら、きっとそれは神かこの悪質なドッキリの首謀者だ。


「いや……いやこれ、何が起こったの? わたなべさんはどこに行ったんだ?」

「混乱させちゃってごめんなさい。でも……私がわたなべふうです。それが私の本当の姿なの」

「いや、本当の姿も何も……わたなべさんは日本人なので、どんなマジック使ったのか分からな……分かりませんけど、わたなべさんはどこに行ったんですか」


 見知らぬ顔相手なのでつい敬語になってしまう。


「だから私がわたなべふうなの! おおくん! 顔を見ずに、私の声を聞いて!」

「うわああああああわたなべさんの声ぇ!!」


 足元にあった植木鉢が唐突に持ち上げられて一瞬目の前の顔が隠れ、告白の緊張で研ぎ澄まされたゆくの耳ははっきりとわたなべふうの声を捉えたのだ。

 だが目を開くとそこには植木鉢で隠しきれない金髪と長い耳。

 ゆくの混乱は頂点に達する。


「いやいやいや! いやいやいやいやいや! 信じられないって! エルフなんているわけないだろ!? わたなべさんはどこ行ったんだ!?」

「どうしたら信じてくれるの!」


 植木鉢の陰から恥ずかしげに顔を出した絶世の美女にそんな悲し気な顔と声で言われて、ゆくは悪くないはずなのにいわれのない罪悪感を覚えてしまう。

 だが、好きな人に告白をOKしてもらえたと思ったらエルフに変身されたゆくにも大いに同情の余地はある。

 好きになった女子の正体がお忍びのアイドルだったとか、幼い頃に別れたおさなじみだったというのなら、飼っていた子猫が大きくなったらライオンでした、程度の衝撃で納得できる。

 だが好きになった女子の正体がエルフでした、は、飼っていた子猫が大きくなったらプテラノドンでしたというレベルに、言葉通り次元が違う事象なのだ。


「だ、だって、どう見たって別人だし……」

「いつも魔法で姿を変えているの! でもおおくんが今見ているのがきっと私の本当の姿で、だから私が去年の秋からずっと、園芸や写真のことで楽しくお話ししたわたなべふうなの!」

「いや……でも……」

おおくん……言ってくれたよね。外見で好きになってくれたわけじゃない……って」

「っ!」


 ゆくは思わず息をみ、改めて目の前のエルフを見、歯を食いしばってうつむいてしまう。

 いくら外見を好きになったわけではないといっても、物には限度がある! 普通とは違う意味で!


「確かに……そうは言ったけども!」


 だがそれでもわたなべふうを好きになった入り口はあの素朴な笑顔で、園芸を通じて触れたわたなべの素朴な心を経て、外見もまた恋の対象になったのだ。

 だが、ここまで見た目が別の人間(かどうかも分からない存在)になってしまうと、『大切なのは外見ではなく中身』とかいう言葉で収めることなどできはしない。

 元の面影がいつさいがつさい消失した、完全なる別人の顔なのだ。

 例えば、頭がアンパンでできている子ども達のヒーローがいたとしよう。

 アンパンの頭を更新してパワーを回復し続けることで長年子ども達に愛されてきたのに、あるときから何の説明もなく頭が大トロ握りになったら、同じキャラクターとしてこれまで通り子ども達に愛されるだろうか。絶対に無理だろう。

 アンパンもしいし大トロ握りもしいが競技の土俵が違いすぎるし、おなかが空いてアンパンを食べたがっている子どもに大トロ握りを与えたら、食べるかもしれないが、これじゃないと言われることはひつじようだ。


「もちろんアンパンも大トロも愛しているけども!」

「えっ!? な、何? アンパンと大トロ?」


 わたなべふうを名乗るエルフは、パニックに陥っているゆくの目にもはっきり美人だと分かる。

 街中で男がこのエルフとすれ違えば、耳介の形状の違和感すらさて置いて十人が十人、その美貌に振り返るだろう。

 だがゆくは、エルフを美人だと思っても好きにはならない。

 好きになったのは、誰もが振り返るような万人受けする美貌ではなく、それでもゆくにとって唯一無二の魅力に満ちたあの笑顔なのだ。


「あ、あのさ。魔法で姿を変えてたって、言ってたよね、さっき」

「え、あ、うん……アンパンと大トロ……?」

「ならその魔法で元の姿に戻れないの? 俺が知ってる、わたなべさんの姿に」


 震える声で現実を受け入れようとするゆくのその提案への回答は、残酷だった。